日本を本当に理解するには、一度は海外に出た方がいいという。国外から日本を見る経験も大切だというのだ。

故郷についても、似た考え方はある。故郷のよさは、故郷から遠く離れてこそ、よく分かるなど。

他家の釜の飯を食う、かわいい子には旅をさせろというのも似たような意味合いはありそうだ。成長するには、家を出て、よそに行って経験をつめとか。

こうしてみると、信仰についても同じことが言えるかもしれない。信仰を分かるには、いったん信仰から離れてみることも必要だという風に。

実際、過去の宗教者の生涯をみれば、棄教、改宗を経験していることは少なくない。新たな宗教の開祖はみなそうだろうし、アウグスティヌス、パウロなどもそうだろう。

棄教はかなりのストレスになるから、避けた方が無難ではある。でも棄教には、神を一方向からだけでなく、別角度から見るという効果があることは間違いない。

ものごとは何でも一長一短だというけれど、棄教についてもそうなのかなあと思える。〈了〉