幸福の掲示板を見ていたら、あれっと思う箇所があったので確認してみました。 

信仰を、日本では一般に、百パーセントの確信というふうに考えがちです。そうじゃなくて、前にも述べたように、ベルナノスの言う九十パーセント疑って十パーセント希望を持つというのが宗教的人生であり、人生そのものでもあると思うんです。人間というものは、そんなに強かったら宗教は要らないと思います
(遠藤周作『私にとって神とは』光文社、1983年、p.15)

九十パーセント疑い、十パーセント信じるというその十パーセントは九十パーセントより強いかもしれません。その十パーセントとは無意識のところで信じていることだと思います。意識のところでは、たくさん疑う面があるんだけれども、さっき言った仏教で言う阿頼耶識のところで信じさせているものがあるのではないでしょうか
(同上、p.39)

遠藤周作の『私にとって神とは』では、上のようになっているようです。信仰とは99パーセントの疑いと1パーセントの希望としても、90パーセントの疑いと10パーセントの希望としても、言わんとすることは分かるし、どっちでもいい気もしますが、参考までに引用しておきます。
 
思い返してみれば、私は、信仰とは100パーセントでなければならないという強迫観念に圧迫されてつらかった時期に、この文章を読んで、すごく気持ちが楽になったのでした。そんなわけで、『私にとって神とは』は自分にとって思い出深い本です。