サリンジャーの「フラニーとゾーイー」(新潮文庫)は、いつかまた再読したい小説です。
 
大分前に読んだきりですが、作中で、祈り、念仏など宗教について触れられていたこと、ゾーイーのやさしさなどが印象に残っています。宗教的な苦悩を救うのは、神ではなくて、家族愛かもしれないと思ったりしたものでした。もちろん、家族愛の背後には神の意思があるとして、あくまで神を主役とすることは可能かもしれないですけど。
 
あとは、本来なら、この小説は、フラニーの立場で読むべきなのだろうけれども、自分の場合はフラニーとデートするつもりだった青年の立場に立って読み、「自分にもこういうところはあるなぁ」と恥ずかしく思ったりしたものでした。若いころには、正しくないことだと分かってはいても、これをしては彼女を不快にさせ、嫌われるだけだと分かってはいても、どうにも自分を抑えられないときもあったのでした。
 
そんなわけで、「フラニーとゾーイー」は、もう少し時間が経って、その内容をもっと忘れたころに、ぜひ再読したい小説です。