楽山日記

ヤフーブログから引っ越してきました。特にテーマは決めずに書いてますが、スピ系の文章が多めです。若気の至りでハマってしまった宗教についても書いてます。よろしくお願いします。ヤフーブログの楽山日記と区別するために、ブログタイトルの末尾にLDとつけていましたが、ヤフーブログはなくなったので、末尾のLDも削除することにしました。

『真理の謎 心霊界の解明』エンゼル森永著

『真理の謎 心霊界の解明』 エンゼル森永著

*一歩前進?
 神智学には難解というイメージがあるのだが、本書は平易な入門書とのことなので、自分にも理解できるかもしれないと期待しつつ読んでみた。しかし残念ながらよく分からなかった。やっぱり神智学は入門書であっても難しい。
 ただそれでも本書を最後まで読み通すことができたのはよかった。おそらくこれまでに精神世界ものの本をあれこれ読んでいたので、その方面の用語にはある程度馴染みがあったからだろう。随分前に神智学関連の本を読もうとしたときは、ちんぷんかんぷんで1ページも読まないうちにあきらめたことからすれば大した進歩だと思いたい。
 また本書には神智学の説明とは別に、著者の述懐を記した箇所がいくつかあり、ここは平易な言葉で語られているおかげで、本書の中のオアシスのような感じられ、よい気分転換になった。これも本書を通読できた理由の一つだろう。

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『死は存在しない 最先端量子科学が示す新たな仮説』田坂広志著

『死は存在しない 最先端量子科学が示す新たな仮説』田坂広志著

*死は存在しない?
 とある筋から本書のことを知り、興味を持ったので一読してみた。どうやら著者の主張は、次のようなものであるらしい。
 この世界には、ゼロ・ポイント・フィールド(深層世界)というものがあり、そこには人々の経験や思いが全て記録されている。人が死にその肉体は滅んだとしても、このゼロ・ポイント・フィールドに記録されている当人の経験や思いは失われないので、この意味で人に死は存在しないことになる。
 ただしゼロ・ポイント・フィールドは単なる記録保管所ではなく、一つの意識体であるから、そこに保存されているのは記録というよりは、記憶であり、刻々と変化して行くものである。だからゼロ・ポイント・フィールドに遺された死者の思いは、固定的なものではなく、少しずつ変化して行き、次第にエゴを失い、やがてはゼロ・ポイント・フィールドの意識と同化することになる云々。
 これはあくまで自分の読解であるから、不正確なところもあるかもしれないのだが、自分としては著者の意見を大体このように理解しつつ、人の意識のコピーは残るが、オリジナルは滅びるというのでは仕方がないというさみしい心持ちがした次第である。しかしおそらくはこういった感慨は自我にとらわれているが故なのだろうし、ゼロ・ポイント・フィールドの記録をコピーとするのは間違いで、それに同化しない部分こそ偽物の自分だと考えるべきなのだろう。


*不思議な出来事
 また著者は、さまざまな不思議な出来事についても、このゼロ・ポイント・フィールドによって説明している。たとえば、予知などは、人の意識がさまざまな情報を集積しているゼロ・ポイント・フィールドと同通することでおきるだとか、故人の霊と会うというのは、ゼロ・ポイント・フィールドに保存されている故人の記録を合成したものと会うことであるとか、心霊スポットとはゼロ・ポイント・フィールドと同通しやすい特定の場所なのだろうなど。
 こういう説明を読むと、ゼロ・ポイント・フィールド仮説を用いれば、大概の神秘現象は説明できてしまいそうだからおもしろい。


*疑似科学?
 個人的な感想としては、本書は疑似科学系のスピリチュアル本であるように思う。自分は最先端科学については何も知らないので、本書に書かれていることについて、科学的な観点から、あれこれ論評する能力はなく、これはあくまで自分がそのように感じたということにすぎないのだけれど…。
 ただそれはそれとして、著者の提唱するゼロ・ポイント・フィールド仮説は実にユニークであるのは間違いない。他の書籍も読み、著者の世界観をもっと知りたいと思う。


『人生に悩んだから「聖書」に相談してみた』MARO(マロ)著

『人生に悩んだから「聖書」に相談してみた』MARO(マロ)著

*はじめに
 聖書の分かりやすい解説本はないかと探していたら、本書を見つけたので読んでみた。マロ氏の著作なら、面白くて、ためになるに違いないと思ったので。


*教会
 結果はと言うと、期待通り…いや期待以上だった。くすっと笑えるところ、心がほんのり温かくなるところ、聖書について「なるほど」と思える話が多々あった。
 二、三の例を挙げるとすると、まず一つは教会に関する記述である。教会は「すべての人に開かれている場所」であり、「クリスチャンではない人でも、つらいときは逃げ込んでいい」(p.22)のだという。また教会は行く場所というより、「「帰る」場所、すなわちホーム」(p.32)であるという。こういう話を聞くと、教会を身近に感じるし、その優しさは心にしみるものがある。


*「いいこと図鑑」と「良書の証」
 もう一つは、「いいこと図鑑」のすすめである。どうしても悪いことにばかりに注意が向いてしまう場合は、意識的にいいことを見つけ、日記に書き留め、自分だけのいいこと図鑑をつくろうというのである。いいこと図鑑、または、いいこと日記というのは想像するだけで気分が明るくなるし、いいアイディアだと思う。
 三つ目は、眠くなる本は良書の証だという話である。その理由はといえば…悪い演奏では寝ていられないが、良い演奏ではうとうとすることができる。同様に、おかしなことが書いてある本は不快でとても眠ることはできず、むしろ目が冴えてしまうことさえあろうが、いい本を読めば心は安らぎ、すやすやと眠ることになる。したがって「有史以来、おそらく世界でもっとも多くの人を眠りに落とし込んでいる本であろう聖書は、世界でもっとも良い本である」(p.49)のだそうな。こういう風が吹けば桶屋が儲かる式の理屈は、実に愉快である。


*「試練」と「誘惑」
 四つ目は、聖書の言葉についての話であるが、「神は真実な方です。あなたがたを耐えられない試練にあわせることはなさいません」(コリントⅠ 10:13)の「試練」は、ギリシア語では「誘惑」という意味もある言葉であり、本来は「越えられない困難はない」ではなく、「越えられない誘惑はない」と訳すのが本当であるという。だから越えられない試練は現実にありえるのだから、そういうときは、自分だけで苦しまずに神様を頼っていいのだと…。
 この部分は長年、違和感があったところなのだが、この説明を読んで真夏に水浴した後のようなさっぱりした気分になることができて有り難い。やっぱりマロ氏の著作は面白くて、ためになる本である。


ギャラリー
  • 『はじめて読む聖書』田川建三ほか
  • 『ブッダという男』清水俊史著
  • 『光る国神霊物語 大悟徹底の手引書』門田博治、花井陽三郎著
  • 『易と人生哲学』安岡正篤著
  • 『ほくろの呼び鈴 父 実篤回想』武者小路辰子著
  • 『『涅槃経』を読む』高崎直道著
  • 『魔女狩り』森島恒雄著
  • 『国史総論』内田銀蔵著(昭和17年)
  • 『私の記録』東久邇宮稔彦著(昭和22年)
  • 『私の記録』東久邇宮稔彦著(昭和22年)
  • 『皇国体の真髄』松永材著(昭和15年)
  • 『皇国体の真髄』松永材著(昭和15年)
  • 『皇国体の真髄』松永材著(昭和15年)
  • 『皇国体の真髄』松永材著(昭和15年)
  • 『韓国 堕落の2000年史』崔基鎬著
  • 『宣戦大詔謹解』朝日新聞社刊(昭和十七年三月)
  • 「小学」(新釈漢文大系 第3巻)
  • 「小学」(新釈漢文大系 第3巻)
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