信仰の主体とはなんだろう? 
信仰は、自分が神を信じることだから、
その主体は、自分ということになりそうだ。
 
一方、愛は、無私によるものであり、
無私とは自分を空しくし、神と一体になることだから、
主体は神ということになる。
 
もっと簡単に言えば、、
愛は、
神に、自分の手足を使っていただくことなのだから、
その主体は神であるともいえる。
 
・自分が持っている信仰。
・神の行為である愛。
 
自分がすること(信仰)、
神がすること(愛)、
……どちらが優先されるかは明白である。
 
熱烈信者の中には、
信仰を徹底することを優先にするばかりに、
他者を苦しめる人がいるが、
このタイプの人が美しく見えないのは、
他者をいたわる愛(神の行い)よりも、
自分の信仰(我)を通そうとしているからなのかもしれない。