一〇二八 (ゴータマは答えた)、「バーヴァリ・バラモンも、諸々の弟子も、ともに楽しくあれ。学生よ、そなたもまた楽しくあれ。永く生きよ。一〇三〇 バーヴァリにとっても、そなたにとっても、いかなる人にとっても、もしも疑問が起こって、心に問おうと欲するならば、何でも質問しなさい。」(『ブッダのことば -スッタニパータ-』(岩波文庫)中村元訳)
いかなる人でも疑問点があるなら何でも質問しなさいと言ってくれる指導者は、まさに理想的な指導者と言えるのではないだろうか。
世の中には、弟子が疑問を持つことを禁ずる指導者や、質問されると腹を立てる指導者も少なくないのだから、このように疑問、質問に寛容な指導者とめぐり合えた人は幸せだ。
思い出してみれば、論語でも孔子とその弟子たちはずいぶんと自由な雰囲気で語り合っている。プラトンの対話篇でもソクラテスとその他の人々は自由な議論をしている。
ブッダ、孔子、ソクラテスらが、書物に記されている通りの人物であったのか、実際のところは判然としないが、ただそれでも多くの人々が、仏典や論語にあるように、疑問があるときには自由に語り合える師弟関係を理想としていたということは言えそうに思う。実際に、このような師と出合えた人は本当に幸せだ。
よくわからないけど、とりあえず読んでみたいと思ってね。
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がしました