信仰には、およそ二種類ある。「信じよう」という意識のない信仰と、「信じよう」という意識に支えられている信仰である。
 
はっきりいって、前者の信仰は安定しているが、後者の信仰は危ういところがある。意識的に、「信じよう!」と決意するということは、そうしないではいられないほどに、信仰が揺らいでいるということだから。
 
乾いた砂が、手からこぼれ落ちるように、信仰心が心からこぼれ落ちようとしているからこそ、「何があっても、信仰は失わないぞ!」「この信仰の綱は、絶対に放さない!」などと強く決意しなければならなくなっているのだ。
 
「わたしは、エル・カンターレを信じる! この信仰を守りぬく!」と決意し、自らを奮い立たせないではいられない信者には、この事実に気づいてほしいと思う。
 
そうすれば、きっと、「信仰するぞ!」と気張る信仰ではなく、もっと自然で、ゆったりした信仰を得られるはず。