某所にて、ある仏教学者らを批判する記事を読みました。その中身は、大雑把にいえば、自分の信じる釈迦像は正しく、その他の釈迦像はまちがっているというものでした。
熱い信仰を持っている人であれば、自分の信仰とは相容れないものは批判しないではいられないのかもしれません。ただそんなことをしてみても、言いたいことを言ってやったという自己満足は得られても、他者には何の影響も与えられないのではないかと思います。なぜなら、特定の信仰を根拠にした意見は、それとは異なる信仰を持つ他者に対しては無力だからです。
たとえば、現実に生きていた歴史的人物である釈迦を研究している学者に対して、「その研究はまちがっている。自分の信じる釈迦はこれこれである」といったところでどうにもなりません。「ああそうですか。私は、あなたの信仰する宗教上の釈迦ではなく、歴史的人物である釈迦が知りたいのです」と言われたらおしまいです。
また他人の信じる釈迦像が、自分の信じる釈迦像とちがうと憤慨しても、これもまたどうしようもないことです。「ああそうですか。私は、あなたとは別の宗派で説かれている釈迦を信じます」といわれたらおわりです。
以上、上の記事を読み、自分の信仰によって、あらゆるものを批判しようとする人には、この点よく考えてみてはどうかと思った次第です。