とある宗教を信じていたころの自分は
いつも教祖のことば(教義)を基準にして
考え、行動していた
 
教祖が
善とするものは善とし
悪とするものは悪とし
正とするものは正とし
邪とするものは邪とし
真実とするものは真実とし
存在するとするものは存在するとそのまま信じていた
 
また教祖が
当教団は、多くの有識者から高い評価を得ている
信者でない者はこのようなものである
霊とはこのようなものである
霊界はこのようなものである
唯物論者とはこのようなものである
悪魔、悪霊とはこのようなものである
生まれ変わりの仕組みとはこのようなものである
菩薩、如来とはこのようなものである
あなた方の目的と使命とはこのようなものである
法とはこのようなものである
真理とはこのようなものである
云々と言えば、それらもそのまま信じていた
 
ようするに
信仰をもっていたころの自分は
教祖のことば(教義)をそのまま信じるばかりだった
それで自分は真理、真実を知っていると満足していた
だから、事実を確認し、論理的に思考することは
しなかったし、できなかった
その必要性も感じなかった
 
このような信者時代を振り返ってみると
つくづく自分にとっては、
信仰というものは
知性、判断力を鈍らせるものだったと思う