伝習録によれば
王陽明は
ある時
次のように語ったという
昔、子夏は孔子を心から信じて、孔子の説にそのまま従ったが、曾子は自己の心に尋ね求めて確かめたという。聖人を心から信じて教えのままを奉ずるのも、勿論結構であるが、自己の心に尋ね求めることの適切なのには及ばない。今、きみのようにまだ心に納得できないというなら、どうしていつまでも旧聞に執着して、本当に正しいものを求めることをしないでよかろうか。あの朱子も程子を尊信はしたが、自己の心に納得できないことに対しては、たとえ程子の説であっても、決していい加減に従うようなことはしなかったのだ。(『新釈漢文大系13 伝習録』近藤康信訳、明治書院、昭和49年、p.44)
聖人の教えに
ひたすら従順であるのもよいが
それだけでなく
自己の心に尋ね求めるのは
さらに、よいということらしい
権威主義に陥らず
どのような聖人の言葉であっても
納得できないことは納得できないとするのは
これこそ本当の勇者ではないかと思う。