*心ない言葉
宗教信者と話していて、酷いなあと思うことがある。それはたとえば次のような言葉を聞かされた時だ。
「信心が足りないから、そんな目に遭うんだ」
「天罰だ。罰が当たったんだ。自業自得だ」
「それは前世のカルマだ。前世の悪の報いだ」
「病は気からというだろう。心が悪いから病気になるんだ」
「地獄に墜ちるぞ」
「悪霊が憑いてるぞ」
こういう言葉は、つくづく酷いなあと思う。信者本人は自分は無慈悲なことを言っているのではなく、正しいことを教えてあげているつもりでいるから余計に始末に悪い。
「信心が足りないから、そんな目に遭うんだ」
「天罰だ。罰が当たったんだ。自業自得だ」
「それは前世のカルマだ。前世の悪の報いだ」
「病は気からというだろう。心が悪いから病気になるんだ」
「地獄に墜ちるぞ」
「悪霊が憑いてるぞ」
こういう言葉は、つくづく酷いなあと思う。信者本人は自分は無慈悲なことを言っているのではなく、正しいことを教えてあげているつもりでいるから余計に始末に悪い。
*人生は、舞台演劇と同じこと?
かずある宗教の中には、人生を演劇にたとえるところもある。「人生は演劇のようなものだ。舞台上では敵役で戦っていても舞台を下りたら俳優同士にこやかに話をするように、この世では敵同士であっても、そういう役割をしているだけであり、霊界に戻ったら仲良くしているのだ」という風に。
それぞれが役割を演じているだけだというけれど、それだったら、虐げられ、殺される役割を与えられた人はたまったもんじゃないだろう。これも酷いたとえだなあと思う。
虐殺、難病、事故、事件などで、つらい亡くなり方をした人のことを、「肉体は滅んでも霊魂は永遠である。この世でさまざまな役割を経験することで、それが学びとなり、心を豊かにし、さらなる霊格向上に役立つのだ」という説明で済ませられるほど、人の生命は軽いものではないだろう。
かずある宗教の中には、人生を演劇にたとえるところもある。「人生は演劇のようなものだ。舞台上では敵役で戦っていても舞台を下りたら俳優同士にこやかに話をするように、この世では敵同士であっても、そういう役割をしているだけであり、霊界に戻ったら仲良くしているのだ」という風に。
それぞれが役割を演じているだけだというけれど、それだったら、虐げられ、殺される役割を与えられた人はたまったもんじゃないだろう。これも酷いたとえだなあと思う。
虐殺、難病、事故、事件などで、つらい亡くなり方をした人のことを、「肉体は滅んでも霊魂は永遠である。この世でさまざまな役割を経験することで、それが学びとなり、心を豊かにし、さらなる霊格向上に役立つのだ」という説明で済ませられるほど、人の生命は軽いものではないだろう。
*宗教は誰のためにある?
宗教は突き詰めていけば、すべては神のためにということになるのかもしれない。人は神のために尽くすことに存在価値がある、神の御心を実現するための道具であるという方向に進み、人の価値は軽くなって行く。
ただそれでも自分の信じる宗教の教義によって、自分と自分の命の価値を判断するだけならまだいい。自分の信じる宗教の教義によって、他人と他人の命の価値までも判断されてしまうからたまらない。
宗教に熱心な人は、自分の宗教によって、自分のみならず、他人までも判断するから、他人の苦痛に無頓着になってしまいがちだ。すべての熱心な信者がそうではないだろうけれども、そういう人が少なからずいて、目立っているのは確かと思う。
宗教は突き詰めていけば、すべては神のためにということになるのかもしれない。人は神のために尽くすことに存在価値がある、神の御心を実現するための道具であるという方向に進み、人の価値は軽くなって行く。
ただそれでも自分の信じる宗教の教義によって、自分と自分の命の価値を判断するだけならまだいい。自分の信じる宗教の教義によって、他人と他人の命の価値までも判断されてしまうからたまらない。
宗教に熱心な人は、自分の宗教によって、自分のみならず、他人までも判断するから、他人の苦痛に無頓着になってしまいがちだ。すべての熱心な信者がそうではないだろうけれども、そういう人が少なからずいて、目立っているのは確かと思う。
*神のための宗教、人のための宗教
世の中には、宗教なしでは生きられないタイプの人もいるだろうし、宗教には絶対反対する、全面禁止にすべきだとまでは言うつもりはない。ただそれでも宗教を信じるなら、神のための宗教という側面ばかりでなく、人のための宗教ということも考えてほしいなあと思う。また他人までも、自分の宗教の型にはめようとしないでほしいとも思う。
このあたりのバランスがとれていれば、一般人が信者特有の冷酷さにぞっとさせられることもないだろうし、信者と一般人とでよい関係を築き、共存できるのではないだろうか。〈了〉
世の中には、宗教なしでは生きられないタイプの人もいるだろうし、宗教には絶対反対する、全面禁止にすべきだとまでは言うつもりはない。ただそれでも宗教を信じるなら、神のための宗教という側面ばかりでなく、人のための宗教ということも考えてほしいなあと思う。また他人までも、自分の宗教の型にはめようとしないでほしいとも思う。
このあたりのバランスがとれていれば、一般人が信者特有の冷酷さにぞっとさせられることもないだろうし、信者と一般人とでよい関係を築き、共存できるのではないだろうか。〈了〉