この前、ゴールズワージーの「林檎の樹」を再読しました。宗教について考えさせられました。
この作品の背景には、キリスト教では、自殺は禁忌事項であり、自殺者は教会の墓地ではなく、十字路に埋めるという慣わしがあります。
私は前々から、これは無慈悲だと思っていたのですが、よく考えてみれば、信者だった頃は、これと似た発想をしていたかもしれません。
たとえば、当時の私は、幸福の科学の神理に反することをした人は敬遠していました。表向きは、そういう人をあからさまに避けたりはしないものの、心の中では、そういう人に寄って来られると悪霊がうつってきそうで怖かったというのが本当です。
これでは禁忌事項を犯した自殺者は教会墓地に入れずに、遠ざけるという慣わしを批判する資格はないかもしれません。
宗教は、人々に、許しと救いをもたらすものなのか、それとも裁きと排斥をもたらすものなのか、難しい問題だと思います。






















