たまに、「道徳教育のためには、宗教を教える必要がある」という意見を聞くことがある。「道徳の基礎には、宗教がある」という意見もあるようだ。
これって、どうなんだろうなあと思う。
宗教と道徳は、善を取り、悪を捨てようとする点は似てないこともない。同じように扱ってもよいような気がしないでもない。
でもよく注意してみれば、大きな相違点がないでもない。
たとえば、宗教というものは、天国、地獄、裁き、神、悪魔などの外圧によって、善を取り、悪を捨てさせようとしている面が強い。
「天国に行きたいなら、善いことをしなさい」
「地獄に墜ちたくないなら、悪いことは止めなさい」
「死後、裁きを受けたくないなら、悪いことは止めなさい」
「神の祝福を受けたいなら、善を取り、悪を捨てなさい」
「悪魔の操り人形になりたくないなら、悪い心は捨てなさい」
「地獄に墜ちたくないなら、悪いことは止めなさい」
「死後、裁きを受けたくないなら、悪いことは止めなさい」
「神の祝福を受けたいなら、善を取り、悪を捨てなさい」
「悪魔の操り人形になりたくないなら、悪い心は捨てなさい」
こんな風に、宗教は、アメとムチによって、善を取り、悪を捨てさせようとする。また善については、それ自体を目的とせず、天国という果実を得るための手段としているところもある。
一方、道徳教育はどうかといえば、外圧に寄らずして、自発的に善を取り、悪を捨てるようになることを目指しているのだろう。善そのものに価値を見出し、善そのものを目的とするように徳性を磨くことに主眼があるのだろう。
この点、両者は全くちがう。
私には、こういうちがいを無視して、宗教と道徳を同じように扱うのはよくないように思える。たとえば、自発的に善を選ぶことを教えているときに、アメとムチによって善を選ぶように説得するとしたら、ナンセンス極まりないことだ。こんなのは話にならない。
この意味で、道徳教育と宗教とはきちんと線引きした方がよいと思う。少なくとも、善そのものに価値を見出し、自発的に善を選ぶことを目指す人にとっては、アメとムチによって善を選ばせる宗教はさほど必要ではないだろうことは確かではある。〈了〉