ひさしぶりに、スティーヴン・キングの「デスぺレーション」を再読した。多分、この本を読んだのは、これで三、四回目である。

物語のあらすじを説明すればこんな感じである。主人公の少年は、無宗教的な家庭に生れ育ったが、友達が交通事故に遭い、重傷を負ったことで、友達の快復を一心に神に祈る。その後、祈りはかなえられ友達は一命を取りとめ、少年はこれをきっかけにして聖職者の元に通い、神について学び始める。やがて少年は家族旅行に出かけた先で、邪悪な存在によって家族を惨殺され、自分の使命をさとって行く。

この物語のなかで、少年は何度も神は残酷だと言っている。神は、自分に使命を果たさせるために、友達や家族が犠牲になるのを許した。それらの悲劇は防げたのにそうしなかった。これには納得できないということらしい。

たしかに神は全能であるとすれば、少年の言い分にも一理ある。神は、少年の友達や家族を救う能力があったのにそうしなかったのだとすれば、神は残酷だと言うのも無理はない。

熱心な信者であれば、悲惨な出来事が起きても、次のように考えて耐えられるのかもしれない。「神は我々にとってよいことも、そうでないことも為される。神の為されることのうち、よいことだけ受け取って、そうでないことは受け取らないという我が儘は許されない。我々は神からくるすべてに対して従順でなければならぬ。神の為さることはすべて正しいのだ」

でも自分は、そんな理屈には納得できそうもない。どちらかといえば少年のように考えてしまう。「何の罪咎もない者が、どうしてこんな酷い目に遭わなければならないんだ。神はどうして守ってくれないんだ。こんな目に遭うことを、どうして許したんだ。神は愛だというけれど本当にそうなのか。それにしては神は残酷だ。あまりに残酷すぎる」

神は全能であり、この世界の全ては神の摂理から外れることはないとすれば、上のような疑問はどうしても避けることはできないように思う。神を信じるとはなかなかに大変で、難しいことのようだ。〈了〉