不平、不満、愚痴などのマイナス思考はよくないという説がある。本当にそうなのだろうか。
自分もかつては、マイナス思考はよくないと思っていた。でも近頃は、必ずしもそういうわけではなさそうだという気がしている。
その切っ掛けはいくつかあるけれども、まず一つはテレビの影響である。以前は、不平不満や愚痴を、笑いに変えて楽しむバラエティ番組をよく見ていたのだが、この種の番組を見るうちに、自然と、不平不満や愚痴は、悪いことだという思い込みは薄れたように思う。
もう一つの切っ掛けは、夏目漱石の小説を読んだ事だった。たとえば、「こころ」「行人」などは、すごく暗くて、深刻な作品であり、マイナス思考の度合いは強い。でも自分はこれらの作品を読みながら、この世の中には著者のように真面目にものを考え、真摯に生きた人がいたのかと救いと癒しを感じたのだった。
それから、山田花子の「自殺直前日記」からも影響を受けた。これは読んでいるだけで、すごくつらくなる本である。でも、この本のおかげで、頭ごなしに、マイナス思考はよくないと言ってみても仕方ないと思うようになった。ことはそう単純ではない。
こうしていろいろ思い返してみると、マイナス思考はよくないというのは言い過ぎであるように思える。上述のように、マイナス思考によって、癒し、救い、学び、笑いなどのプラスが生まれることもある。それを無視して、マイナス思考はよくないと決めつけるのはよくない。
少し理屈っぽくなるけれども、実際のところは、マイナス思考それ自体よりも、その受け止め方のほうが肝要なのではなかろうか。マイナス思考は、受け止め方によって、プラスにも、マイナスにもなるのであって、マイナス思考それ自体は悪とも、善とも決めつけることはできないものなのだ。この点からいって、本当によくないのは、マイナス思考というよりも、マイナス思考を悪く受け取るマイナス受容なのだろう。
ついでにいうと、マイナス思考はよくないと思い込むと、真面目な話ができなくなるという弊害もある。真面目な話というものは、大概の場合、深刻で、憂鬱なものだ。だから、マイナス思考を拒否すれば、真面目で深刻な話がしにくくなる。本気で問題と取り組んだり、他人と向き合い深く関わることもできなくなる。もっと露骨な言い方をすれば、マイナス思考から逃げれば、物事を深く考えず、他者の批判に耳を傾けない、無反省で、軽薄な人間になってしまう恐れがある。この辺りのことにも注意が要ると思う。 〈了〉