先日、仏壇の前で手を合わせていた叔母さんが、嗚咽をもらしていた。遺影を目にした途端に、泣けてきたらしい。

遺影の主は、仏様になってから、もう三年も経っているのだけれども、大切な人を失った悲しみは、まだ癒えてはいないのだろう。

そもそも、この種の悲しみは癒えることはないのかもしれない。戦争で息子を失った曾祖母は、何年、何十年経っても、時々、誰もいないところで、たらりたらりと涙を流していたというし、突然に大声で歌い出すこともあったという。多分、歌うことで、涙の発作を堪えようとしていたのだろう。

近親者の死を乗り越えるには一体どうしたらいいのだろう。あの世での再会を信じたら、楽になるだろうか。

でも、そういうことを信じられる人はいいけど、信じられない人はそうもいかない。これはなかなかにつらいところである。

死というものは、本人はもちろん、のこされた人にとっても、大変なことなんだと、この年になってつくづく思う。