*つづき
以下は、「信者・アンチのブログを読む 13」のつづきです。
以下は、「信者・アンチのブログを読む 13」のつづきです。
*ピッポさん、ガンさん
ブログ村を見たら、ピッポさんが反論をし、ガンさんが再反論してた。
ブログ村を見たら、ピッポさんが反論をし、ガンさんが再反論してた。
◆わたしのブログ|ガンブロさんの批判に、お応えします
http://plaza.rakuten.co.jp/kohitujinopippo/diary/201512250000/
◇やすらぎのガンブロ|ピッポ氏よ 恥を知るのは御自身です
http://swedenborg-platon.seesaa.net/article/431695674.html
◇やすらぎのガンブロ|ピッポ氏よ 恥を知るのは御自身です
http://swedenborg-platon.seesaa.net/article/431695674.html
*神様は地獄、悪霊、悪魔の存在を許している?
ピッポさんがいう御法話は聞いてないけど、考えてみれば、神様が支配している世界の片隅に地獄界があり、そこには悪霊や悪魔が住んでいるとされているわけだ。そして神様は、地獄界も悪霊も悪魔もすべてを追い出す(消し去る?)ことが出来るけれども、それをせずに世界の片隅においてあげてる。これをもって神様は悪霊悪魔と波長同通してるとはいわない。
とすれば、ピッポさんが自分の管理するコメント欄に居ついてるぽん吉さんを追い出さないからって、二人は波長同通してるとはいえないことになるかもしれないなあ。
とすれば、ピッポさんが自分の管理するコメント欄に居ついてるぽん吉さんを追い出さないからって、二人は波長同通してるとはいえないことになるかもしれないなあ。
*場を貸すことと、賛同することはちがう
神様は、世界の片隅に、地獄霊や悪魔がいることを許してるようだ。でもそれらが悪を為すことに賛同しているわけではないだろう。
同様に、ピッポさんは自分のコメント欄での自由発言を許してる。でもだからといってコメント欄での発言すべてに賛同しているとは限らない。
どうもガンさんは、ピッポさんがぽん吉さんに場を貸していることを持って、ピッポさんはぽん吉さんと同類、同意見であり、波長同通してると解釈してるっぽいけど、それは大雑把すぎると思う。
神様は、世界の片隅に、地獄霊や悪魔がいることを許してるようだ。でもそれらが悪を為すことに賛同しているわけではないだろう。
同様に、ピッポさんは自分のコメント欄での自由発言を許してる。でもだからといってコメント欄での発言すべてに賛同しているとは限らない。
どうもガンさんは、ピッポさんがぽん吉さんに場を貸していることを持って、ピッポさんはぽん吉さんと同類、同意見であり、波長同通してると解釈してるっぽいけど、それは大雑把すぎると思う。
*コメント欄の管理方法
ガンさんのコメント欄管理は、アンチ発言など、自分にとって許容範囲外の発言は削除するというものだろう。結果としては、ガンさん自身の意見とコメント欄に書き込まれた意見はほとんど同じということになる。
一方、ピッポさんのコメント欄管理は、アンチの書き込みさえOKであって、原則どんな発言でも削除しないというものだ。結果としては、ピッポさん自身の意見とコメント欄に書き込まれた意見は必ずしも一致しないということになる。
これはつまり、ガンブロの場合は、ガンさんとコメント欄は波長同通してるとはいえても、ピッポさんのブログの場合は、ピッポさんとコメント欄は必ずしも波長同通してるとはいえないということだ。でもガンさんはこの差異についてちゃんと把握してないっぽい。二人の議論の根っ子には、こういうズレがあるかもしれない。
ガンさんのコメント欄管理は、アンチ発言など、自分にとって許容範囲外の発言は削除するというものだろう。結果としては、ガンさん自身の意見とコメント欄に書き込まれた意見はほとんど同じということになる。
一方、ピッポさんのコメント欄管理は、アンチの書き込みさえOKであって、原則どんな発言でも削除しないというものだ。結果としては、ピッポさん自身の意見とコメント欄に書き込まれた意見は必ずしも一致しないということになる。
これはつまり、ガンブロの場合は、ガンさんとコメント欄は波長同通してるとはいえても、ピッポさんのブログの場合は、ピッポさんとコメント欄は必ずしも波長同通してるとはいえないということだ。でもガンさんはこの差異についてちゃんと把握してないっぽい。二人の議論の根っ子には、こういうズレがあるかもしれない。
*そういえば
思い返してみれば、ガンさんかレオさんどっちか忘れたが、コウさんがアンチと話したり、ぽん吉さんがアンチ村に登録したことをもって、信者にあるまじき行為とか、アンチと同類とみなしたりしてたような……。
自分と異なる意見を持つ人と交流するのは普通のことだろうし、信者がアンチと交流を持ったからといってアンチの仲間になったわけじゃないだろうと思うのだけど、ガンレオさんたちはそうは考えないらしい。
まあ派閥的なことにこだわる人の中には、自分の派閥の者が、他の派閥の者と交流するのを喜ばない人がいるし、下手すると裏切りとか寝返ったとかいって怒る人もいるし、ガンレオさんもそっち系の考え方なのだろうか。
思い返してみれば、ガンさんかレオさんどっちか忘れたが、コウさんがアンチと話したり、ぽん吉さんがアンチ村に登録したことをもって、信者にあるまじき行為とか、アンチと同類とみなしたりしてたような……。
自分と異なる意見を持つ人と交流するのは普通のことだろうし、信者がアンチと交流を持ったからといってアンチの仲間になったわけじゃないだろうと思うのだけど、ガンレオさんたちはそうは考えないらしい。
まあ派閥的なことにこだわる人の中には、自分の派閥の者が、他の派閥の者と交流するのを喜ばない人がいるし、下手すると裏切りとか寝返ったとかいって怒る人もいるし、ガンレオさんもそっち系の考え方なのだろうか。
*悪魔呼ばわりしてるのでは?
ガンさんは、ぽん吉さんを「悪魔」とは書いていないといってる。
ガンさんは、ぽん吉さんを「悪魔」とは書いていないといってる。
まずピッポ氏は、ポン吉さんは、悪魔ではありませんと書かれていますが、私がいつ悪魔と書きましたか?
たしかに「悪魔」とは書いてないようだけども、間接的に「悪魔呼ばわり」はしてるんじゃないかなあ。
北朝鮮ポン吉さんを、天上界の神々と思う人がいないのと同様に、ピッポ氏の霊的波動に引かれてくる霊的存在は、天上界とは全く関係がない存在ではないかと思います。
記事を読むと、ガンさんの主張は、北朝鮮=ぽん吉=ピッポというように三者を同列に考えてるようだ。HSでの北朝鮮または北朝鮮の指導者の位置づけになってますか?
また、ぽん吉さん、ピッポさんについては、「天上界の神々と思う人がいない」「天上界とは全く関係がない存在ではないかと思います。」と書いてる。これは平たく言えば、ぽん吉さん、ピッポさんに関係してるのは地獄霊だということだろう。これでは悪魔呼ばわりしてると解釈されても仕方ないかと。
また、ぽん吉さん、ピッポさんについては、「天上界の神々と思う人がいない」「天上界とは全く関係がない存在ではないかと思います。」と書いてる。これは平たく言えば、ぽん吉さん、ピッポさんに関係してるのは地獄霊だということだろう。これでは悪魔呼ばわりしてると解釈されても仕方ないかと。
*天上界とそれ以外の世界
ちなみに、自分の解釈はこういうものである。
①天上界……六次元上段階以上
②天上界ではないが天上界から指導を受けている階層……四次元(地獄界以外)~六次元中段階
③天上界とは関係がない階層(四次元地獄界の上層、天使による救済活動あり)
④天上界とは全く関係がない階層(四次元地獄界の下層、天使もなかなか行けない)
ガンさんの表現は、全体的に見れば、ぽん吉さんピッポさんは③④あたりと波長同通してるというものだろう。
ちなみに、自分の解釈はこういうものである。
①天上界……六次元上段階以上
②天上界ではないが天上界から指導を受けている階層……四次元(地獄界以外)~六次元中段階
③天上界とは関係がない階層(四次元地獄界の上層、天使による救済活動あり)
④天上界とは全く関係がない階層(四次元地獄界の下層、天使もなかなか行けない)
ガンさんの表現は、全体的に見れば、ぽん吉さんピッポさんは③④あたりと波長同通してるというものだろう。
*いまさら婉曲な表現しても……
「この宗教はおかしい、まちがってる」と思ったとしても、それを直に言えば面倒なこともあるので、「この宗教が正しいとは、まだ確信が持てないです」と言ったりするものだ。
同様に、「この霊媒に降りてるのは、低級霊だな」と思っても、「この霊媒に降りているのは、高級霊かどうか確証は持てません」と言うのが無難ではある。
ガンさんも、こういうつもりで、「天上界の神々と思う人がいない」「天上界とは全く関係がない存在ではないかと思います。」という表現にしたのではないだろうか。でも今更そんな遠回しな言い方をしてることをもって、「悪魔」と直接表現はしていないと言い訳してもむなしいと思うよ。
「この宗教はおかしい、まちがってる」と思ったとしても、それを直に言えば面倒なこともあるので、「この宗教が正しいとは、まだ確信が持てないです」と言ったりするものだ。
同様に、「この霊媒に降りてるのは、低級霊だな」と思っても、「この霊媒に降りているのは、高級霊かどうか確証は持てません」と言うのが無難ではある。
ガンさんも、こういうつもりで、「天上界の神々と思う人がいない」「天上界とは全く関係がない存在ではないかと思います。」という表現にしたのではないだろうか。でも今更そんな遠回しな言い方をしてることをもって、「悪魔」と直接表現はしていないと言い訳してもむなしいと思うよ。
*上から目線が気になってたまらない?
ガンさんのこの辺りもよく分からない。正会員に対して宣戦布告みたいなことを書くってどうなってるの?
ガンさんのこの辺りもよく分からない。正会員に対して宣戦布告みたいなことを書くってどうなってるの?
ピッポ氏よ、恥を知るのはあなたです。あなたは神ではないのに、神から目線で話すのであれば、私は徹底的にあなたと戦います。もちろんピッポ氏の仏性は否定していませんので誤解しないように。
私が信者であれば、意見が異なる信者に対してはこう考えると思うんだ。
「彼は正会員だ。大川隆法総裁が正会員として認めているということだ。とすれば何らかの正しさを持っているはずだ。その主張、行為の中に善があるはずだ。完全な悪ではないはずだ。自分が彼と対立しているということは、彼が悪だからではなく、彼との対立によって何かを学べということかもしれない」云々
でも、ガンさんはピッポさんと徹底的に戦うという。徹底的に戦うということは、大川隆法総裁が正会員と認めてるピッポさんの主張、行為は悪と認定してるということだろう。これはおかしくないかな。まあ、大川隆法総裁はユダの生まれ変わりを妻にしたというし、今はもう正会員だからといって一定の正しさを保持してるとは考えないのかな。
なんか正会員同士でも信頼しあえないのだとすると空しいなあ。
「彼は正会員だ。大川隆法総裁が正会員として認めているということだ。とすれば何らかの正しさを持っているはずだ。その主張、行為の中に善があるはずだ。完全な悪ではないはずだ。自分が彼と対立しているということは、彼が悪だからではなく、彼との対立によって何かを学べということかもしれない」云々
でも、ガンさんはピッポさんと徹底的に戦うという。徹底的に戦うということは、大川隆法総裁が正会員と認めてるピッポさんの主張、行為は悪と認定してるということだろう。これはおかしくないかな。まあ、大川隆法総裁はユダの生まれ変わりを妻にしたというし、今はもう正会員だからといって一定の正しさを保持してるとは考えないのかな。
なんか正会員同士でも信頼しあえないのだとすると空しいなあ。
*盗人にも三分の理
分からないと言えば、ぽん吉全否定みたいのもよくわからない。ぽん吉さんの誹謗中傷コピペは批判されて当然とは思う。でも、ぽん吉さんの「自称宇宙人さんへ」に対する抗議は正当なものだろう。
分からないと言えば、ぽん吉全否定みたいのもよくわからない。ぽん吉さんの誹謗中傷コピペは批判されて当然とは思う。でも、ぽん吉さんの「自称宇宙人さんへ」に対する抗議は正当なものだろう。
◇やすらぎのガンブロ|ガンちゃん;自称宇宙人さんへ
でもどういうわけか、ガンレオさんはこの記事には全く問題なしとしてしまってる。この記事が出るまでに、ピア健さんと相当やり合ってたのだとしても、その過程で出てきた記事だとしても、この記事が酷いのには変わりないし、素直にやり過ぎたと認めたらいいのにと思うのだが、そうはならない。これもよくわからん。
*もん吉さんによるぽん吉批判
もん吉さんが、ピッポさんのコメント欄で、ぽん吉批判してる。
でも、よくよく見れば、左上の丸の中に「公開霊言」と小さくあるし、帯には「死後30年、本人が語った」とある。でもこれでも杉原千畝(生前)の著書と見間違う人はいるのではないだろうか。ちゃんと大きく「霊言」と書けばいいのにと思う。
もん吉さんが、ピッポさんのコメント欄で、ぽん吉批判してる。
君が狂犬なのは、暴れる潜在意識を全く統御できないだけだと思うよ。 もん吉 さん大体さあ。このピッポさんの日記を素直に読めば、君の自己評価とベクトルが違うってことでしょう。良くまあ、都合良く読めるねえ。まあ、根っこのところで、ピッポさんが君は良さを分かっている処があるってことで、現状の君が霊的にどういう状態かっていうことも分かっているわけじゃないかな。 (2015.12.26 17:11:46)
あなたねえ、己心の魔は他者に転嫁しても無駄だよ。 もん吉 さん自己欺瞞も、ここまでくると自己の主体が把握できないからね~都合がわるいと悪魔にすれば楽だからねえ。僕のコメントが君の運命の唯一の可変因子だったけどね~(2015.12.26 17:58:10)
もん吉さんの文章は、傍から読んでても何か癪に障るんだけど(笑)、一理あると思う。ぽん吉さんは誹謗中傷コピペをしまくることで、せっかくの正当な批判も埋もれちゃうし、ピッポさんに迷惑かけてる部分もあるだろう。改めるべきところもあると思う。
*剥き出し
前々から思っていたことだけど、宗教がらみだと、その人の本性が剥き出しになるような気がする。やっぱ宗教はこわいなあ。
*杉原千畝本人の著書みたいだ
HSでは、杉原千畝の本を出版するようだ。表紙だけ見ると、杉原千畝(生前)のインタビュー本みたいだ。
HSでは、杉原千畝の本を出版するようだ。表紙だけ見ると、杉原千畝(生前)のインタビュー本みたいだ。
でも、よくよく見れば、左上の丸の中に「公開霊言」と小さくあるし、帯には「死後30年、本人が語った」とある。でもこれでも杉原千畝(生前)の著書と見間違う人はいるのではないだろうか。ちゃんと大きく「霊言」と書けばいいのにと思う。
◇◆ 追記 20151227 ◆◇
*ピッポ批判あり
ガンさんのとこのコメント欄で、ひで、レオ、ガンさんらがピッポ批判してる。自分の感想を書いてみたい。
ガンさんのとこのコメント欄で、ひで、レオ、ガンさんらがピッポ批判してる。自分の感想を書いてみたい。
悪を放任するのは、許す愛ではない。許す愛を、悪を許すことと勘違いしてはならない、って仏言でもあるだろうに。仏は悪を放任してるかっていったら、放任してませんよ。ちゃんと地獄があって、教育されてるし、やりたい放題させてるわけじゃないものね。きちんと教導のシステムを組んで、カルマの刈り取りによっても、悪を改心する機会が訪れるように、指導している。そういう場を与えていることが、仏の慈悲であり、仏の手のひらの上にある、ということですよ。Posted by レオ at 2015年12月26日 22:59
これはつまり、仏は人が悪を為すのを力づくで止めようとはしない、人が悪を為した場合は、教導システムやカルマの法則によって導かれるということだろうか。
これを悪の放任ではないとするなら、ピッポさんがぽん吉さんの発言を強硬に止めようとせず、仏の教導システムやカルマの法則に任せたとしても、悪の放任にはならないのではないだろうか。
これを悪の放任ではないとするなら、ピッポさんがぽん吉さんの発言を強硬に止めようとせず、仏の教導システムやカルマの法則に任せたとしても、悪の放任にはならないのではないだろうか。
*悪を放置?
話しは脱線するけど、全知全能の絶対神を想定すると、神は悪を放置しているのではないかという疑問は当然に出てくるものだ。「神は全能であって何でもできる。そうであれば、悪を為そうとする人を金縛りにして悪を為さしめないこともできるだろう。でもそれをしない。これは人が悪を為すがままに放置していることではないか」みたいな疑問だ。
これと似た発想では、スティーヴン・キングの『デスぺレーション』にもある。主人公の少年が、友達が事故で重体になったことについて、「神は、僕の友達が事故に遭わないようにすることが出来た。でもそうしなかった。どうして?」と悩むあたりなど。
それから、聖書には、神は彼の心を頑なにされたというような表現があったかと思う。神が人が神を信じないようにさせたということらしい。さらには福音書を読むと、イエスはユダに悪を為さないように説得するというよりも、そうするように仕向けてさえいるように読める部分もある。この辺りから、「神が人に悪を為さしめているのか?」「神は人が悪を犯すのを放任しているのか?」と疑問を持ったとしても、それは責められることではないだろう。
HSでは、いまのところ神の全能性についてあまり議論になってないようだし、上のような疑問が聞かれないのは仕方ない。でも神は全能であり、すべてをコントロールしていると想定した場合は、この種の議論は避けられないと思う。
話しは脱線するけど、全知全能の絶対神を想定すると、神は悪を放置しているのではないかという疑問は当然に出てくるものだ。「神は全能であって何でもできる。そうであれば、悪を為そうとする人を金縛りにして悪を為さしめないこともできるだろう。でもそれをしない。これは人が悪を為すがままに放置していることではないか」みたいな疑問だ。
これと似た発想では、スティーヴン・キングの『デスぺレーション』にもある。主人公の少年が、友達が事故で重体になったことについて、「神は、僕の友達が事故に遭わないようにすることが出来た。でもそうしなかった。どうして?」と悩むあたりなど。
それから、聖書には、神は彼の心を頑なにされたというような表現があったかと思う。神が人が神を信じないようにさせたということらしい。さらには福音書を読むと、イエスはユダに悪を為さないように説得するというよりも、そうするように仕向けてさえいるように読める部分もある。この辺りから、「神が人に悪を為さしめているのか?」「神は人が悪を犯すのを放任しているのか?」と疑問を持ったとしても、それは責められることではないだろう。
HSでは、いまのところ神の全能性についてあまり議論になってないようだし、上のような疑問が聞かれないのは仕方ない。でも神は全能であり、すべてをコントロールしていると想定した場合は、この種の議論は避けられないと思う。
*神の許し
HSで説く許す愛とは、反省、悔い改め、改心があってから許すものであるらしい。つまり許しは、改心の後に与えられる。
でも、キリスト教の本を読むと、許しは改心の前にすでに与えられていると書いてる。
HSで説く許す愛とは、反省、悔い改め、改心があってから許すものであるらしい。つまり許しは、改心の後に与えられる。
でも、キリスト教の本を読むと、許しは改心の前にすでに与えられていると書いてる。
売春婦にしろ、このたとえ話の中の放蕩息子にしろ、彼らが改心するよりまえに、まず神もイエスも、これらの人を受け入れているということに注意する必要があります。
ゆるしが先で改心があとなのです。(井上洋治『キリスト教がよくわかる本』PHP研究所、1993年、p.57)
こういう考え方は、HSでは間違いだとされるのかもしれない。でも私は「ゆるしが先で改心があと」という方が、「改心が先でゆるしがあと」というよりも、ずっと宗教性が高いように感じる。
真理、善悪について、HS教義の枠内だけで判断しようとすると大切なものを見落としてしまうのではないかとも思う。
真理、善悪について、HS教義の枠内だけで判断しようとすると大切なものを見落としてしまうのではないかとも思う。
*名前に悪戯するともめるよ
ピッポじいさんPosted by レオ at 2015年12月26日 22:59
細かいことだけど、ガンさんは「北朝鮮ポン吉さん」と書いてたけど、レオさんは「ピッポじいさん」と書いてる。人のことをこういう小馬鹿にした呼び方をするのは止めた方がいいと思う。
*やっぱり悪魔呼ばわりしてた?
ぽん吉の悪想念発言を放任している子羊のピッポブログは、地獄ブログです。ぽん吉を放任しているピッポ氏も、ぽん吉同様、通じている世界は地獄界でしょう。波長同通とは、そのことを言ってるんですよ。お二人さん。
ピッポ氏が、自分を指導していると勘違いしている「自称・幸福の科学指導霊団の霊人」は、単なる詐称をしている低級霊、もしくはハッキリ言って地獄霊でしょう。Posted by レオ at 2015年12月26日 23:01
私も、ガンさんの主張はそのようなものであると理解してる。だけど、ガンさんは「私がいつ悪魔と書きましたか?」と惚けるんだよね。まあ直に「悪魔」とは書いてはいないのだけれども、悪魔呼ばわりしていると解釈されても仕方ない文章を書いておきながら、そのことを指摘されると「悪魔」と明示してはいないとすっとぼけるのはよくない。
*思い上がり
ピッポ氏は、善悪すらまったく分かっていないのに、神を名乗ること自体、天上界に対しての侮辱であると思います。ピッポ氏の思い上がりを徹底的にたたきたいと考えています。ピッポ氏とポン吉は、誰かが誤りを指摘してあげないと、うぬぼれる一方です。指摘しても、おそらくピッポ氏は、自分には霊能力?があり、ガンブロには、霊的能力はないから自分のが霊格が上だと思っているかもしれません。第三者が見れば、単に霊障にしか見えないのですが、本人は自惚れ慢心しているようなので、間違いが分からないのでしょう。いずれにしても、ご自身の誤り気づくまで指摘していく予定です。Posted by ガンちゃん at 2015年12月27日 00:40
この部分を読むと、ガンさんは自分は善悪をわきまえているので、善悪をまったく分かってないのに自分は神だと思い上がっているピッポさんを指導してやろうと考えているらしい。
これじゃあ、思い上がってるのは、ピッポさんだか、ガンさんだか分かんないよ。それに「徹底的にたたきたい」というのは阿修羅的な発想だろうし、「ピッポ氏は、善悪すらまったく分かっていない」というのはピッポさんにある善に気付けてないだけという可能性もあるのでは?
「霊格が上」云々は、ぶっちゃけた話すると、大概の場合は、論争相手よりも自分の方が上だと自惚れてるものだし、けしからんと怒るより、笑って許してあげてもいいでしょう(笑)。
これじゃあ、思い上がってるのは、ピッポさんだか、ガンさんだか分かんないよ。それに「徹底的にたたきたい」というのは阿修羅的な発想だろうし、「ピッポ氏は、善悪すらまったく分かっていない」というのはピッポさんにある善に気付けてないだけという可能性もあるのでは?
「霊格が上」云々は、ぶっちゃけた話すると、大概の場合は、論争相手よりも自分の方が上だと自惚れてるものだし、けしからんと怒るより、笑って許してあげてもいいでしょう(笑)。
*波長同通と視点の違い
ところで、ガン、レオさんたちは、ピッポ、ぽん吉さんたちは波長同通してるというけど、第三者から見ればガン、レオ、ピッポ、ぽん吉さんらは長期に渡って、ものすごく濃い関係を続けてるわけであって四人全員が波長同通してるように見えるよ。
また幸福の科学ブログ村の外からみれば、幸福の科学ブログ村の住人はみんな同じにみえるだろうし、さらにはHSとは関わりのない一般からみれば、HS信者もアンチも同じだという判定もありえる。
こういうことは承服し難いことかもしれないけれども、事実ではあるんだよね。だから、自分の論争相手を悪いものと波長同通してると批判したところで、それは悪いものと波長同通している者と論争という形で関係してる自分をも貶めることになるし、ほどほどにしておいた方が無難だよ。
ところで、ガン、レオさんたちは、ピッポ、ぽん吉さんたちは波長同通してるというけど、第三者から見ればガン、レオ、ピッポ、ぽん吉さんらは長期に渡って、ものすごく濃い関係を続けてるわけであって四人全員が波長同通してるように見えるよ。
また幸福の科学ブログ村の外からみれば、幸福の科学ブログ村の住人はみんな同じにみえるだろうし、さらにはHSとは関わりのない一般からみれば、HS信者もアンチも同じだという判定もありえる。
こういうことは承服し難いことかもしれないけれども、事実ではあるんだよね。だから、自分の論争相手を悪いものと波長同通してると批判したところで、それは悪いものと波長同通している者と論争という形で関係してる自分をも貶めることになるし、ほどほどにしておいた方が無難だよ。
*波長同通というよりも、前世のカルマ?
でも、論争というのは、波長同通よりも、前世のカルマとして見た方がいいのではないだろうか。たとえば、このように。
「ガンレオさん、ピッポぽん吉さんらは、前世でもこのような論争をしていた。その時は、ピッポぽん吉さんらが教学の重要性を説き、ガンレオさんが『私たちは八百万の神々の一人です』とトンデモ発言してたが、今生ではお互いに立場を入れ替えて、魂修行をしている」
「前世において、ピッポぽん吉さんらは、自分らの知を振りかざして、ガンレオさんらのトンデモ発言を批判し、小馬鹿にしたので、今生ではそのようなことができなくされた。ガンレオさんらはトンデモに走りすぎたことを反省し、来世では教学に専念しようと深く反省したので、その影響もあって教学絶対主義みたいにやや極端なところもでてきてる」
真偽は定かではないけれど、このように考えれば、相手に対してカッカと腹を立てることもなくなり、もうちょっと落ち着いて話し合えるのではないかと思います。
*警告!
ピッポさんがまた素っ頓狂なことを書いてる。ピッポさんのブログの閲覧者が何を思い、何をしたかはすべて、天上界でリサーチされてるという。宇宙人のウォークインとか、アブダクションとかから影響を受けてるのかな。ガンさんがこれを読んだら、また「キーッ(怒)」となりそうだ。
ピッポさんがまた素っ頓狂なことを書いてる。ピッポさんのブログの閲覧者が何を思い、何をしたかはすべて、天上界でリサーチされてるという。宇宙人のウォークインとか、アブダクションとかから影響を受けてるのかな。ガンさんがこれを読んだら、また「キーッ(怒)」となりそうだ。
◆わたしのブログ|警告!!
コメント欄では、ぽん吉さんが、ピッポさんの過去記事を貼ってる。
◆わたしのブログ|私が、なぜ、ぽん吉さんを諫めているか、知って居るかね?
「今 ぽん吉さんが行っている事は 火薬庫を、火で炙っている状態だ」とは、うまいこと言うなあ。でも、ピッポさんがやってることも同じようなもんだと思うぞ。
*盛況
サンポールさんのところは、すごく盛り上がってるようだ。下の記事のコメント欄は特に活発な動きがある。いいことだね。
サンポールさんのところは、すごく盛り上がってるようだ。下の記事のコメント欄は特に活発な動きがある。いいことだね。
●『悪妻封印祈願』、非公開にされてしまいました~!
http://sanpole.blog.fc2.com/blog-entry-423.html
●雑談コーナー 1
http://sanpole.blog.fc2.com/blog-entry-412.html
●『質問コーナー 2』
http://sanpole.blog.fc2.com/blog-entry-411.html
●雑談コーナー 1
http://sanpole.blog.fc2.com/blog-entry-412.html
●『質問コーナー 2』
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*初代さんの部屋
ふと、初代さんの部屋を思い出したので、ひさしぶりにのぞいて見た。えらいことになっとる。荒らされまくりじゃないか?
・NEO初代さん倶楽部 ひっそり亭
それでも、初代さんは相変わらずマイペースだという(笑)。すさまじいスルー能力だ。
・初代さんの本棚(9)
レムリア関連の記事はもちろん、本棚の過去スレ、おすすめ本スレも読めなくなってるようだ。残念。
考えてみれば、昔々は、初代さんがレムリアを追い掛けてるのを見て、なんでそんなことをしてるのかなあと思ったもんだったけど、今、自分はブログ村の動きを追い掛けてるんだから変な感じだ。
ともあれ、初代さんからは、進化論と発達障害のことをいろいろ教えてもらったので感謝してます。
ともあれ、初代さんからは、進化論と発達障害のことをいろいろ教えてもらったので感謝してます。
*片山実験場 第弐掲示板
片山さんとこをちょっと読んでみたけど、自分のためということを最優先にすれば、ブログ村の動きを追うより、第弐掲示板を読んで感想を書いた方がいいのかなあ。真理、法ということに関しては、こちらの方が刺激があるようなので。
片山さんとこをちょっと読んでみたけど、自分のためということを最優先にすれば、ブログ村の動きを追うより、第弐掲示板を読んで感想を書いた方がいいのかなあ。真理、法ということに関しては、こちらの方が刺激があるようなので。
・片山実験場 第弐掲示板 KK教義・行動様式等についての討論場
◇◆ 追記 20151228 ◆◇
*ハッキリ言うなあ……
ガンさんが、ピッポさんを強く批判してる。正しい霊的能力とはこうだ、神とはこういうものだという信仰があり、それに基づいて判断し、発言してるみたいだ。
ガンさんが、ピッポさんを強く批判してる。正しい霊的能力とはこうだ、神とはこういうものだという信仰があり、それに基づいて判断し、発言してるみたいだ。
◇やすらぎのガンブロ|ピッポ氏よ 貴方の指導霊は天上界の神々ではなく邪霊である
でもさすがに、自分の質問に対して「答えられずに嘘をついたのであれば、間違いなくあなたの指導霊は、天上界の神々ではありません」というのは言い過ぎだろう。これだと「私の質問にきちんと答えないなら、神ではない」と言ってるみたいだ。神は沈黙でこたえたり、方便を使ったりすることもあるだろうし、そう簡単に結論は出せないだろう。
*誹謗中傷問題と霊的問題
ガンさんとピッポさんの議論は、大きく二つに分けることができそうだ。
まず一つはコメント欄の管理についてだ。ピッポさんのコメント欄で、ぽん吉さんが暴れてるのを何とかすべきだということである。これは私にも理解できる意見ではある。ぽん吉さんを完全排除すべきとまでも思わないが、同趣旨のコピペ連投は止めさせた方がいい。
もう一つは、ピッポさんの霊能に関する問題だ。ピッポさんの指導霊とされる存在は、天上界の神なのかどうかということ。この辺りのことは客観的な確認不能だろうし、議論しても仕方ないと思うが、HS信者にとってはHS教義によって判断できることになるらしい。
でも、傍から見てると、確認不能な霊的問題について、複数の信者が一人の信者に対して邪霊憑き認定して叩くというのは、いかにもカルトっぽく見える。
複数の信者が一信者に、「あなたのブログのコメント欄は、荒れ放題になってるよ。誹謗中傷コメントもそのまんまじゃないか。どうにかしてくださいよ」というのなら理解できる。でも、「あなたの指導霊は邪霊だ。あなたは邪霊にそそのかされてるぞ。あなたの霊能力は偽物だ。天上界の指導による正しい霊能力ではなく、邪霊の憑依によるものにすぎないのだ」と詰め寄るのは、カルトっぽいとしか言いようがない。
ガンさんとピッポさんの議論は、大きく二つに分けることができそうだ。
まず一つはコメント欄の管理についてだ。ピッポさんのコメント欄で、ぽん吉さんが暴れてるのを何とかすべきだということである。これは私にも理解できる意見ではある。ぽん吉さんを完全排除すべきとまでも思わないが、同趣旨のコピペ連投は止めさせた方がいい。
もう一つは、ピッポさんの霊能に関する問題だ。ピッポさんの指導霊とされる存在は、天上界の神なのかどうかということ。この辺りのことは客観的な確認不能だろうし、議論しても仕方ないと思うが、HS信者にとってはHS教義によって判断できることになるらしい。
でも、傍から見てると、確認不能な霊的問題について、複数の信者が一人の信者に対して邪霊憑き認定して叩くというのは、いかにもカルトっぽく見える。
複数の信者が一信者に、「あなたのブログのコメント欄は、荒れ放題になってるよ。誹謗中傷コメントもそのまんまじゃないか。どうにかしてくださいよ」というのなら理解できる。でも、「あなたの指導霊は邪霊だ。あなたは邪霊にそそのかされてるぞ。あなたの霊能力は偽物だ。天上界の指導による正しい霊能力ではなく、邪霊の憑依によるものにすぎないのだ」と詰め寄るのは、カルトっぽいとしか言いようがない。
*病人を叩く!?
ブログ村を見て思うのは、どうも悪霊憑き認定と叩くこととはセットになっているらしいことだ。悪霊憑き認定された者は、袋叩きをのがれられないのだろうか。
でも本来は、悪霊憑きは病人であろうし、病人はいたわってあげるべき存在だ。そうであれば、悪霊憑きとされる人には、やさしく接してあげるべきではないだろうか。
もちろん病人だからといって甘やかしてさえいればいいというわけではない。時に厳しさも必要かもしれない。でもブログ村を見てると、悪霊憑き認定された人には、冷酷さ十割の全否定で対処してるみたいで、傍から見てるこっちまで嫌な気分になってくる。
HSでは、正邪善悪をきっぱり分けようとするところがあるから、邪悪と認定された者に対しては、一分の正しさも認めず、全否定してしまうのかなあ。
ブログ村を見て思うのは、どうも悪霊憑き認定と叩くこととはセットになっているらしいことだ。悪霊憑き認定された者は、袋叩きをのがれられないのだろうか。
でも本来は、悪霊憑きは病人であろうし、病人はいたわってあげるべき存在だ。そうであれば、悪霊憑きとされる人には、やさしく接してあげるべきではないだろうか。
もちろん病人だからといって甘やかしてさえいればいいというわけではない。時に厳しさも必要かもしれない。でもブログ村を見てると、悪霊憑き認定された人には、冷酷さ十割の全否定で対処してるみたいで、傍から見てるこっちまで嫌な気分になってくる。
HSでは、正邪善悪をきっぱり分けようとするところがあるから、邪悪と認定された者に対しては、一分の正しさも認めず、全否定してしまうのかなあ。
*三浦光世さんの講演会
三浦光世さんの講演会に行ったことがある。三浦光世さんは、作家である三浦綾子さんの旦那さんだ。この講演会では、障害者、難病患者と思われる人がたくさん来ていた。そしてそういう人たちを介護したり、気遣ってる人もたくさんいた。しかもその光景は特別なものではなく、実に自然に見えた。私はこれをみて、宗教とは本来こういうものなのかなあと思ったのだった。
HSでは、障害者や難病患者について、そういう役割を引き受けて生まれてきた人たちだという見方もある一方で、前世のカルマ(罪の報い?)だとか、心に問題がある(心が悪い)からという差別的な見方も強い。また霊媒体質の人を忌避する傾向もつよい。本人の前では何も言わなくとも、本人がいないところでは「彼が近寄ってくると肩が重くなる(彼に憑いてる悪霊がこっちにくる)」と陰口いったりすることも多かった。
私はHSのこういうところが嫌になっていた頃に、三浦光世さんの講演会で上記の光景をみたので、それだけ強く感動したようだ。
三浦光世さんの講演会に行ったことがある。三浦光世さんは、作家である三浦綾子さんの旦那さんだ。この講演会では、障害者、難病患者と思われる人がたくさん来ていた。そしてそういう人たちを介護したり、気遣ってる人もたくさんいた。しかもその光景は特別なものではなく、実に自然に見えた。私はこれをみて、宗教とは本来こういうものなのかなあと思ったのだった。
HSでは、障害者や難病患者について、そういう役割を引き受けて生まれてきた人たちだという見方もある一方で、前世のカルマ(罪の報い?)だとか、心に問題がある(心が悪い)からという差別的な見方も強い。また霊媒体質の人を忌避する傾向もつよい。本人の前では何も言わなくとも、本人がいないところでは「彼が近寄ってくると肩が重くなる(彼に憑いてる悪霊がこっちにくる)」と陰口いったりすることも多かった。
私はHSのこういうところが嫌になっていた頃に、三浦光世さんの講演会で上記の光景をみたので、それだけ強く感動したようだ。
*人に優しく、自分に厳しく
ちなみに、三浦光世さんの講演の内容は、ほとんど忘れてしまったけれど、三浦綾子さんについてすごく素直な人だったというようなことは言ってたと思う。光世さんが何か言うと、口答えすることなく、素直に「はい」という人だったと。
あとは、『泥流地帯』を一押ししてたと思う。自分は『泥流地帯』『塩狩峠』『道ありき』『氷点』とかがすきだったので、「『泥流地帯』かあ。自分も『泥流地帯』はすきだ。同じものが好きなのはうれしいなあ」と思ったことを覚えてる。
あとは……講演会の後、即席のサイン会があったけど、三浦光世さんは終始にこやかで、柔和な対応をしてた。ただそれでいて、なあなあになってだらしなくなることはなく、背筋をピンと伸ばしていて清潔な雰囲気があったのだった。これはすごく印象的だった。人には優しく、自分には厳しくということなのかなあと思う。
ちなみに、三浦光世さんの講演の内容は、ほとんど忘れてしまったけれど、三浦綾子さんについてすごく素直な人だったというようなことは言ってたと思う。光世さんが何か言うと、口答えすることなく、素直に「はい」という人だったと。
あとは、『泥流地帯』を一押ししてたと思う。自分は『泥流地帯』『塩狩峠』『道ありき』『氷点』とかがすきだったので、「『泥流地帯』かあ。自分も『泥流地帯』はすきだ。同じものが好きなのはうれしいなあ」と思ったことを覚えてる。
あとは……講演会の後、即席のサイン会があったけど、三浦光世さんは終始にこやかで、柔和な対応をしてた。ただそれでいて、なあなあになってだらしなくなることはなく、背筋をピンと伸ばしていて清潔な雰囲気があったのだった。これはすごく印象的だった。人には優しく、自分には厳しくということなのかなあと思う。
*正会員は本体であり、六次元以上
神を自称するということで思い出したのだけれど、私が正会員だったころ、こんな話を聞いたことがある。
「正会員になるということは、魂の兄弟のうち、分身ではなく、本体だよ。つまり六次元神界以上ということだ」
これからいえば、ピッポさんも六次元神界だろうし、八百万の神々の一人だと自称しても完全な間違いだとは言えないかもしれない(笑)。
また私の感覚だと、ピッポさんは基本的に善人だと思う。HS的にいえば五次元善人界だということだ。そうであれば神界下段階の霊人から指導を受けたことをもって天上界から指導を受けたといってもおかしくはない。
神を自称するということで思い出したのだけれど、私が正会員だったころ、こんな話を聞いたことがある。
「正会員になるということは、魂の兄弟のうち、分身ではなく、本体だよ。つまり六次元神界以上ということだ」
これからいえば、ピッポさんも六次元神界だろうし、八百万の神々の一人だと自称しても完全な間違いだとは言えないかもしれない(笑)。
また私の感覚だと、ピッポさんは基本的に善人だと思う。HS的にいえば五次元善人界だということだ。そうであれば神界下段階の霊人から指導を受けたことをもって天上界から指導を受けたといってもおかしくはない。
*神または神の子を自称すること
私は、谷口雅春を愛読していた時期があるせいか、「わたしは神の子だ」ということに慣れがあるようだ。また、シャーリーマクレーンの映画でも、「わたしは神だ」と宣言するシーンがあったように思う。このシーンは今でもすごく印象に残ってるし、この手のことはスピリチュアル系ではわりとあることだと思う。
HSでも、私が正会員だったころは、人は神の子だということは普通に言われていた。
でもガンさんの記事などを読むと、最近のHSではあまりそういうことは言わなくなってそうだ。
私は、谷口雅春を愛読していた時期があるせいか、「わたしは神の子だ」ということに慣れがあるようだ。また、シャーリーマクレーンの映画でも、「わたしは神だ」と宣言するシーンがあったように思う。このシーンは今でもすごく印象に残ってるし、この手のことはスピリチュアル系ではわりとあることだと思う。
HSでも、私が正会員だったころは、人は神の子だということは普通に言われていた。
でもガンさんの記事などを読むと、最近のHSではあまりそういうことは言わなくなってそうだ。
*ぽん吉さんと交流するピッポさんも叩かれる?
自分語りだけど、学生時代の私は、変わり者、オタク、ハブられ者がすきな方だった。彼らは独特の個性があったり、普通の人が知らないことをいっぱい知っていたりするし、ユニークな存在ではある。
でも彼らと仲良くすると、怒る奴もいた。「お前、あんなダサい奴としゃべるなよ」とか。
ぽん吉さんと接点あるゆえにピッポさんが叩かれているのを見ていて、ふとそんなことを思い出した。
まちがってるかもしれないけど、ピッポさんは支部で、悪霊認定されてる人にも普通に接してくれそうな感じはする。
自分語りだけど、学生時代の私は、変わり者、オタク、ハブられ者がすきな方だった。彼らは独特の個性があったり、普通の人が知らないことをいっぱい知っていたりするし、ユニークな存在ではある。
でも彼らと仲良くすると、怒る奴もいた。「お前、あんなダサい奴としゃべるなよ」とか。
ぽん吉さんと接点あるゆえにピッポさんが叩かれているのを見ていて、ふとそんなことを思い出した。
まちがってるかもしれないけど、ピッポさんは支部で、悪霊認定されてる人にも普通に接してくれそうな感じはする。
*神の怠慢?
偶然にも、上に書いた「悪を放置?」に関連したことを、もん吉さんが書いてた。
偶然にも、上に書いた「悪を放置?」に関連したことを、もん吉さんが書いてた。
ahoya もん吉 さん悪人がいたら神様が天から雷を降らして滅ぼさないのは、怠慢だって?(2015.12.27 19:12:37)]
まじレスすると、神には悪を押しとどめなければならないという義務があるとするならば、神が悪人を罰せず、野放しにしていたなら、それは怠慢ということになるかもしれない(笑)。
でも神は全能で絶対であるとするならば、神には何らの義務もないので、悪人を滅ぼさなくとも、悪事がなされるままにゆるしていても怠慢にはならないことになる。また、ヨブ記にあるように、正しい人であるヨブを、その正しさゆえに不幸のどん底に叩き落としてもいいということになる。すべては神の御心のままに、ということ。
正直言うと、私は多神教文化で育ったので、唯一絶対神の考え方はよくわからないんだけども、その種の本を読むとどうも上のような考え方になるらしい。
でも神は全能で絶対であるとするならば、神には何らの義務もないので、悪人を滅ぼさなくとも、悪事がなされるままにゆるしていても怠慢にはならないことになる。また、ヨブ記にあるように、正しい人であるヨブを、その正しさゆえに不幸のどん底に叩き落としてもいいということになる。すべては神の御心のままに、ということ。
正直言うと、私は多神教文化で育ったので、唯一絶対神の考え方はよくわからないんだけども、その種の本を読むとどうも上のような考え方になるらしい。
*煽り過ぎです!
ピッポさんのコメント、三宝帰依してないとか、面目丸つぶれとか、いくらなんでも煽り過ぎです(笑)。
ピッポさんのコメント、三宝帰依してないとか、面目丸つぶれとか、いくらなんでも煽り過ぎです(笑)。
ぽん吉さんへ 子羊のピッポ さんこれは、貴方への警告では、ありませんからね?私のブログを、良く知らない人への警告ですまあ、ガンレオさんに対する警告です彼らは、三宝帰依していませんね~それでも、幸福の科学ブログ村で、1番に成りたいのですその願いは叶い今も叶っていますが同時に、面目丸潰れにも成っています彼らは、『幸福の科学学園生徒心得』を、知りませんね?まあ次世代信者への反面教師として良き教育材料に、代表されるでしょう(2015.12.28 10:04:56)
『幸福の科学学園生徒心得』のことは分からんけど、元会員のアンチから見ても、破門されてるわけでもない正会員に対して、これだけ否定しまくるということは、その者を正会員とした大川隆法の判断を否定しまくることに通じるだろうし、三宝帰依できてない、面目丸つぶれと言えないこともないかもしれない。
それにしても、最近のHSでは、大川隆法はエルカンターレという神様であると信じるならば信者と認めるというように、信者の基準が大幅に簡素化されたと思ったけど、この議論をみてると、そうでもないのかな。信者として認められるには、または信者として発言するには、三宝帰依はもちろん、教学も十分にしてないとだめだとか、いろいろ難しい要件がたくさんありそうだ。これはブログ村にいる信者が勝手に言ってることかな。それとも教団の指導かな。どうなんだろう。
*ゴーストライター
観測所さんが、興味深い仮説を書いてる。
観測所さんが、興味深い仮説を書いてる。
●幸福の観測所|「自動書記」=「ゴーストライター」説を検証しませんか
自分の場合、自動書記と聞いて一番に思い浮かべるのは、『新・神霊界入門』かなあ。小桜媛の霊訓。これは霊言ではなく、自動書記という設定だったように思う。記憶違いかもしれないけど。
*『愛のあとさき』と『太陽の法』
ゴーストライターといえば、ファルコンさんが、『愛のあとさき』にある詩と、『太陽の法』の「愛は○○です。愛は△△です。愛は××です」という部分とを対比させていたのは説得力があったのを思い出す。どう見たって作者は別人だろうと。
ゴーストライターといえば、ファルコンさんが、『愛のあとさき』にある詩と、『太陽の法』の「愛は○○です。愛は△△です。愛は××です」という部分とを対比させていたのは説得力があったのを思い出す。どう見たって作者は別人だろうと。
*91年前後の出来事
自分は、80年代の極初期のことはわからないけど、91年ころのことは記憶してる。その頃は次のような変化があったかと。
自分は、80年代の極初期のことはわからないけど、91年ころのことは記憶してる。その頃は次のような変化があったかと。
・月刊誌には、毎月、善川三朗と大川隆法の論文が掲載されたが、いつのまにか善川三朗の論文は掲載されなくなり、大川隆法の論文は、講演録に変わった。
・月刊誌に連載されていた「愛は風の如く」が掲載されなくなった。
・『宗教の挑戦』は大川隆法の書き下ろし本として宣伝してたが、その後、書き下ろし本が出版されたと聞いた記憶はない。
・『宗教の挑戦』は大川隆法の書き下ろし本として宣伝してたが、その後、書き下ろし本が出版されたと聞いた記憶はない。
早い話が、善川三朗が表舞台から去った時期と、大川隆法の書いたとされる論文等が発表されなくなった時期とは、ほぼ重なっているのではないかということ。
こうしてみると、著述活動や思惟することは善川三朗や富山誠が担当し、講演は大川隆法が担当するというように、分業体制を組んでいたのかなあという気はする。
*大川隆法の書いた文章?
最近の、大川隆法が書いた文章はといえば、著書のまえがき、あとがき、それから月刊誌の心の指針だろうか。もしかしたら口述筆記かもしれないけれども、それらに共通する特徴といえば、大言壮語が多く、上から目線の説教調ということだろうか。初期の頃には、諄々と法を説く文章もあったと思うけど、そういう感じはあまりないように思う。
あとは、心の指針は詩のような体裁になってるけど、一篇の中に大和言葉、漢語、カタカナなどがごちゃ混ぜに使われていたりして、全体のリズムが整ってないことが多い。こういうことは全然気にしない人もいるだろうけど、文体にこだわる人からしたらダメだしするだろうなあとは思う。
最近の、大川隆法が書いた文章はといえば、著書のまえがき、あとがき、それから月刊誌の心の指針だろうか。もしかしたら口述筆記かもしれないけれども、それらに共通する特徴といえば、大言壮語が多く、上から目線の説教調ということだろうか。初期の頃には、諄々と法を説く文章もあったと思うけど、そういう感じはあまりないように思う。
あとは、心の指針は詩のような体裁になってるけど、一篇の中に大和言葉、漢語、カタカナなどがごちゃ混ぜに使われていたりして、全体のリズムが整ってないことが多い。こういうことは全然気にしない人もいるだろうけど、文体にこだわる人からしたらダメだしするだろうなあとは思う。