そこで尊師は、「慢心にたかぶる」という名のバラモンに対して、次のように言われた。――「もうよろしい。バラモンよ。立ち上がれ。自分の座につけ。あなたの心はわたしを信じて浄くなっているのだから。」
(『ブッダ 悪魔との対話―サンユッタ二カーヤⅡ―』中村元訳、岩波書店〈岩波文庫〉、1986年、p.167)

人は、浄い仏陀を信じ、受け入れることによって浄くなるのか? それとも、自ら浄くなることで、浄い仏陀を信じ、受け入れられるようになるのか? どちらが本当か判然としないが、なんとなしに、どちらも本当で、同時に実現されるのではないかという気はする……。


*追記 20180420
仏陀を信じることで清浄となるというのは、キリスト教の信仰によって義とされるという考え方に似たところがあるかも…。