*つづき
信者・アンチのブログを読む 14 」のつづきです。


*新記事
ガンさんとこでは新記事が出てる。ピッポさんとこでは新記事はまだだけど、コメント欄はいつも通りだ。

◇やすらぎのガンブロ|【レオ寄稿】ぽん吉という名の邪悪〈今までのまとめ〉
http://swedenborg-platon.seesaa.net/article/431804726.html
◇やすらぎのガンブロ|仏法からピッポ氏を破邪顕正する 都合が悪いと話題を変える魂の傾向性とは
http://swedenborg-platon.seesaa.net/article/431806116.html


*変化なし
相変わらず今日も、両陣営ともに「自分は正しい。相手が間違ってる」というようなことを言い合っているようだ。「ちょっと言い過ぎたかなあ」「因果応報からすれば、相手がこれだけ噛みついてくるということは、自分にもそれを引き寄せる落ち度があったかなあ」というような反省の弁はみかけない。


*歩み寄り
前にも書いた気もするが、お互いにもうちょっとくらい歩み寄ったらいいのにと思う。
「自分の書いたものを読み返したら、ちょっと酷いことを書いてたようだ。申し訳ない」
「いやいや、こちらこそ申し訳ない。私もついカッとして言い過ぎた」
という風にはならないものかな。
また、「あなたは間違ってる!」と頭ごなしに非難するのでなく、「これこれ、こういう風にしてみたらどうですか」と提案する形にしてみたりはしないのかな。それでも反発されたら、しばらく時間をおいて冷静になってからもう一度提案してみるとかさ。もちろんその間は何もしないでいるのではなくて、雑談か何かして朗らかな空気をつくり、信頼関係を構築しておく。


*行く所まで行くのか?
でも、歩み寄りができる時期はとっくに過ぎてしまっていて、ことここにいたっては、徹底的に戦うしかないのかなあ。もう戦うのにうんざりするまでやると……。でもこれってもろに阿修羅地獄みたいだな。


*ピッポ批判の中身
ガンさんのピッポ批判の中身は、次のようなもののようだ。
①神ではないのに、数年間に渡って、神を名乗っている。
②神様気取りの上から目線で語っている。
③人の意見をすりかえ、曲解し、貶めている。質問に答えない。


*私の感想
ガンさんのピッポ批判は理解できなくもないように思う。ただそんなに腹を立てなくてもいいんじゃないかなとも思う。
①については、ガンさんも「信者も騙されていないと思いますが」と書いてるように、ピッポさんを神だと思う人はいないだろう。さほど気にする必要ないし、スルーしてもよさげ。
②については、ピッポさんはブログ紹介で、「受けたインスピレーションを、出来るだけ、そのまま、書きます」と書いてるし、守護指導霊が語るままにまかせるというつもりであれば、ああいう文体になるのも仕方ない。それに上から目線だとどうしても相手を見下し、嘲笑する感じになってしまうものだけど、ピッポさんにはそれはないから、これは立派なもんだ。
③については、こういっては語弊があるかもしれないけど、あまり知的でない人と話をすれば、論理に飛躍があったり、急に話が変わるのはよくあることだ。ピッポさんは電気関係の仕事をしてるみたいだから頭はいいとは思うけど、インスピレーションを重視する人のようだし、そういう人に論理的な議論を求めるのは無理だと思う。
以上をまとめていえば、ピッポさんはガンさんとは異なる個性をもち、ゆえにHS教義の解釈も異なっているということだ。ピッポさんは邪霊に惑わされてるわけではなく、ああいう個性なんだと思う。
ガンさんはピッポさんの個性を変えようとするよりも、ピッポさんの個性を認めることができるように大きな器づくりに励んだ方がいい。
でもまあガンさんからすれば、「これは個性の問題ではなく、正邪の問題、法にかなっているかどうかの問題です。法を曲げようとする者に対しては、一歩も引くことはできません」ということになるかもしれないけど。


*個性、役割の違い
ふと思い出したが、私が正会員だったころは、考え方の違う相手に対して、悪霊憑き認定するのでなく、個性、役割の違いということで対応することがあったと思う。でも、方便は終わったとされ、エルカンターレ信仰に一本化されるようになってから、考え方の違う相手のことを個性、役割の違いとして容認するより、悪霊憑き、邪見などと裁くことが増えたような気がする。


*ピッポさんがいう神とは?
ところで、ピッポさんのいう神とは何だろう。「自分は阿羅漢であり、六次元上段階である。六次元上段界以上は天上界だから、自分も神のひとりである」ということかな。それとも自分は菩薩、如来だと思ってるのかな。まあこのへんの理屈なしに、インスピレーションのままに語っていそうだが(笑)。
そういえば支部で聞いた話では、こういうのがあった。
「谷口雅春は『本来、罪無し。本来、光のみ実在』というような言い方をしていたからよかったが、谷口雅春から独立した弟子の中には、『本来』を省略して、『罪なし。光のみ実在』という人も出てきた。これはまちがいだ」
「本来、罪無し」では、本来は罪はないけど、現実は別であることを認めてるけど、「罪無し」とだけいうと現実にある罪もないことになるから、まちがっているということらしい。
ピッポさんも、「私は神だ」ではなく、「本来、私は神だ」としたらいいかもしれない。まあそんなことにこだわる人ではないだろうけど。


*逆効果では?
レオさんの寄稿記事についていうと、その意図に反して、ぽん吉さんを利するものになってると思う。
文章を読んでも考えない人であれば、激しいぽん吉批判を読めば、その主旨通りに「ぽん吉は悪い奴だ。批判されて当然だ」と思うだろう。でも少しでも考えることができる人が、激しいぽん吉批判を読めば、「作用があれば反作用があるものだ。これだけボロクソに貶されたら、ぽん吉という人が激昂して暴論吐いたとしてもしょうがない」と思うのではないか。
一般的にいって、批判にも中道があり、そこから外れて、あまりに強硬すぎると、かえって批判対象に同情があつまり、批判者の方が責められることにもなるものだ。レオさんのぽん吉批判もそういうところはあると思う。
もちろんこのことは、レオさんのぽん吉批判だけでなく、ガンさんのピッポ批判や、ぽん吉さんのガンレオ批判にもいえることではある。


*気になってたこと
批判の仕方といえば、前々から気になっていたことがある。
レオさんは、ガンレオブログにおいて、ぽん吉、ピッポ、コウ、ガチ健(ピア健)さんらを批判した記事を書いてるけど、それらに共通する特徴は、相手がしたこと(レオさんらに対する攻撃)については詳しく書かれているけれども、自分がしたこと(ぽん吉さんらを攻撃)についてはほとんど書かれていないということだ。ぽん吉さんら四人組の暴言をひっぱりだしてきて批判はしても、そういう暴言を招くことになった自分の発言はあまり言及していない。
たとえていえば、AとBが殴り合いの喧嘩をしてAが怪我をした事件があったとすると、「Aは、Bに殴られて怪我をした」とはいっても、AがBを殴った事実には触れないでいるようなものだ。これは嘘をついているわけではないけれども、重大な事実を伏せることで、情報操作してるということだ。
自分は、レオさんのぽん吉さんらに対する批判記事を読むときは、いつもこのあたりのことが気になる。
まあ公平にみれば、自分がされたことは言っても、自分がしたことは言わないというのは、ぽん吉さんらにも当てはまることではあるけど。


*公正、中立な判断のためには
ブログ村騒動について、公正中立な判断をするには、両陣営の書いたものを時系列に並べて読み返してみることが必要だと思う。
私はこのように思うので、過去記事をいろいろと読み返してみた。そこでわかったことは、ピッポさんやガチ健さんは過去記事を残してることが多く、コウさんの過去記事は読めなくなってるのが少しあるということだ。ぽん吉さんに関してはブログは残ってなくとも、あちこちにコピペ連投が残ってるので、過去の発言についてもおおよその見当はつく(笑)。
ガンさんは、過去記事はわりと残ってる方だと思う。レオさんに関して言えば、この騒動に関連した過去記事はほとんど読めなくなってると言ってもいい。過去記事の保存という点ではあまり良い方ではないようだ。


*資料集の公開を求む
でも、レオさんは、過去の資料をきちんと保存してるというようなことを書いていたと思う。自身の過去記事はネット上では削除しても、PCには保存してあるのだろう。
もしそうであれば、ブログ村読者が公正中立な判断をするためにも、ぜひそれを公開して欲しいものだ。
というか、ブログ村読者の公正中立な判断を求めるなら、ぽん吉さんら四人組の批判記事を作成するよりかも、自分の書いた文章と、ぽん吉らの文章とを時系列に並べた資料を公開するのが先だろうし、当然ではないかと思う。どうしても、四人組批判をしたいなら、その資料集に意見を付すかたちにしたらいい。
とはいえ、レオさんは資料公開すると悪用される恐れがあるとか何とか書いてたと思うし、資料公開することはないだろうけど、それを承知した上で提案だけはしときます。


*どっちもどっち
ちなみに、レオさんのブログ村騒動に関する過去記事は読めないものが多いけれども、今現在はガンレオブログにおいて、ぽん吉さんら四人組の批判記事は読めるようになっている。これら現在も読める批判記事から想像すると、レオさんが過去に書いてた批判記事がどんなものであったかはおおよそ見当がつく。相当にモーレツなものだったのだろうなあと。
したがって、ブログ村騒動について、公正中立な判定をくだせば、喧嘩両成敗のような感じで、どっちもどっちということになりそうではある。


*アンチのなかに正しさを見出せる人、見出せない人
信者には二種類の人がいる。それはアンチのなかに正しさを見出せる人と、見出せない人だ。もうちょっと違う表現をすると、信者には、HS教義とは異なる考え方のなかに正しさを見出せる人と、見出せない人がいるということ。
ブログ村騒動をみていると、どうも、この差異が争いの一因にもなってそうだ。
ちなみに、もう何年も前のことだけど、幸福の科学統合スレッドの常連さんで、光の法縁配夢という信者さんがいた。この人は、アンチのなかの正しさ、HS教義とは異なる思想のなかにある正しさを見出せるタイプだったように思う。


*HSの外にある正しさを見出す
想像するに、HS教義とは異なる思想のなかに正しさを見出せる信者は、第1図のように考えてるのかなあと思う。HSではまだ説かれていない真理があるというような考え方だ。


ついでにいうと、アンチの大半は第2図のようにとらえてると思う。HS教義には真理もあるが、そうでない部分も多いという見方だ。


さらについでにいうと、原理主義者や教条主義者は第3図のようにとらえているのではないだろうか。HS教義と真理を完全に重ねあわせて、HS教義こそが真理であり、HS教義に合わないことは真理ではないという風に。


さらには、原理主義者や教条主義者の教義解釈は、第4図のようなものだろう。本来の教義(HS教義b)を、原理主義的教条主義的に厳格かつ狭く解釈(HS教義a)している。


思うに、第1図のように考えている信者さんは、HS以外の人たちとも共存、調和することは可能だろうけれども、第3図のように考え、なおかつ第4図のような教義解釈している信者さんは、HS以外の人たちはもちろん、同じHS信者とも共存、調和するのは難しいだろうなあと思う。


*本当だろうか?
サンポールさんの新記事を読んだけど、いくらなんでも信じ難い。本当だろうか。本当だったら、空しいし、腹が立つなあ。

●混ぜるな危険! ブログ・サンポール|義援金詐欺師、大川隆法!
http://sanpole.blog.fc2.com/blog-entry-424.html



◇◆ 追記20151230 ◆◇


*今日も新記事
今日も、ガン、レオさんが新記事を発表してる。

◇やすらぎのガンブロ|精神分析からみる自分は神だと信じる心理
http://swedenborg-platon.seesaa.net/article/431856187.html
◇LEO幸福人生のすすめ|読まれるブログと読まれないブログ
http://ameblo.jp/space-people/entry-12111700096.html
◇HSガンちゃんとレオのブログ|読まれるブログと読まれないブログ
http://gunleo.seesaa.net/article/431862365.html


*アンチにウケそうな記事
ガンさんの記事はピッポ批判なのだろうけど、傍から見ると、仏陀、救世主、至高神、国師、ワールドティーチャーなどを自称している大川隆法批判になってる。大川隆法の信者であるガンさんが、神を自称する人を批判するというのは、ブーメラン、自爆という感じがする。


*ブーメラン、自爆といえば
そういえば、レオさんは、コウさんたちを卑怯者呼ばわりしてた。
コウの発言に関しても、
「分が悪くなると逃げ、自分たちが有利だと続けるのです。」
なんて発言してるけれども、これなんかガンレオのことじゃなくて、ぽん吉やピア健、コウ自身のことじゃないですかね。
アンチが乱入したらトンズラしたぽん吉ね。レオから批判されたら怖くて遁走したピア健、出戻りするも、アマミキョさんが仲裁するといったら、またもや遁走したピア健。
分が悪くなると逃げたのは、ぽん吉とピア健でしょうが。
でも、そういうレオさんも、アンチから批判された記事を全て引っ込めてる。批判された複数の記事のうち、一つを削除しただけならまだしも、すべての記事を削除してる。こんなことをしておいて、他人に対して「怖くて遁走した」なんていったらブーメランになっちゃうよ。まあ本人は逃げたんじゃないというかもしれないけど、傍から見たらそうとしか見えない。

・FILE034:LEO知的生活のすすめ - 幸福の観測所

ついでにいうと、レオさんは別のところで、自分はアンチブログを断罪して、追い出すことに努力したと胸を張ってる。
実際、わたしはアンチ観測所を、上の記事で断罪して、追い出すことに努力した信者ブロガーの一人ですからね。観測所と仲良く談笑していた救国のコウや、観測所を前にブログを畳んで遁走したぽん吉とは、まさに正反対。
さらには、アンチと戦った証拠として過去記事を貼ってる。でもそのタイトルは変更済みだという。これじゃあ、元タイトルもアンチを名指しした勇ましいものだったか分からない。こんなのではアンチと戦った証拠にならないだけでなく、歴史修正主義者として信用されなくなるよ。
内容に関していうと、複数の信者で一人のアンチを叩いたという構図がすけてみえるので、私はあんま好きに慣れない。

・ストーカー・アンチブログ「幸福の観測所」、カテゴリ強制移動の件<←改題しておきました>


*アメンバー限定記事にした理由
コウさんが自分の記事を、アメンバー限定にした理由について書いてる。あれだけ批判されたら、率直な意見をいえなくなるというのは、自然な成り行きではある。
9. Re:天使の好きな匂い・天使が発する香り?
>nzkbreakerさん
内容が内容なので、絶対否定されるので・・・。
あり得ない、絶対ない、信じられない、一般の会員にそんなこと起こるはずがない、嘘を付いてるはずだと。
検証に検証を重ねないといけないとか、精舎以外の霊現象は危ないとか、簡単に天使になれるはずがないとか、それは悪霊だとか。
どんな人生を送ってきたのでしょうか?
もう彼ら彼女らは、私よりだいぶ歳だと思うんですが、死ぬまで危ないとか検証を重ねないとと言うんじゃないでしょうね。
コウ 2015-12-30 01:40:01 


*嘘のつもりはなかったのでは?
ピッポさんとこのコメント欄で、豊川ラブ(Kairu)さんが嘘つきだと批判されてる。豊川ラブさんは、レオさんらはもうコウさんのことには触れないといっているのに、そうはなっていないと。
もう、レオさんも、ガンちゃんさんも、アマミさんも 貴男様の事にふれる記事を書く事はございません。
どうかご安心下さい。
これについて、コウさんは次のように書いてる。
これは、私のことですね。
本当に口から出まかせの人たちです。
その後、何度も何度もブログにて攻撃されましたよ。
今もまた、ピッポ氏を攻撃してるようです。
ブログの題名しか見てませんがね。
あっ!彼らのブログは絶対に開いてダメですよ。
開いたら、同通してしまいますから。
自身に影響なくとも、周りに影響がきますから。
一度そういうブログ開いたとたん悪魔がやってきたことがあって、大変なことになりました。
しかも、私がそのブログを閲覧してることを知らない人が影響を受けたのですから危険です。
とにかく、かかわらない方がいいのです。
でも、彼らは彼女らは、何度もかかわらないとか、攻撃しないとか、言っておいて、何度もそれを反故してきたので、信用できませんし、かかわらない詐欺でしょうか(笑)
まぁ、詐欺師なので気を付けてください。 (2015.12.30 02:07:02)
コウさんのコメントに「悪魔がやってきた」とあるせいか、ぽん吉さんはさっそく、いつものコピペをしてる。
レオさんへの、コメント返しに
ちょっと疲れたので
毛布にくるまり
目をつむって、レオさんの事を考えていたら
悪魔が来ました
男性で
約50歳後半
痩せた、西洋風の顔つきで
鼻と顎が、尖っています
コウモリの羽で、飛んで来ます
丁度、BGMで、総裁先生の『エル・カンターレ・ファイト』が、流れていたので
その悪魔に対して、行じました
悪魔は、すさまじい光を、顔面から浴び
消し飛びました
また、来るでしょうから
貴方が勧める本を、注文しましょう。
ぽん吉さんはほんとこれ好きだな。ピッポさんはつい先ごろ、ぽん吉さんを悪魔呼ばわりするなとガンさんに噛みついたところなのに、ピッポさん自身も過去にレオさんを悪魔呼ばわりしてた証拠をコピペ宣伝しまくるというのは、あまり得策じゃないと思うぞ(笑)。


*その解釈は無理
ところで、レオさんは、Kairuさんの発言はあくまで希望であって、嘘ではないと主張しているようだ。
kairuさんの発言はあくまでも希望やん。
でも実際のkairuさんの発言は、「ございません」と断言してる。
もう、レオさんも、ガンちゃんさんも、アマミさんも 貴男様の事にふれる記事を書く事はございません。
ここまで断言してるのを、希望と解釈して擁護するのは無理がある。
「もう、レオさんも、ガンちゃんさんも、アマミさんも 貴男様の事にふれる記事を書く事はないことを願います」
これだったら、希望といえる。
「もう、レオさんも、ガンちゃんさんも、アマミさんも 貴男様の事にふれる記事を書く事はございませんでしょう」
これだったら、予想といえる。
「もう、レオさんも、ガンちゃんさんも、アマミさんも 貴男様の事にふれる記事を書く事はございません」
でもこれは断言であって、希望でも、予測でもない。絶対そうなる、そうするということ。
断言してるのを、希望だとか何とかいって擁護しようとすると、「すり替えだ」「誤魔化しだ」と批判されるだけだし、止めた方がいいと思う。
ちなみに私は、Kairuさんの文章はコウさんへの絶縁状みたいなものになってるし、「私はもうコウさんとやりとりするつもりはない」というのが、つい勢い余って「私も、私の仲間たちも、コウさんと関係することはない」となってしまったのだろうと想像してる。コウさんを腹立たしく思ってる時に書いたから、つい断言調になってしまっただけだろうし、結果的には嘘になったかもしれないが、本人は嘘をつくつもりはなかったろうし、そんなに責めなくてもいいと思う。


*まずい方向に進んでるようだ
レオさんは、ピッポさんのコメント欄でレオ陣営を嘘つき呼ばわりしているのを受けて、コウさんの方こそ嘘つきだと言い返してるようだ。
今後はもう二度と、ガンレオへの批判はしないと、アマミキョさんと約束をしたにも関わらず、
それを平然と破って、誹謗中傷をふたたび行った救国のコウに、嘘がどうこう言う資格など、あるわけがないでしょう。信義則を守る精神のかけらも無い分際で、自分で言ってて恥ずかしくないのかね。
私は、コウさんがガンレオ批判はしないとアマミさんに約束した文章は読んだ記憶はないけど、そういう約束があったのだろうか。
でも、幸福の観測所さんによれば、レオさんは、コウさんに下のような提案をしていたようだ。記事が消されてるので孫引きみたいになってしまうけど。
具体的には、わたしを含め、わたしの近しい友人は、あなたのブログを一切訪問もしないし、したがって、あなたの記事を今後一切読みません。そういう方向で話をまとめるよう、努力してみようと思っています。
自分のPCの中を見たら、レオさんの過去記事でこういうのもあった。これもすでに消されてるけど。(空行は詰めてコピペ)
わたしレオやガンちゃんの論争相手は誰か、もはや周知のことと思いますので、ここでは敢えてわざわざ名前は出しません。
こちらとしては、もう二度と彼らと関わりたいとも思いませんので、そのために過去記事を清算して削除し、
これ以後は、レオのブログを信じて応援してくれる信者の方、シンパ読者の方に向けて、LE0幸福人生のすすめの記事を、書き続けていくことにしたいと、ここに述べておきたいと思います。
一つ目の文章は断言ではなく、努力目標のようだけども、それでも自発的に提案したこの言葉が今も守られているかといえば微妙であるように思う。二つ目の文章は、「もう二度と彼らと関わりたいとも思いません」であり、わりと断言してると思う。
こういうのを見ると、レオさんは過去に、もうコウさんたちとは関わらないということを言っていたのに、今はバシバシ批判文を書きまくってることになる。しかもコウさんたちとは関わらないとした過去の発言は削除して読めなくしてる。
一方、コウさんの場合は、仮に、今後ガンレオ批判はしないとアマミさんにいったことがあるとして、今のコウさんはコメント欄でボソボソ批判するくらいで、ガンレオ批判記事をバシバシ発表してるというわけではない。つまりガチでガンレオ批判を展開してるとはいえない。
この辺りを考慮すれば、レオさんがコウさんを嘘つき呼ばわりすれば、コウさんらも今まで以上の勢いで、「嘘つきはそっちだ。もしこっちが嘘つきなら、そっちは大嘘つきだ」と言ってくるのではないだろうか。


*前言を翻すこともあるだろう、人間だもの
もっとも、レオさんはぽん吉さんらの誹謗中傷などを、もうこれ以上看過することはできないとして、批判記事を発表することにしたというようなことをどこかに書いていたと思う。
人なら誰でも自分の考えを変えることはあるだろうし、前言を翻すことはあるだろうと思うで、私は、こういうのは嘘つきとは思わない。
同様に、コウさんがもし仮に今後はガンレオ批判はしないと言ったことがあったとしても、ガンレオさんがピッポ、ぽん吉さんらを批判してるのを見たことで義憤を感じ、ガンレオ批判をはじめたのなら、これも約束破った、嘘つきだとは言えないと思う。
Kairuさん、レオさん、コウさん、どの人も嘘つきではなかろうということ。
レオ陣営も、コウ陣営も、あんまり厳しい基準で相手方を裁くのじゃなくて、「まあそういうこともあるだろう、人間だもの」みたいにゆるく見てあげればいいのにと思う。そしたらギスギスしないで、もうちょい良い関係を築けるのでは?


*矛盾のない人間はいない
レオさんの過去発言を引っ張り出していろいろ書いたけれども、ざっくり言って矛盾のない人間なんていないと思う。私だって、過去の発言を順番に並べたら矛盾はたくさん見つかるだろう。前言翻しまくり、嘘つきまくりと批判されたら、ぐうの音も出なくなるかも。
昔の偉い人は、矛盾があるから存在があると言ったようだけども、ひょっとしたら矛盾があるから人間であるということもあるかもしれない。人間にとっての矛盾はそのくらいありふれたことだ。どんな人間でも叩いたら埃が出るし、矛盾もその埃みたいなものだ。
矛盾は一切批判してはならんとしたら極端だけども、些末な矛盾はスルーした方が平和を維持できることは確かではある。ブログ村の住人もこの辺のことを考えてみてはどうかと思う。


*コメント欄で議論するなら
英さんがコメント欄での議論を求めてる。
救国のコウよ。
反論あれば、直にコメント欄に、書き込んだらどうだ。
それとも、レオさんやガンちゃんさんのお二人が、
怖くて、書き込めなくて、
放任主義の無責任ピッポのところにしか、
書き込めないのか。
これは、ガンレオさんにも言えることだと思う
「ガンレオよ、批判があるなら、コウ、ピッポのブログのコメント欄に書きこんだらどうだ。それともこの二人が怖いのか」という風に。
ちなみに第三者的な立場からいうと、コメント欄で直接議論するなら、ピッポさんのところが一番よいと思う。ガン、レオ、コウさんのところはコメント削除があるけど、ピッポさんのところはそれはないようなので。
あとは、2ちゃんねるの幸福の科学スレッドであまり使われないのもあるから、そういうところで議論することもできるかもしれない。
きちんと記録を残すという意味では、それぞれが自分のブログで相手の記事を引用することなく批判を書き、後からでも自由に削除または修正できる状態になっているよりも、一箇所のコメント欄や掲示板に集まって議論した方がよいだろうとは思う。でもこれは実現は難しいだろうなあ。
ちなみに、アンチ系ではこんな掲示板がある。

・片山実験場 第弐掲示板
http://jbbs.shitaraba.net/study/6228/#top
・『幸福の科学』撲滅対策本部★したらば営業所
http://jbbs.shitaraba.net/study/10817/

信者系だとここがある。

・幸福の科学会員で教義上の疑問を解決したい

他にもいろいろあるかもしれないけど、自分はここしか知らない。ここは最近はあまり動きはないけど、信者さんにとっては落ち着いて話せるところのように思えるし、多分、今の幸福の科学ブログ村よりかは、波動はよほどいいでしょ。たしか、もん吉さんはピッポさんとこに出没する前は、ここの常連だったんじゃないかな。
個人的には、ueyonabaruさんだったら、ブログ村騒動のことをどう判断するかなあと興味はあるね。





◇◆ 追記20160102 ◆◆


*年中無休
ブログ村騒動は、大晦日、元旦は休戦するのかなあと思っていたけど、そんなことはないようだ。年中無休の批判合戦って、しょうがない人たちだなあ。でもそれを見てる自分もどうしようもない。


*矛盾点を指摘
コウさんが、レオさんの矛盾点を指摘してる。「レオは、アンチテーゼ記事を書いた人を激しく糾弾していたくせに、自分はしれっとアンチテーゼ記事を書いてるのはおかしい」ということらしい。
もうちょっと詳しく書くと、多分こうなる。
「レオは、ピア健に対して、自分(レオ)に向けてアンチテーゼ記事を書いたとして批判した。それでいながら、自分(レオ)もコウに向けてアンチテーゼ記事を書いているのはいかがなものか」
nzkbreakerさんというのは、ぽん吉さんなんだろうと思います。
32. Re:サタン製造工場
>nzkbreakerさん
そのとおりになりつつあるなと感じました。
私の自由の風が吹くという題名の記事に対して出したものだと思いますが、なんか霊界の自由なんたらという記事をLブログはアップしてますね。
私の記事はあくまでも個人的な記事をアップしただけ何ですが。
まぁ、読んでませんが、ちょっと、粘着質というか、妄執というか、執着というか、
もっとも関係ないかもしれませんが、題名が被っているのでねぇ(笑)
狂ってるんでしょうね。それか、よっぽど悔しいんでしょうね。我々のことが(笑)
何に悔しがってるが分かりませんが、彼自身がピア健氏に批判してたアンチテーゼ記事?なるものを彼自身がアップしてるので、どうしようもありません(笑)
コウ 2015-12-31 03:13:11
31. サタン製造工場
「好き嫌い(エゴ)の裁き」こそが
悪霊製造メカニズムです
正しくても、気に喰わないから潰す
間違っていても、仲良しだから庇う
たったコレだけの心の過ちで
にほんブログ村幸福の科学カテゴリは
サタン製造工場に堕したのです
nzkbreaker 2015-12-30 21:21:47 


*アンチテーゼ記事
レオさんのピア健批判を読むと、アンチテーゼ記事について書いてあるけど、レオさんの記事とピア健さんのアンチテーゼ記事が並べて提示されてるわけではないので、それがどういうものであったのか、いまいちよくわからない。
ただ、自分としてはこんな感じだったのかなあと想像してる。
A「法を学ぶことが大切です」
B「愛こそが全てです。どんなに知が優れていても愛がなくては意味がない」
A「反省の大切さを知りましょう」
B「愛は実践を尊びます。実践がなければ反省もありません」
A「真理を知る者は強くなくてはいけません。勇気がなくてはいけません」
B「真理を知れば、自分に正直になります。怖いものを怖い、美しいものを美しいと言えるようになります」
ブログ村の中で、相手を名指しはしないけれども、こんな感じでやりあってるうちに大喧嘩になってしまったんではなかろうか。
本当なら、
A「Bさん鋭いですね。私が書き漏らしたところをうまいこと補足してもらってるみたいで、ありがたいです」
B「いえいえ、Aさんの記事を読むと、すごくインスピレーションが下りてきます。こちらこそ、ありがとう」
という感じで、仲良しになれたかもしれないのに、もったいないなあと思う。
まあこれは私の想像であって、実際の当時の記事を確かめてみないことには、はっきりしたことは言えないのだけれど。


*問題の記事
コウさんがコメントに書いてる問題の記事はこれかな。でも自由はわりとよくあるテーマだからなあ。自由というテーマが重なっただけで、アンチテーゼ記事、あてつけ記事かどうかはわからない。
でも、レオさんの記事は後半ではぽん吉批判があるし、ブログ村騒動を意識したものではあるのは確かのようだ。

◆救国と愛国と幸福実現ブログ|『"Die Luft der Freiheit weht"(自由の風が吹く)』
http://ameblo.jp/adgjmptwadgjmpuwadgjmptw/entry-12111700362.html
◇HSガンちゃんとレオのブログ|【レオ】天界の自由の方が、広い世界の自由である
http://gunleo.seesaa.net/article/431875756.html
◇LEO幸福人生のすすめ|天界の自由の方が、広い世界の自由である
http://ameblo.jp/space-people/entry-12111771295.html

*自由について
ちなみに、自分は、自由と自由の行使は分けて考えた方がいいと思う。
・自由……何を考え、行ってもよい。すべてが許されているということ。
・自由の行使……現実に自由を行おうとする場合は、法律、慣習、道徳、良心などによって管理、制限される。
というわけで私は、巷にある「自由とは、何でも好き勝手していいということではない」という意見は、自由というよりも、自由の行使について語ってるのだと思う。


*自由なんて
見当違いかもしれないけど、自由とはもともとは暴力を正当化するための理屈だったのではなかろうか。
「人には自由がある。人の自由を守るために国がある。人の自由を守らない国は、国としての役割を果たしていないのだ。そんな国はぶち壊し、支配者はギロチンで処刑して、新しく本当に人の自由を守る国をつくろう」みたいな。
結局、自由というのは抵抗、革命のための思想ではなかろうか。自由の始まりは、信教の自由だという話もあるけど、これだって要するに信仰を強制されないという主張であって、抵抗、革命に通ずるものだろうし。
保守系の人たちは、「自由とは好き勝手してもいいということではない、良心、道徳、習慣、法律などを尊重してこそ、本当の自由といえる」といったりするけども、これは現代の正義である自由を正面から批判できないので、自由の意味をすり替えようとしてるだけのような気もする。
そんなことせずに、「自由は、抵抗、革命、暴力を正当化する危険思想だ。まやかしだ。自由なんかより義務こそが大切だ。自由思想なんかにかぶれるより、己の義務に忠実である方がよほど幸福でもあり、美しくもある。人はもっと謙虚、従順であるべきだ」とぶっちゃければいいのにと思う。


*差別と区別
ついでにいうと、巷では、「差別と区別はちがう。差別は駄目でも、区別は当然だ」とかいう意見もあるけど、これも誤魔化しではないかと思う。本来なら、これは「不合理な差別は駄目だが、合理的な差別は当然だ」と言うべきではないか。
でも、現代では差別を肯定するかのような発言はまずいので、「合理的な差別は当然だ」というのを、「区別は当然だ」と言いかえてるのじゃないか。
まあこれは考えすぎかもしれんけど。


*これは信じ難い。
不具合発生は、まあしょうがないとしても、何日も修正できないってどういうことだ。やる気不足か、能力不足かわからんが、情けない。

●混ぜるな危険! ブログ・サンポール|電子書籍版コーフク本で品質障害発生! HSU未来産業学部の実力をご覧ください


*現在の幹部
自分が会員だったのは大昔の話だけど、当時は幹部は立派な人たちだと思ってた。地元が田舎だったので、総合本部はエリート集団というイメージもあった。本部長、講師といった肩書の人が地元に来るときとか、けっこうな騒ぎになってた。個人的には、ちょいちょい地元に来てくれてたEさんという人を尊敬してた。穏やかで、物静かな人柄だったように思う。
でも、れもんさんの記事を読むと、最近はそういう人は少ないのだろうか。

●元信者、れもんのブログ|幹部