背教の心起これば野に出でて霧に泣きぬれひれ伏して祈る
(谷口雅春『生命の實相 頭注版 第19卷』(自傳篇上)日本教文社、昭和50年、p.140)

この気持ちはすごく分かる気がする。信じたいし、信じなければならないのに、信じ切れないのは本当につらい。
 
ただ、信じ切れないからこそ、切実に神を求めることができるとも言えるかもしれない。少なくとも自分の場合は、信仰が揺らいだからこそ、より強く真実の神を求め、祈ることができるようになったと思う。