神社と寺
どちらでも
抵抗なく
手を合わせて
祈ることができる

仏壇や墓も
抵抗なく
拝んでる

最近は
仏式の墓と
神式の墓のちがいを覚えた

でも
どちらの墓も
抵抗なく
拝める

キリスト教会でも
拝む機会があれば
拝むだろう

お日様


などの自然も
普通に拝める

ペットの
ザリガニや
金魚が死んでしまい
お墓を作ったときも
成仏するように
拝み、祈ったのだった

我ながら
なんでも
拝んでしまってるなあ
と思う

でも
新興宗教の神様を
拝むのは
抵抗がある
なんか怖いし
嫌な感じがする

自分の信仰は
何でも拝んでしまうくらい
節操がないようでありながらも
実際には
何らかの基準があり
それによって判断してるようだ

ただその基準が
どのようなものであるか
はっきり自覚できないところが
もどかしくてならない。