小説を読んでいると、「自分にもそういうところはあるなぁ」と反省させられることがあります。
たとえば、モーパッサンに「女の一生」という作品がありますが、この中に個性の異なる二人の神父が登場しています。
一人は、未婚の村娘が妊娠したりすると、その罪を裁くよりも、幸せな結婚ができるように世話してくれる神父です。
もう一人は、とても厳格で、性を禁忌事項とするあまりなのか、犬の出産を興味深く見守っている子供たちを怒鳴りつけ、追っ払い、母犬や子犬たちを踏み殺すような神父です。
私は、後者の神父は大嫌いですが、よくよく考えてみれば、信者だった頃の自分にもそういう所はあったようです。たとえば、他人の趣味に対して、「それは地獄的だからだめだ。波動が悪いからだめだ」などと、うるさく干渉していました。
子犬を踏み殺すようなことはしませんでしたが、それでも自分の信じる宗教を絶対視して、自分のみならず、他人までもそれに服従させようとするところは、後者の神父と大差はなかったかもしれません。
今、当時のことを思い出せば、冷や汗が出ます。反省です。






















