前記事の
「信仰と願望」に
関連したことだけど
「信仰と願望」に
関連したことだけど
理想としては
宗教は
目的であるべきであり
手段であってはならない
と思う
宗教は
目的であるべきであり
手段であってはならない
と思う
神は
目的ではあっても
手段ではないのだから
それが
当然ではある
目的ではあっても
手段ではないのだから
それが
当然ではある
でも
実際には
宗教は
何かを得るための手段と
されていることが
多いようだ
実際には
宗教は
何かを得るための手段と
されていることが
多いようだ
宗教の必要性について
たびたび
議論になることからも
そのことはわかる
たびたび
議論になることからも
そのことはわかる
この議論の結末は
だいたい
次のようになる
「○○のために、宗教は必要だ」
これはつまり
宗教は
ある目的を達成するための
手段、道具だということ
ある目的を達成するための
手段、道具だということ
だから
宗教の必要性について
話せば
話すほど
考えれば
考えるほど
宗教は
目的ではなく
手段、道具にすぎないことになってしまう
話すほど
考えれば
考えるほど
宗教は
目的ではなく
手段、道具にすぎないことになってしまう
本当の宗教から遠退いてしまう
手段としての宗教と信仰
目的としての宗教と信仰
巷には
前者についての議論は
たくさんある
でも
できるなら
後者のような
宗教と信仰
を持ちたい
と思う。
できるなら
後者のような
宗教と信仰
を持ちたい
と思う。