神を知り、神のみわざを解釈することは、ひとり神にのみ属することがらである。
(『世界の大思想7 モンテーニュ 随想録(エセ―)下』松浪新三郎訳、河出書房新社、昭和48年、p.63)

聖典には神の言葉が記されているとすれば、それを正しく解釈できるのは、神だけなのかもしれません。
 
だとすれば、聖典について「この御言葉はこのように解釈すべきであって、他の解釈は間違いである」と断言することは、〝自分は神と同等の認識力を持っている。自分には神の心が分かる〟という傲慢な行為であり、決して許されることではないでしょう。