人には仏性・良心があると信じていたころは、よく他人に腹を立てていた。「それでも仏性があるのか!?」「なんで良心に嘘つくんだ!?」みたいな。
でも、人は遺伝と環境によってプログラムされた機械だというような考え方を知ってからは、他人に腹を立てることが少なくなってきた。不作法な人を見ても、自分でどうにもできないのだろうし、まあ仕方ないかなと、あまり気にしないようになってきた。
人間機械論は、冷たい考え方だと思っていたけれども、必ずしもそうではないのかもしれない。人は機械のようなものなのか、それとも仏性・良心があるのか、どちらが本当かはわからない。ただそれでも人間機械論には道徳的宗教的に何のプラス面もないというわけではなさそうだ。