ブッダについて、中村元氏は『ブッダのことば』の註で、次のように書かれています。
仏教が最初に説かれたときには、後世の仏教徒が考えたような「仏」を問題としていたのではない。思慮ある人、求道者としてのブッダを考えていただけなのである。この箇所の前後の関係から見ると、ブッダ(buddha)とビク(bhikkhu)とは、同義語なのである。両者が分離する以前の段階を示している。また求道者としてのbodhisattvaをブッダから区別したのは、後代の思想的所産なのである。(『ブッダのことば』中村元訳、岩波書店〈岩波文庫〉、1985年、p.326)
ところで、ゴータマ・ブッダがどの生き方を最上と見なしたかは不明であるが、文脈から見ると〈道による勝者〉または〈道に生きる者〉を特に尊んでいたようである。かれは特殊な哲学説や形而上学説を唱導したのではない。人間としての真の道を自覚して生きることをめざし、生を終えるまで実践していたのである。(同上、p.271)
これによると、当初は、ブッダは特殊な説を述べることはなく、思慮があり、人の踏むべき道を歩む求道者であったということでしょうか。また、ブッダとビクとは同義語だったというのはとても興味深いです。
私は、ブッダと聞くと、人を超えた特殊な存在を想像してしまうところがあるので、こういう見解を読むと、目からウロコが落ちる思いがします。