楽山日記

ヤフーブログから引っ越してきました。特にテーマは決めずに書いてますが、スピ系の文章が多めです。若気の至りでハマってしまった宗教についても書いてます。よろしくお願いします。ヤフーブログの楽山日記と区別するために、ブログタイトルの末尾にLDとつけていましたが、ヤフーブログはなくなったので、末尾のLDも削除することにしました。

信仰心が揺らぐとき (谷口雅春『生命の實相 頭注版 第19卷』(自傳篇上))

 

背教の心起これば野に出でて霧に泣きぬれひれ伏して祈る
(谷口雅春『生命の實相 頭注版 第19卷』(自傳篇上)日本教文社、昭和50年、p.140)

この気持ちはすごく分かる気がする。信じたいし、信じなければならないのに、信じ切れないのは本当につらい。
 
ただ、信じ切れないからこそ、切実に神を求めることができるとも言えるかもしれない。少なくとも自分の場合は、信仰が揺らいだからこそ、より強く真実の神を求め、祈ることができるようになったと思う。

 






信者とアンチのすれ違い

 
近ごろ、
信者とアンチのやり取りが盛んのようですが、
その様子は、自分には次のように見えています。
 

信者「アンチは幸福の科学に嫉妬している」
アンチ「なぜカルトに嫉妬しなければならないのか。意味が分からない」
 
信者「アンチは幸福の科学に責任転嫁している」
アンチ「なにを、カルトに責任転嫁するというのだ。意味が分からない」
 
信者「アンチは幸福の科学に執着、依存している」
アンチ「カルトに執着、依存しているのは信者だろう。アンチは単にカルトを批判、監視しているだけ。これは執着でも、依存でもなく、社会正義の実践だろう」
 
信者「幸福の科学に執着せず、他のことをしたらどうか」
アンチ「カルトが新たな犠牲者を出すのを放置できるわけなかろう」
 
信者「アンチが幸福の科学の悪口をいうのは、別れた元恋人の悪口を言うのと同じだ」
アンチ「別れた元恋人の悪口を言いふらすべきでないというのは私人の間の恋愛倫理。カルト問題は社会問題。両者はまったく別の次元の話」
 
信者「アンチは自己責任を自覚すべきだ」
アンチ「幸福の科学が教育や政治に乗り出してからは、主な論点は、〈私と幸福の科学〉から、〈社会と幸福の科学〉へ移ってきている。前者の私的問題ならまだしも、後者の社会問題に、自己責任論を持ち出すのは見当違い」
 
信者「アンチは魔の手先、傀儡だ」
アンチ「こういう発言こそ、幸福の科学がカルトであることの証明」
 
信者「アンチは認識力が低いために、真理が分からない」
アンチ「こういう発言こそ、幸福の科学がカルトであることの証明。カルトは、外部には理解できない特殊な価値観を持っている」
 
 
以上。
 
こんなことを言うのも何ですが、
信者さんは、アンチ批判をするときは、
教団内の論理によるのではなく、
世間一般に通用する論理をつかう方がいいと思います。
 
また、
幸福の科学が本当にカルトであるかどうかは別として、
アンチは、幸福の科学はカルトとみなしている
ということは念頭においておくべきです。
 
この辺のことを無視して、
幸福の科学は、絶対に正しいとしつつ、
教団内の特殊な論理によって
アンチ批判をするのは得策ではありません。
 
そういう意見は、
一般人の常識との乖離がはなはだしく、
そこはかとなくカルト臭が漂ってしまうからです。

信者さんはこのことを、
もう少しだけでも気をつけた方がいいのではないかと思います。
老婆心ながら……。
 
 


大川隆法(エル・カンターレ)は、神なのだろうか?

 
エル・カンターレ信仰について
三次元的な価値観のとらわれを取り去り
肉体人間としての大川隆法ではなく
その奥にあるものを見るようにするのが肝要だ
という意見はよく聞く
 
正直な感想をいえば
これは、おかしな理屈であると思う

そもそも
神とは
相対的な存在ではなく
絶対的な存在であるという

それならば
神は
どのような視点から見ても
どのような価値観で判断しても
完全でなければおかしいのではないだろうか

たとえば(変なたとえで恐縮だが)
人は不完全であるから
左顔より、右顔が美形だとか
前より、後姿が美しい
ということもあるが

絶対である神は
右から見ても
左から見ても
前から見ても
後ろから見ても
どこの誰が
どのように見ても
完璧に美しいのが当然なのだ

大川隆法のように
肉体人間として見てはいけない
三次元的な価値観で見てはいけない
天上では完全でも、三次元では不完全になる
などと、ややこしい条件を付さなければ
神に見えないのであれば、
これこそが彼が神ではない証拠ではないかと思う。






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  • 「小学」(新釈漢文大系 第3巻)
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