・アンチのかたち|掲示板 幸福の科学会員で教義上の疑問を解決したい
http://www.beach.jp/circleboard/ac86119/topic/1100200784765
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ueyonabaruさんが、アンチについての感想を書いておられました。自分もそれについての感想を書いてみます。
O 教義の理解が不十分である。そうであるにもかかわらず、すべて知っていると錯覚している。
想像するに、教義に不可解な点があったとき、信者は「自分には分からない深い意味があるにちがいない」として判断を控えたり、つじつま合わせの理屈を考えたりすることが多いのではないでしょうか。
一方、多くのアンチは、エル・カンターレを神聖視したり、絶対視したりはしていないので、教義に不可解な点があれば、「おかしい、間違っている」とあっさり結論を出します。
このようなアンチを、信者が見たとき、「アンチは短絡的で傲慢だ」という感想を持つのも致し方ないことかもしれません。
一方、多くのアンチは、エル・カンターレを神聖視したり、絶対視したりはしていないので、教義に不可解な点があれば、「おかしい、間違っている」とあっさり結論を出します。
このようなアンチを、信者が見たとき、「アンチは短絡的で傲慢だ」という感想を持つのも致し方ないことかもしれません。
O 悪口、不満、不信、悪意、に満ちている。
そういうアンチもいると思います。ただし正当な批判が、誹謗中傷と切り捨てられていることも少なくないでしょう。
O 過去に、大川隆法に過大な期待を寄せていたことがあり、大川隆法が不完全であることを知ってからは、全否定にいってしまう。
極端から極端にぶれただけなら、時間が経てば落ち着きそうです。もし時間が経っても落ち着かないなら、単に極端から極端にぶれただけではなく、それ以外にも原因があるのかもしれません。
O 不確かなウワサに左右され、信仰を失う。
悪い噂に惑わされて信仰を失うというよりは、まず信仰に疑問を持ち、その後で内部告発などを読み、退会するという流れの方が多いのではないでしょうか。
O アンチの人々は、悪口を散々言うが、大方は、対案を示しての反論をしない。
これは政治についてでしょうか。信仰についてなら、幸福の科学よりは、スピリチュアリズムや、伝統宗教の方がいいだろうという意見はよく聞きます。
ちなみに私自身は、もともと無宗教で育ったので、無宗教がいいと思ってます。ここでいう無宗教というのは、無神論というよりは、特定の宗教信仰に固執しないという意味合いです。
ちなみに私自身は、もともと無宗教で育ったので、無宗教がいいと思ってます。ここでいう無宗教というのは、無神論というよりは、特定の宗教信仰に固執しないという意味合いです。
あと、基本的にいって、信仰は人に見つけてもらうものではなく、自分で見つけるものであろうし、信者さんがよく口にする「幸福の科学を批判するなら、それ以上の宗教を示してみよ」という台詞は、おかしなものであるように感じます。
O こちらの質問に答えることをしないで、一方的に批判を続ける。だから、対話、討論というものが成立しない。
信者にはこのように見えているのでしょうか。私は、信者は、アンチの質問に返答せずに、一方的に対話を打ち切ることが多いと思っていたので意外です。
O 彼らは、悪魔、悪霊が憑依しているようで、いつも悪霊波動を発している。2chを見るとそれがハッキリと分かる。それらは、信仰心の敵であろう。
多くの信者が、人の話を聞けない、人と向き合えない原因はこの発想にあるのではないでしょうか。この発想がある限り、自分の信仰に都合の悪い発言に対しては、「憑依霊に言わされている」などとして切り捨ててしまい、異なる意見を持つ相手と向き合い、その言葉に真摯に耳を傾けることは難しいでしょう。
O 正しいことが真逆に見えてくる。価値観の反転がある。これが、かつての信者かと思われるような発言をするが、なかなか自身を訂正することができない。
信者に対して、同じような感想を持っています。
たとえば、元妻に対する酷い悪口、本人の著作かと見間違うような守護霊本などを肯定するのは、正邪善悪が逆転しているのではないでしょうか。
たとえば、元妻に対する酷い悪口、本人の著作かと見間違うような守護霊本などを肯定するのは、正邪善悪が逆転しているのではないでしょうか。
こんなところが気になることである。要は、信仰心の欠如である。信仰心とは、相手を信じることである。
これも上に同じく、信者に対して同じ印象を持っています。信者の多くは、自分たちを害そうとしている者たちがいるという被害妄想、疑心暗鬼にとらわれていて、アンチの善意が信じられないでいるように見えます。
信仰心のことを言うと、しり込みする人がいる。とても絶対の帰依はできないという。理性が納得しないというのだ。理性が納得しないのであれば、納得するまで理性でもって追及すればいいではないか。
信仰心を養うには、日々の宗教的作業を続けることである。それで、段々に分かってくることがあるのだ。普段の地道な努力でしょう。
信仰心があまり起こらないときにも、支部への関心は失ってはいけないと思う。信仰心がグラツクことがあれば、神に祈るが良い。かならず、心は冷静になりなんとかしのげるものである。神は応えてくれると思っている。
信者さんを見ていると、「エル・カンターレ信仰を失ってはならない」という強迫観念にとらわれているように見えます。
私自身も信者だったころは、「エル・カンターレ信仰を失ってはならない。手放してはならない」と思っていました。でも今は、そういうこだわりはなくなり、次のように考えています。
「神様は、私を正しく導いて下さる。大川隆法の下で学ぶべきことがあるときはエル・カンターレ信仰を持たせるし、そこでの学びが終わったときはエル・カンターレ信仰を止めさせて、他に導いて下さる。エル・カンターレ信仰にも、その他の信仰にも執着することなく、神の導きを信じよう」
神を信じていれば、特定の宗教信仰を維持しなければならないというような焦りはなくなり、幸せになるのではないかと思います。
私自身も信者だったころは、「エル・カンターレ信仰を失ってはならない。手放してはならない」と思っていました。でも今は、そういうこだわりはなくなり、次のように考えています。
「神様は、私を正しく導いて下さる。大川隆法の下で学ぶべきことがあるときはエル・カンターレ信仰を持たせるし、そこでの学びが終わったときはエル・カンターレ信仰を止めさせて、他に導いて下さる。エル・カンターレ信仰にも、その他の信仰にも執着することなく、神の導きを信じよう」
神を信じていれば、特定の宗教信仰を維持しなければならないというような焦りはなくなり、幸せになるのではないかと思います。
〈了〉
・第4回「島守・防人に感謝する集い」
http://hijai.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7685229
・第4回「島守・防人に感謝する集い」 :掲示板:幸福の科学会員で教義上の疑問を解決したい
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