ヘッセに、「クヌルプ」という作品があるが、この中に、クヌルプと神さまが対話する場面がある。
 
神さまはそこで、自分の人生を受け入れられないでいるクヌルプに次のように言っている。

わたしが必要としたのは、あるがままのおまえにほかならないのだ。
(ヘッセ『クヌルプ』高橋健二訳、新潮社[新潮文庫]、平成12年、p.123)

そして、クヌルプは神さまとの対話を通して、あるがままの自分を受け入れるようになる。

「じゃ、もう何も嘆くことはないね?」と神さまの声がたずねた。
「もう何もありません」とクヌルプはうなずき、はにかんで笑った。
「それで何もかもいいんだね? 何もかもあるべきとおりなのだね?」
「ええ」と彼はうなずいた。「何もかもあるべきとおりです」 
(同上、p.124)
 
こういう文章を読むと、悟りというのは、自分以外の何かになることではなく、あるがままの自分を受け入れることなのかもしれないと思う。