*宗教の二つの側面
一説によると、道徳を教えるのは宗教であるという。また、道徳の根幹は宗教であるともいう。これは本当だろうか。
たしかに、宗教の教えには道徳と合致するものがある。殺してはいけない、命は大切にしなさい、家族や友人を大切にしなさい、盗んではいけません、嘘をついてはいけませんなどの教えは沢山あるだろう。
けれども宗教には、これらとは正反対の教えもある。神の命令による殺人をよしとしたり、信仰のために命を捨てることをよしとしたり、家族や友人を捨ててでも神に奉仕することを求めたり、効果の確かでない儀式、まじないで高額な料金を取ったり、人を導くための嘘(方便)が許されたり……。
こうしてみると、宗教には道徳的な教えもあるけれども、それとは正反対の教えもあると言えそうだ。宗教の初歩的な教え……殺してはいけない、盗んではいけない等は道徳を教える役割はあるだろうけれども、その奥にある部分……聖戦、殉教、出家、まじない、儀式、方便等については必ずしも道徳のためになるとは言えないのだ。「道徳を教えるのは宗教である」「道徳の根幹は宗教である」というのは、宗教の働きの一面を語っているのかもしれないが、そのすべてを語っているわけではないのである。
*宗教との付き合い方
宗教は、入口では道徳的なことを説いていても、その奥に進んでいけば反道徳的なことが説かれている場合が少なくないとすれば、道徳的な社会を築くという目的のためには、宗教との付き合いはほどほどにしておくべきで、のめり込んだり、深く関わらない方がよいということかもしれない。
これは、無宗教者が大半を占める日本社会は、比較的、治安はよく、モラルも高いとされていることからも当然に導き出される結論である。いわば日本社会は、柿から渋を抜いて食べるように、宗教から渋を抜いて利用することに成功している。宗教と道徳に関しては、日本は今のままでよいのだ。強いて言えば、もう少し、カルト、疑似科学、トンデモ等に対する警戒心を強く持つべきだということくらいか……。
なんだか個人的な感想にすぎないのに、「日本が……」「社会が……」と大袈裟な話になってしまったが、日本の場合はほんと宗教や道徳について変にいじろうとするよりは、現状維持でいいと思う。〈了〉