楽山日記

ヤフーブログから引っ越してきました。特にテーマは決めずに書いてますが、スピ系の文章が多めです。若気の至りでハマってしまった宗教についても書いてます。よろしくお願いします。ヤフーブログの楽山日記と区別するために、ブログタイトルの末尾にLDとつけていましたが、ヤフーブログはなくなったので、末尾のLDも削除することにしました。

「幸福の科学」にとってのユートピアとは?


信者さんのブログを見ていて
 
信者さんは
ユートピアについてどう考えているのだろう
と疑問に思った。
 
最近の「幸福の科学」では
ユートピアについて
どんな風に説いているのだろうか?
 
幸福の科学に批判的な人は排除してこそ
ユートピアは実現すると説いているのだろうか

幸福の科学に批判的な人は
みんな改心させて、信者にしてこそ
ユートピアは実現すると説いているのだろうか

それとも
幸福の科学に批判的な人がいても
思想、信仰が異なる人々がいても
ユートピアは実現できると説いているのだろうか

一体、ユートピアについて
どんなふうに教えているのだろう?
 
ちなみに、
自分は、後者の考え方をしている
 
信者だけの社会とか
批判者だけの社会とか
そんな風に
特定のタイプの人しかいない社会は、
自由のない独裁的な社会や、
全体主義社会であって、
ユートピアではないと思ってる

信者
批判者
その他の人たちなど
多種多様な人たちが集まり
それぞれが、それぞれの意見を持っていて
喧々諤々の議論をするときがあっても
深いところでは他者に対する信頼があり
何か困ったことがあったときには
みなが助け合い、協力し合う社会こそがユートピアだと思う
ブログ村の幸福の科学カテゴリーでの騒動をみていて
そんな感想を持った次第である。

こんにちは!

こんにちは!
ブログ村のみなさん。
しばらく前からブログ村に注目していましたが、
信者も、
退会者も、
他宗教の人も、
みな自分の意見を堂々と述べていて、楽しそうなので、
自分も仲間に入れてほしいなと思っていました。
よろしくお願いします。
 
 


尊い信仰とは? (榎本保郎『旧約聖書一日一章』)



尊いのは愛によって働く信仰だけである。
(榎本保郎『旧約聖書一日一章』主婦の友社、昭和62年、p.190)

著者はただ信仰が尊いとしているのではなくて、愛によって働く信仰だけが尊いと強調しているのが印象的だ。そして著者はその愛のあり方を次のように書いている。 

私たちは、強い者が弱い者の弱さをになうことにおいて、すなわち愛において連帯に生きることがすすめられている。
(同上、p.190))

これは自分にとって耳に痛い言葉だ。自分はかつて、ある宗教教団(幸福の科学)に所属しているとき、弱い者の弱さをになうことをしていなかった。弱い者いじめがあっても、それをいじめとわからなかったり、傍観者になってしまっていた。ここは今思い出しても心苦しい。反省しないと……。


ギャラリー
  • 『はじめて読む聖書』田川建三ほか
  • 『ブッダという男』清水俊史著
  • 『光る国神霊物語 大悟徹底の手引書』門田博治、花井陽三郎著
  • 『易と人生哲学』安岡正篤著
  • 『ほくろの呼び鈴 父 実篤回想』武者小路辰子著
  • 『『涅槃経』を読む』高崎直道著
  • 『魔女狩り』森島恒雄著
  • 『国史総論』内田銀蔵著(昭和17年)
  • 『私の記録』東久邇宮稔彦著(昭和22年)
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  • 『皇国体の真髄』松永材著(昭和15年)
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  • 『韓国 堕落の2000年史』崔基鎬著
  • 『宣戦大詔謹解』朝日新聞社刊(昭和十七年三月)
  • 「小学」(新釈漢文大系 第3巻)
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