「コメントまとめ」のつづきです。
*アモ~レさんが、自身の守護霊の霊言を発表なさってます。アモ~レさんは、「癒し、天使たちのことば」のヴィーナスさんを強く批判していたので、霊言をするのには反対の立場と思ってましたが、ちがったようです。
霊言すること全般に反対ではなく、ヴィーナスさんのように高級霊の霊言と称するものを発表するのはよくないが、自身の守護霊の霊言と称するものを発表するのはかまわないということでしょうか。
霊言すること全般に反対ではなく、ヴィーナスさんのように高級霊の霊言と称するものを発表するのはよくないが、自身の守護霊の霊言と称するものを発表するのはかまわないということでしょうか。
2014-02-17 19:34:21
・私の前世|大川隆法ネット後援会
http://ameblo.jp/oramorre/entry-11774535448.html
2014/2/18(火) 午前 7:34[ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/38644058.html#38784462
*神罰といえば、私は次の話を思い出します。
「ある男は、子供たちが神様の像の頭を蹴飛ばし、転がして遊んでいるのを見て、すぐにやめさせた。けれどもその後、この男は急死してしまった。なぜか? その理由は、神様は子供たちと楽しく遊んでいたのに、それを邪魔した男に怒り、神罰を下したからである」
この話の真偽はわかりませんが、いろいろと考えさせられる話ではあります。
2014/2/21(金) 午後 7:41[ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/38644058.html#38792230
「ある男は、子供たちが神様の像の頭を蹴飛ばし、転がして遊んでいるのを見て、すぐにやめさせた。けれどもその後、この男は急死してしまった。なぜか? その理由は、神様は子供たちと楽しく遊んでいたのに、それを邪魔した男に怒り、神罰を下したからである」
この話の真偽はわかりませんが、いろいろと考えさせられる話ではあります。
2014/2/21(金) 午後 7:41[ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/38644058.html#38792230
・仏の足跡の逸話|ポラリスのしあわせってなあに
http://ameblo.jp/polaris-lilybell/entry-11780073096.html
http://ameblo.jp/polaris-lilybell/entry-11780073096.html
*これは私もすきな話です。いつ聞いても泣けました。ただ私が信者だったころは、背負ってくれてるのはエルカンターレではなくて、守護霊だったのですけど。
この話はオリジナルだとばかり思ってたので、もし前からある話だったならショックかも。
出典については、うろ覚えですけど、『太陽のメッセージ』だったような……。
2014/2/24(月) 午前 7:34[ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/38644058.html#38797332
この話はオリジナルだとばかり思ってたので、もし前からある話だったならショックかも。
出典については、うろ覚えですけど、『太陽のメッセージ』だったような……。
2014/2/24(月) 午前 7:34[ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/38644058.html#38797332
*ついでにいうと、『仏陀再誕』の草笛の音の話もすきでした。この話もオリジナルと思ったので、もし元ネタがあるのであればショックです。
2014/2/24(月) 午前 7:35[ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/38644058.html#38797334
2014/2/24(月) 午前 7:35[ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/38644058.html#38797334
*最近のアモ~レさんは、魂の兄弟の霊言だけでなく、高級霊の霊言も発表しはじめたようです。
・イエス・キリストからのメッセージ (希望の鐘を、鳴らして歩め。)|大川隆法ネット後援会
http://ameblo.jp/oramorre/entry-11787521104.html
2014/3/6(木) 午前 7:11[ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/38644058.html#38817331
http://ameblo.jp/oramorre/entry-11787521104.html
2014/3/6(木) 午前 7:11[ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/38644058.html#38817331
*ちなみに、アモ~レさんのブログ「大川隆法ネット後援会」は、イエスからのメッセージを発表した昨日は、ブログ村幸福の科学カテゴリーでは、ポイント620で一位でした。
今日は、ポイント580の二位に落ちています。一位はポイント620の「HSガンちゃんとレオのブログ」に変わっています。
今日は、ポイント580の二位に落ちています。一位はポイント620の「HSガンちゃんとレオのブログ」に変わっています。
またコメント欄をみると、ヒデさんはイエスのメッセージに肯定的のようです。「全編、力強い迫力ある言葉。」「仏法真理の流布に一斉の妥協もしない圧倒的な力強さ。」「まさしく光の言霊です。」という具合で賞賛してるといっていいくらいです。
2014/3/6(木) 午前 7:13[ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/38644058.html#38817333
2014/3/6(木) 午前 7:13[ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/38644058.html#38817333
・日蓮聖人からのメッセージ ( タンポポの心 )|大川隆法ネット後援会
http://ameblo.jp/oramorre/entry-11790043303.html
http://ameblo.jp/oramorre/entry-11790043303.html
*この記事とコメント欄を読めば、レオさんらは、アモ~レさんの受けた高級霊からのメッセージは本物と考えているようです。また波長同通の法則は必ずしも絶対的な法則ではなく、仏の意志によって乗り越えることができるとも……。
思うにこれを認めてしまうと、ヴィーナスさんの霊言についても、仏の慈悲によって霊格の差を乗り越えて高級霊のメッセージが送られた可能性があるということになり、波長同通の法則によってだけでは偽物だと断定できなくなりそうですが、その点を気にしてる人はいないようです。
2014/3/11(火) 午後 9:14[ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/38644058.html#38829651
思うにこれを認めてしまうと、ヴィーナスさんの霊言についても、仏の慈悲によって霊格の差を乗り越えて高級霊のメッセージが送られた可能性があるということになり、波長同通の法則によってだけでは偽物だと断定できなくなりそうですが、その点を気にしてる人はいないようです。
2014/3/11(火) 午後 9:14[ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/38644058.html#38829651
*それにしてもなかなか対立はおさまらないみたいです。
注意されたら、「すみませんでした。以後、注意します」
言い過ぎたら、「ごめんなさい。言い過ぎました」
意見が対立したら、「自分とは異なる意見を知ることができてよかったです。ありがとう。また機会があれば議論しましょう」
言い過ぎたら、「ごめんなさい。言い過ぎました」
意見が対立したら、「自分とは異なる意見を知ることができてよかったです。ありがとう。また機会があれば議論しましょう」
傍から見てれば、これだけで一件落着しそうなものだけど、当事者からしたらいろんなこだわりがあって難しいのかな
2014/3/26(水) 午後 7:27[ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/38644058.html#38867534
2014/3/26(水) 午後 7:27[ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/38644058.html#38867534
*ちなみに、聖書には次のような記述があります。
>霊媒を訪れたり、口寄せを尋ねたりして、汚れを受けてはならない。
(レビ19.31)
>その預言者が主の御名によって語っても、そのことが起こらず、実現しなければ、それは主が語られたものではない。預言者が勝手に語ったのであるから、恐れることはない。
(申命記18.22)
(申命記18.22)
>『見よ、ここにメシアがいる』『いや、ここだ』と言う者がいても、信じてはならない。偽メシアや偽預言者が現れて、大きなしるしや不思議な業を行い、できれば、選ばれた人たちをも惑わそうとするからである。
(マタイ24.23-24)
2014/4/7(月) 午後 8:11[ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/38644058.html#38895081
(マタイ24.23-24)
2014/4/7(月) 午後 8:11[ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/38644058.html#38895081
*ちなみに私は、予言については、次のことばに説得力を感じます。
>その預言者が主の御名によって語っても、そのことが起こらず、実現しなければ、それは主が語られたものではない。預言者が勝手に語ったのであるから、恐れることはない。
(申命記18.22)
(申命記18.22)
誰かが予言してもそれが実現しないなら、それはその人が勝手に予言しているだけであって、神の言葉を預かって発言しているのではないというのは、本当にその通りと思います。
すべてを知っている神は、さまざまな状況変化を見越した上で預言するのだろうから、状況が変われば未来も変わり預言通りにはならなくなるなどとは有り得ないことです。
2014/4/27(日) 午後 7:32[ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/38931682.html#38949128
すべてを知っている神は、さまざまな状況変化を見越した上で預言するのだろうから、状況が変われば未来も変わり預言通りにはならなくなるなどとは有り得ないことです。
2014/4/27(日) 午後 7:32[ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/38931682.html#38949128
*コメント欄での、「つぶやき天使@勝手にJudgment」さんとその他の人たちのやり取りを読んでいて思ったのですが、私も信者だったころは、「正語に反しているからダメ」「奪う愛だからダメ」みたいな考え方をしていたのでした。
「なぜそんなことを言うのか? なぜそんなことをするのか?」という経緯、背景を思いやらずに、相手の言葉、行動の表面だけを見て裁くことが多かった。
劣等生だった自分は、子供の頃は担任から叱られることも多く、なぜそんなことをしたのかを聞こうともせず、調べようともせず、頭ごなしに叱られたときは酷く腹を立てたものだったのに、自分もそれと同じようなことをするようになっていたのだった。反省です。
自分の場合だけかもしれませんが、なんか真理を学ぶと、そればかりを判断基準にするようになってしまってかえって視野が狭くなるようなきがします。
2014/4/27(日) 午後 7:45[ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/38931682.html#38949159
「なぜそんなことを言うのか? なぜそんなことをするのか?」という経緯、背景を思いやらずに、相手の言葉、行動の表面だけを見て裁くことが多かった。
劣等生だった自分は、子供の頃は担任から叱られることも多く、なぜそんなことをしたのかを聞こうともせず、調べようともせず、頭ごなしに叱られたときは酷く腹を立てたものだったのに、自分もそれと同じようなことをするようになっていたのだった。反省です。
自分の場合だけかもしれませんが、なんか真理を学ぶと、そればかりを判断基準にするようになってしまってかえって視野が狭くなるようなきがします。
2014/4/27(日) 午後 7:45[ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/38931682.html#38949159
* 記事を読んでいて、自分が信者だったころを思い出しました。支部などで、大川隆法の言動についての裏話を聞かされるたびに、その慈悲深さに感謝し、悟りの高さに驚嘆していたのでした。
またエルカンターレ信仰に迷いはじめたころは、大川隆法の本心をよいように解釈して、やはりエルカンターレは正しいと自分に言い聞かせたりしていました。
ようするに、理想化した大川隆法は見ても、ありのままの大川隆法は見ず、教義に合わせた自分の心は認めても、ありのままの自分の心は抑圧してたということ……。愚かでした。ひたすら反省です。
2014/4/28(月) 午後 7:31[ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/38931682.html#38951474
またエルカンターレ信仰に迷いはじめたころは、大川隆法の本心をよいように解釈して、やはりエルカンターレは正しいと自分に言い聞かせたりしていました。
ようするに、理想化した大川隆法は見ても、ありのままの大川隆法は見ず、教義に合わせた自分の心は認めても、ありのままの自分の心は抑圧してたということ……。愚かでした。ひたすら反省です。
2014/4/28(月) 午後 7:31[ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/38931682.html#38951474
* 霊言について
上のコメント欄を読んで、疑問に思うことがあったので書いてみます。
たしか以前は、大川隆法と霊言との関係について次のように説明されていたと思います。「アインシュタイン霊は、相対性理論その他さまざまな専門的な理論を知っている。しかし大川隆法を通して行う霊言では、大川隆法の心にあること、または理解できることしか語れない」
でも最近は、次のように説明されているようです。「霊人には自由に語らせているので、霊言内容と、大川隆法の本心は別である」
これは一体、どちらが本当なのでしょうか? もし前者の説明が本当ならば、霊言内容と大川隆法の本心とは別物であるとは言えないことになります。後者の説明が本当ならば、霊人たちは大川隆法の知識とは関係なしに、自分の専門について詳細に正確に語れなければおかしいことになります。
このあたりはすごく疑問です。
2014/5/1(木) 午後 7:56[ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/38931682.html#38958528
上のコメント欄を読んで、疑問に思うことがあったので書いてみます。
たしか以前は、大川隆法と霊言との関係について次のように説明されていたと思います。「アインシュタイン霊は、相対性理論その他さまざまな専門的な理論を知っている。しかし大川隆法を通して行う霊言では、大川隆法の心にあること、または理解できることしか語れない」
でも最近は、次のように説明されているようです。「霊人には自由に語らせているので、霊言内容と、大川隆法の本心は別である」
これは一体、どちらが本当なのでしょうか? もし前者の説明が本当ならば、霊言内容と大川隆法の本心とは別物であるとは言えないことになります。後者の説明が本当ならば、霊人たちは大川隆法の知識とは関係なしに、自分の専門について詳細に正確に語れなければおかしいことになります。
このあたりはすごく疑問です。
2014/5/1(木) 午後 7:56[ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/38931682.html#38958528
2014年5月2日金曜日
・真実を語る|恐怖を植え付ける大川隆法の手口から逃れよう!(2)
http://tanemura1956.blogspot.jp/2014/05/blog-post_2.html
・真実を語る|恐怖を植え付ける大川隆法の手口から逃れよう!(2)
http://tanemura1956.blogspot.jp/2014/05/blog-post_2.html
* たしかに自分が信者だったころも、信仰上の問題が発生するたびに、ORは仏陀であり絶対正しいのだから、否はすべて自分にあるとして自己否定ばかりしていました。「これは甘えだ!」「自己保存だ!」「認識力が低いから分からないのだ!」などとよく反省していたものです。
2014/5/3(土) 午後 1:31[ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/38931682.html#38962691
2014/5/3(土) 午後 1:31[ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/38931682.html#38962691
* 信者さんたちのブログ記事を読んだ感想を少し……。
まず一つは、霊の関する記事が多いなあということ。
思い返せば、私が信者だったころも、信者たちはみんな、霊の話が好きでした。「霊がどうしたこうしたよりも、法こそが大事だ」という教えはあったけど、それは建前にすぎず、実際は「悪霊が……」「光が……」「過去世が……」という話にみんな興味津々でした。
二つ目は、ヒデボーさんの記事について。
私も信者だったころは、「エルカンターレと出会えるのは今生だけだ。だから幸福の科学の活動に参加することが最も重要で、それ以外は些事であり、来世でもできることだ」などと考えていたのでした。
でも今は、次のように考えるようになりました。「人生は『これのみが大事で、他はそうではない』と単純に割り切れるものでない。幸福な人生のためには、家族も、友人も、自己実現も、健康も、仕事も、趣味も……どれも大切なことで、バランスが大事だ」
思うに、幸福の科学の人生論は、普遍的な人生論というより、危機の時代または奇跡の時代の人生論なので、それを真に受けて実践すると取り返しのつかないことになりえるし、危険です。
2014/5/18(日) 午後 0:52[ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/38931682.html#39003965
まず一つは、霊の関する記事が多いなあということ。
思い返せば、私が信者だったころも、信者たちはみんな、霊の話が好きでした。「霊がどうしたこうしたよりも、法こそが大事だ」という教えはあったけど、それは建前にすぎず、実際は「悪霊が……」「光が……」「過去世が……」という話にみんな興味津々でした。
二つ目は、ヒデボーさんの記事について。
私も信者だったころは、「エルカンターレと出会えるのは今生だけだ。だから幸福の科学の活動に参加することが最も重要で、それ以外は些事であり、来世でもできることだ」などと考えていたのでした。
でも今は、次のように考えるようになりました。「人生は『これのみが大事で、他はそうではない』と単純に割り切れるものでない。幸福な人生のためには、家族も、友人も、自己実現も、健康も、仕事も、趣味も……どれも大切なことで、バランスが大事だ」
思うに、幸福の科学の人生論は、普遍的な人生論というより、危機の時代または奇跡の時代の人生論なので、それを真に受けて実践すると取り返しのつかないことになりえるし、危険です。
2014/5/18(日) 午後 0:52[ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/38931682.html#39003965
* 中道について
私も以前は、両極端を否定するのが中道だと考えていました。けれども、ある書物で「両極端を否定するのが中道ではない。ほどよいのが中道である」というような説明を読んで、自分の迂闊さに気がつきました。
機械のネジは基本的には緩まないようにきつく締めるのが中道でしょう。歯車はきつくもなく、ゆるくもなく、ほどよく噛み合わせるのが中道です。スポーツ選手は激しいトレーニングをするのが中道でしょう。病気の人は運動は控えて安静にするのが中道でしょう。
中道とは、両極端を排すればよいという単純なものではなくて、その場その場でふさわしい選択をすることなのだろうと思います。
2014/6/6(金) 午後 7:57[ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/38931682.html#39052581
私も以前は、両極端を否定するのが中道だと考えていました。けれども、ある書物で「両極端を否定するのが中道ではない。ほどよいのが中道である」というような説明を読んで、自分の迂闊さに気がつきました。
機械のネジは基本的には緩まないようにきつく締めるのが中道でしょう。歯車はきつくもなく、ゆるくもなく、ほどよく噛み合わせるのが中道です。スポーツ選手は激しいトレーニングをするのが中道でしょう。病気の人は運動は控えて安静にするのが中道でしょう。
中道とは、両極端を排すればよいという単純なものではなくて、その場その場でふさわしい選択をすることなのだろうと思います。
2014/6/6(金) 午後 7:57[ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/38931682.html#39052581
* ガンブロさんのコメント欄で、鉄鼠さんが、巨人の骨について、やんわりと注意を促していました。でも反応はあんまりよくないようです。
>巨人の骨。
すごいですよね。
すごいですよね。
私も以前に、
何で話題にならないのかと思って調べました。
何で話題にならないのかと思って調べました。
どうやらトリック写真のようですよ。
http://swedenborg-platon.seesaa.net/article/398362707.html#comment
2014/6/6(金) 午後 7:58[ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/38931682.html#39052588
http://swedenborg-platon.seesaa.net/article/398362707.html#comment
2014/6/6(金) 午後 7:58[ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/38931682.html#39052588
* 自と他
「自他はあくまで別個なり」とは、うまいこと言うなあ……。
恥ずかしながら、私は信者だったころ、自分と異なる他者に対しては、次のような考え方をしていたものです。
「自他はあくまで別個なり」とは、うまいこと言うなあ……。
恥ずかしながら、私は信者だったころ、自分と異なる他者に対しては、次のような考え方をしていたものです。
「僕は幸福の科学の価値を認め、信じている。僕と同じように、他の人も幸福の科学の価値を認め、信じるはずだ。そうならないとしたら、その人の認識力が低く、誤解しているせいにちがいない。認識力を高め、誤解を解くなら、かならず信じるようになるはずだ」
「この人はどうしてこんなことを言うのだろう。本当の自分を見失って、悪霊に操られ、言わされているのだろう。本当の自分を見出したら、幸福の科学に賛同しないわけにはいかないはずだ」
「この人はどうしてこんなことを言うのだろう。本当の自分を見失って、悪霊に操られ、言わされているのだろう。本当の自分を見出したら、幸福の科学に賛同しないわけにはいかないはずだ」
ようは、信者だったころの私は、自分と異なる意見を持つ人の存在を認められなかったということ。だからそういう相手と真摯に向き合い、その言葉に真剣に耳を傾けることもできなかった。……ひたすら反省です。
2014/6/9(月) 午後 9:37[ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/38931682.html#39060075
2014/6/9(月) 午後 9:37[ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/38931682.html#39060075
・友人より自分よりどこの誰だか知らない人を頼る人|誤解が瓦解すればHappyになれるかも
http://ameblo.jp/siyeku7e/entry-11874157327.html
http://ameblo.jp/siyeku7e/entry-11874157327.html
* 2chにあった文章を貼った上で反論を書いてるので、分かりやすくなってました。ただそこまでするなら、ついでにアドレスも貼ってくれたらいいのにとは思います。
反論内容については、ちょっと強引というか、攻撃的な感じはしました。ただ、大川隆法の仮装について、次のような擁護をしている点は面白かったです。
反論内容については、ちょっと強引というか、攻撃的な感じはしました。ただ、大川隆法の仮装について、次のような擁護をしている点は面白かったです。
>志村けんさんの「バカ殿」の画像だけをみて
「この人頭おかしいの?」
といっているようなもんです。
「この人頭おかしいの?」
といっているようなもんです。
言わんとすることは分かりますが、この方は、大川隆法の仮装から、志村けんの「バカ殿」を連想したらしいこと、救世主の擁護にコメディアンを持ち出したことなどを思うと、おかしかったです。
2014/6/9(月) 午後 9:40[ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/38931682.html#39060087
2014/6/9(月) 午後 9:40[ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/38931682.html#39060087
* ヒデボーさんの記事は大体拝見しています。異論があることもありますが、どういうわけかわざわざ書く気にはなれません。ヒデボーさんの文章から、求道心というか、菩提心というか、善く生きようとしている雰囲気が伝わってくるせいかもしれません。
ちなみに、ピア健さんの文章も、スピリチュアルすぎて分からない所もありますが、善く生きようとしている感じは伝わってきます。
どうも自分にとっては、信仰、主義、思想などよりも、生き方、ものごとに対する姿勢の方が重要なのかもしれません。
2014/7/15(火) 午後 9:04[ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/39129090.html#39135936
ちなみに、ピア健さんの文章も、スピリチュアルすぎて分からない所もありますが、善く生きようとしている感じは伝わってきます。
どうも自分にとっては、信仰、主義、思想などよりも、生き方、ものごとに対する姿勢の方が重要なのかもしれません。
2014/7/15(火) 午後 9:04[ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/39129090.html#39135936
* ヒデボーさん、ガンブロさんの記事更新ペースがいつもよりはやいようです。
* 天罰について
なぜ天罰という考え方が生まれたのだろう? 結局のところ、自然災害などの悲劇を受け入れなければならないとき、天罰という意味付けが有効だったというだけのことではないだろうか。
どうも自分は、神は愛であり、限りなく優しい存在であるというイメージが強いせいか、神による裁き、天罰という考え方にはなじめないようである。
なぜ天罰という考え方が生まれたのだろう? 結局のところ、自然災害などの悲劇を受け入れなければならないとき、天罰という意味付けが有効だったというだけのことではないだろうか。
どうも自分は、神は愛であり、限りなく優しい存在であるというイメージが強いせいか、神による裁き、天罰という考え方にはなじめないようである。
* 信教の自由
幸福の科学では、信教の自由を唱えながらも、神仏を信じない人間は動物と同じだとしたりして宗教を信じない自由は認めていないようだ。これは実質的には、信教の自由というよりも、信仰の義務ではないかと思う。
また、宗教を信じない自由だけでなく、邪教を信じる自由も認めないのであれば、信仰の義務というより、エルカンターレ信仰の義務ということにもなるかもしれない。
2014/8/3(日) 午前 10:19[ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/39129090.html#39173066
幸福の科学では、信教の自由を唱えながらも、神仏を信じない人間は動物と同じだとしたりして宗教を信じない自由は認めていないようだ。これは実質的には、信教の自由というよりも、信仰の義務ではないかと思う。
また、宗教を信じない自由だけでなく、邪教を信じる自由も認めないのであれば、信仰の義務というより、エルカンターレ信仰の義務ということにもなるかもしれない。
2014/8/3(日) 午前 10:19[ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/39129090.html#39173066
*前々からの印象ですが、どうも信者さんの多くは、誰かの意見を批判するとき、相手の名前と意見を明示せずにすますことが多いみたいです。人と直に向き合うのが苦手なのでしょうか。
相手に反論の機会を与え、読者に双方の意見を比較してもらい、さらには自分の良心を納得させるためにも、「どこの誰がこういう意見を書いている。しかし自分はそれには反対であり、これこれこのように考える」と正々堂々と書いた方がいいのにと思います。
2014/8/22(金) 午後 7:55[ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/39129090.html#39210973
相手に反論の機会を与え、読者に双方の意見を比較してもらい、さらには自分の良心を納得させるためにも、「どこの誰がこういう意見を書いている。しかし自分はそれには反対であり、これこれこのように考える」と正々堂々と書いた方がいいのにと思います。
2014/8/22(金) 午後 7:55[ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/39129090.html#39210973
1.言行不一致
すでにいろいろな方が指摘していることだけれども、過去世にこだわったり、霊能力信仰に陥ってはいけないとしつつも、実際には何かというと過去世がどうとか、霊言などの霊能力を強調するのはおかしく感じます。
すでにいろいろな方が指摘していることだけれども、過去世にこだわったり、霊能力信仰に陥ってはいけないとしつつも、実際には何かというと過去世がどうとか、霊言などの霊能力を強調するのはおかしく感じます。
2.100パーセントの信仰と無謬性
地上の仏陀は間違えることがないのであれば、地上の仏陀を100パーセント信じよというのは理があります。けれども地上の仏陀は間違えることがあるのであれば、地上の仏陀を100パーセント信じよというのは無理がでてきます。
最近では大川隆法は間違えることがある、地上に肉体を持っているから限界もあるという説があるようですが、もしそうだとすれば大川隆法を100パーセント信じなくてもいいということなのでしょうか。もしそうだとすると、大川隆法の信じるべき部分と、信じる必要がない部分はどのようにして見極めることができるのでしょうか。
2014/9/4(木) 午後 7:47 [ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/39201305.html#39237892
地上の仏陀は間違えることがないのであれば、地上の仏陀を100パーセント信じよというのは理があります。けれども地上の仏陀は間違えることがあるのであれば、地上の仏陀を100パーセント信じよというのは無理がでてきます。
最近では大川隆法は間違えることがある、地上に肉体を持っているから限界もあるという説があるようですが、もしそうだとすれば大川隆法を100パーセント信じなくてもいいということなのでしょうか。もしそうだとすると、大川隆法の信じるべき部分と、信じる必要がない部分はどのようにして見極めることができるのでしょうか。
2014/9/4(木) 午後 7:47 [ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/39201305.html#39237892
3.与える愛の困難さ
利他について、次のような考え方があります。
「『他者のために』といっても、所詮は自分のためにしているにすぎない。『他者のために何かしたい』という自分の欲求に従っているにすぎない。人は利己心から離れられない生物なのだ。しかし純な利他行為は無理でも、利他的利己であれば実現可能性は十分にある」
私には、利他と利己を分けて前者を善、後者を悪とするよりも、上のような考え方の方がより現実的であり、バランスもとれているように思えますがどうでしょう。
2014/9/17(水) 午後 7:37 [ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/39201305.html#39265245
利他について、次のような考え方があります。
「『他者のために』といっても、所詮は自分のためにしているにすぎない。『他者のために何かしたい』という自分の欲求に従っているにすぎない。人は利己心から離れられない生物なのだ。しかし純な利他行為は無理でも、利他的利己であれば実現可能性は十分にある」
私には、利他と利己を分けて前者を善、後者を悪とするよりも、上のような考え方の方がより現実的であり、バランスもとれているように思えますがどうでしょう。
2014/9/17(水) 午後 7:37 [ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/39201305.html#39265245
4.反省の効果と困難さ
私は長い間、反省には心の偏りを修正し、清める効果があると信じてきました。
でも現在は、特定の信仰を基準にして反省したところで、よき信者になることはできても、よき人間になることはできないと考えるようになりました。率直に言えば、特定の信仰を基準にして反省するのは、自らをマインドコントロールしてるのと同じことだと思うのです。
また、人格障害とされるような人が、反省をするのは至難の業のようでもあります。
これらの点からみると、反省は普遍の真理であって、心の偏りを修正し、向上させることができるとはいえないように思います。
2014/9/17(水) 午後 7:38 [ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/39201305.html#39265246
私は長い間、反省には心の偏りを修正し、清める効果があると信じてきました。
でも現在は、特定の信仰を基準にして反省したところで、よき信者になることはできても、よき人間になることはできないと考えるようになりました。率直に言えば、特定の信仰を基準にして反省するのは、自らをマインドコントロールしてるのと同じことだと思うのです。
また、人格障害とされるような人が、反省をするのは至難の業のようでもあります。
これらの点からみると、反省は普遍の真理であって、心の偏りを修正し、向上させることができるとはいえないように思います。
2014/9/17(水) 午後 7:38 [ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/39201305.html#39265246
5.真理の獲得
人は見たいものを見るといわれます。人は、自分に都合の良いことは真理として受け入れても、そうでないものは真理ではないと拒否したがる生き物なのでしょう。
だとすれば人が真理探究をするのは相当な困難をともなうでしょうし、それができると考えるのは高慢であり、自惚れが過ぎるのではないでしょうか。
人は見たいものを見るといわれます。人は、自分に都合の良いことは真理として受け入れても、そうでないものは真理ではないと拒否したがる生き物なのでしょう。
だとすれば人が真理探究をするのは相当な困難をともなうでしょうし、それができると考えるのは高慢であり、自惚れが過ぎるのではないでしょうか。
6.人類の進歩
人間性に進歩、発展はありえるのでしょうか。
人類の歴史を見れば、古来より、強盗、傷害、詐欺、戦争などは絶えません。
個人を見ても、年を取れば知識、経験は増えるでしょうが、人間性は幼少期から進歩、発展したかどうかは判然としません。たとえば年を取ってまるくなったという場合は、人格が磨かれたという見方もあるでしょうが、情熱や正義感を失った結果にすぎないという見方もあるでしょう。これでは進歩したのか退歩したのかわかりません。
結局、人の心というものは部分的に悟りがすすむことはあっても、全体的にも成長できるかどうかはなんともいえないものではないでしょうか。
2014/9/23(火) 午後 7:46 [ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/39201305.html#39277362
人間性に進歩、発展はありえるのでしょうか。
人類の歴史を見れば、古来より、強盗、傷害、詐欺、戦争などは絶えません。
個人を見ても、年を取れば知識、経験は増えるでしょうが、人間性は幼少期から進歩、発展したかどうかは判然としません。たとえば年を取ってまるくなったという場合は、人格が磨かれたという見方もあるでしょうが、情熱や正義感を失った結果にすぎないという見方もあるでしょう。これでは進歩したのか退歩したのかわかりません。
結局、人の心というものは部分的に悟りがすすむことはあっても、全体的にも成長できるかどうかはなんともいえないものではないでしょうか。
2014/9/23(火) 午後 7:46 [ 自由 ]
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◆主の霊言の特徴と一般の霊能者との違い|やすらぎのガンブロ
http://swedenborg-platon.seesaa.net/article/405587764.html
http://swedenborg-platon.seesaa.net/article/405587764.html
*波長同通の法則
記事を読むと、ガンブロさんは、波長同通の法則をとても重視しておられるようです。一方、コメント欄の英さんは、総裁は自身とは霊格の異なる霊の霊言もしていることから、波長同通の法則には例外も有り得ると考えているようです。
記事を読むと、ガンブロさんは、波長同通の法則をとても重視しておられるようです。一方、コメント欄の英さんは、総裁は自身とは霊格の異なる霊の霊言もしていることから、波長同通の法則には例外も有り得ると考えているようです。
ちなみに私は、波長同通の法則と霊言との関係については次のように解釈します。
・教義上、波長同通の法則は真理だとされている
・総裁は、低級霊から高級霊までさまざまな霊格の霊を呼び、霊言している
・この点からみると、総裁は自分の波動を四次元から高次元までさまざまな次元に合わせることができると推定される
2014/9/20(土) 午後 1:34[ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/39129090.html#39270588
・教義上、波長同通の法則は真理だとされている
・総裁は、低級霊から高級霊までさまざまな霊格の霊を呼び、霊言している
・この点からみると、総裁は自分の波動を四次元から高次元までさまざまな次元に合わせることができると推定される
2014/9/20(土) 午後 1:34[ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/39129090.html#39270588
波長同通の法則と対機説法についてはこう考えます。
・高級霊は対機説法に堪能である
・対機説法に堪能であるとは、相手の次元に合わせて話ができるということ(大人が子供と話すときには、子供のレベルに合わせて話すように)
・高級霊には、自分の次元を、相手に合わせる能力が備わっているのかもしれない(相手に合わせて、自分の光を落とすなど)
・高級霊は対機説法に堪能である
・対機説法に堪能であるとは、相手の次元に合わせて話ができるということ(大人が子供と話すときには、子供のレベルに合わせて話すように)
・高級霊には、自分の次元を、相手に合わせる能力が備わっているのかもしれない(相手に合わせて、自分の光を落とすなど)
霊言の見分け方についてはこう考えます。
・低レベルな霊言は、低級霊による場合もあれば、高級霊が低レベルの者たちを導くためにあえてレベルを落としている場合もありえる
・したがって、霊言内容によって、それが低級霊によるものか、高級霊によるものかは断定できない
・具体的に言えば、ヴィーナスさん、ルチアさん、アマーリエさんらが、自分は高級霊からメッセージを受けていると主張した場合、それを波長同通の法則によって「そんなことはありえない」と否定するのは困難であるということ
2014/9/20(土) 午後 1:38[ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/39129090.html#39270592
・低レベルな霊言は、低級霊による場合もあれば、高級霊が低レベルの者たちを導くためにあえてレベルを落としている場合もありえる
・したがって、霊言内容によって、それが低級霊によるものか、高級霊によるものかは断定できない
・具体的に言えば、ヴィーナスさん、ルチアさん、アマーリエさんらが、自分は高級霊からメッセージを受けていると主張した場合、それを波長同通の法則によって「そんなことはありえない」と否定するのは困難であるということ
2014/9/20(土) 午後 1:38[ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/39129090.html#39270592
上ではHS教義に合わせて考えてみましたが、最後に、アンチの立場から、まとめるとこうなります。
・霊言集を読むよりは、きちんとした入門書を読んだ方がいい
・HS教義は、波長同通の法則にしろなんにしろ、例外事項や、矛盾点が少なくない。法身信仰論など公式見解があやふやな部分もある
・それがため、さまざまな解釈を生みやすく、自己都合解釈も横行する。HS教義を学ぶほど、自己正当化する癖がつき、自己変革は難しくなる
・自己変革を目指すなら、HS教義を学ぶのはほどほどにした方がいい
以上です。
2014/9/20(土) 午後 2:01[ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/39129090.html#39270617
・霊言集を読むよりは、きちんとした入門書を読んだ方がいい
・HS教義は、波長同通の法則にしろなんにしろ、例外事項や、矛盾点が少なくない。法身信仰論など公式見解があやふやな部分もある
・それがため、さまざまな解釈を生みやすく、自己都合解釈も横行する。HS教義を学ぶほど、自己正当化する癖がつき、自己変革は難しくなる
・自己変革を目指すなら、HS教義を学ぶのはほどほどにした方がいい
以上です。
2014/9/20(土) 午後 2:01[ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/39129090.html#39270617
*個性に応じた信じ方、世界宗教を目指すなら
信者さんたちの記事を読んでいて、信仰対象は同じでも、信じ方はずいぶんちがうものだなという感想をもちました。
信者さんらの信仰対象と内容は、大川隆法はエル・カンターレであり、仏であるという点で一致しているのでしょう。
でもその信じ方においては、各人の個性に応じて、ガンブロさんは原理主義的保守、ヒデボーさんはリベラル、ヴィーナスさんそれからピッポさんなどは霊感派という違いがあるように思います。
教団内であれば、原理主義的保守、リベラル、霊感派などが対立するのは止むを得ない部分もあるかもしれません。でも教団の外から見ていると、信仰対象が同じなら、信じ方が少しくらい違っていたってそんなに対立しなくてもいいのにと思います。
2014/9/24(水) 午後 9:39[ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/39129090.html#39279749
信者さんたちの記事を読んでいて、信仰対象は同じでも、信じ方はずいぶんちがうものだなという感想をもちました。
信者さんらの信仰対象と内容は、大川隆法はエル・カンターレであり、仏であるという点で一致しているのでしょう。
でもその信じ方においては、各人の個性に応じて、ガンブロさんは原理主義的保守、ヒデボーさんはリベラル、ヴィーナスさんそれからピッポさんなどは霊感派という違いがあるように思います。
教団内であれば、原理主義的保守、リベラル、霊感派などが対立するのは止むを得ない部分もあるかもしれません。でも教団の外から見ていると、信仰対象が同じなら、信じ方が少しくらい違っていたってそんなに対立しなくてもいいのにと思います。
2014/9/24(水) 午後 9:39[ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/39129090.html#39279749
キリスト教では、イエスは救い主であり、復活したという基本を信じていれば、聖書解釈がことなってもキリスト教と認められると聞いたことがあります。
幸福の科学も、世界宗教を目指すのであれば、大川隆法はエル・カンターレであり、仏であると信じるのであれば、その信じ方や法解釈などにちがいがあっても容認されるという方向に進んだ方がいいのではないでしょうか。
2014/9/24(水) 午後 9:41[ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/39129090.html#39279756
幸福の科学も、世界宗教を目指すのであれば、大川隆法はエル・カンターレであり、仏であると信じるのであれば、その信じ方や法解釈などにちがいがあっても容認されるという方向に進んだ方がいいのではないでしょうか。
2014/9/24(水) 午後 9:41[ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/39129090.html#39279756
*三宝帰依と法解釈
三宝帰依をそのまま解釈すれば、教団の指示に従わなければ三宝帰依を破っていることになるかと思います。
けれども大川隆法が幹部職員や教団運営を批判していたことを考慮すれば、僧団のすべてが仏陀の御心にかなっているわけではないということになります。それなら、教団の指示に従わない場合は即、三宝帰依違反とするというのはいささか性急で短絡的にすぎるかもしれません。
法の解釈とはなかなかややこしいものです。
ただ法の目的が、上求菩提下化衆生にあるとすれば、法の解釈は、自分に対しては厳格に適用し、他者に対してはなるだけその人に有利になるように解釈してあげるのが基本といえるのではないでしょうか。
2014/9/24(水) 午後 9:44[ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/39129090.html#39279767
三宝帰依をそのまま解釈すれば、教団の指示に従わなければ三宝帰依を破っていることになるかと思います。
けれども大川隆法が幹部職員や教団運営を批判していたことを考慮すれば、僧団のすべてが仏陀の御心にかなっているわけではないということになります。それなら、教団の指示に従わない場合は即、三宝帰依違反とするというのはいささか性急で短絡的にすぎるかもしれません。
法の解釈とはなかなかややこしいものです。
ただ法の目的が、上求菩提下化衆生にあるとすれば、法の解釈は、自分に対しては厳格に適用し、他者に対してはなるだけその人に有利になるように解釈してあげるのが基本といえるのではないでしょうか。
2014/9/24(水) 午後 9:44[ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/39129090.html#39279767
*アマミさんのコメント
アマミさんのコメントの一節に、次の文章がありました。
アマミさんのコメントの一節に、次の文章がありました。
>ちなみに、私は自称霊言ブログについて、二年前の時点で本部長からは 「本来なら彼らのしていることは除名でもおかしくはないが、総裁先生が職員向けの御法話で「霊障者のプライドを折らないように」と言われているので警告にとどめている。そうしないとアンチになるからね」 と聞いています。
http://swedenborg-platon.seesaa.net/article/405879053.html#comment
http://swedenborg-platon.seesaa.net/article/405879053.html#comment
これは、ヴィーナスさんにとってより、ガンブロさんにとって、不利な証言かもしれません。この証言が事実とすると、次の見方も成立するので。
「教祖、教団は、ヴィーナスさんらのプライドに配慮し、へたに刺激しないようにしつつ、見守ってくださっている。それなのに、ガンブロさんらはヴィーナスさんらを執拗に批判し、プライドをへし折るキツイ発言を繰り返し、事を荒立てている。このような教祖、教団の意向に反する行為は慎むべきだ」
2014/9/25(木) 午後 8:15[ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/39129090.html#39281390
「教祖、教団は、ヴィーナスさんらのプライドに配慮し、へたに刺激しないようにしつつ、見守ってくださっている。それなのに、ガンブロさんらはヴィーナスさんらを執拗に批判し、プライドをへし折るキツイ発言を繰り返し、事を荒立てている。このような教祖、教団の意向に反する行為は慎むべきだ」
2014/9/25(木) 午後 8:15[ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/39129090.html#39281390
*レムリア関係者?
ヴィーナスさんの文体は、ざっと読んだ感じでは、レムリアの文体と雰囲気が似ているかもしれません。ひょっとしたら、レムリアに関係してた人物が、ヴィーナスさんのところに流れてきているのでしょうか。
とはいっても、スピ系では、ヴィーナスさんや、レムリアのような丁寧で優しい雰囲気の文体は、基本中の基本みたいなものでよくあるし、似ていて当然かもしれませんが。
2014/9/27(土) 午前 7:46[ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/39129090.html#39284097
ヴィーナスさんの文体は、ざっと読んだ感じでは、レムリアの文体と雰囲気が似ているかもしれません。ひょっとしたら、レムリアに関係してた人物が、ヴィーナスさんのところに流れてきているのでしょうか。
とはいっても、スピ系では、ヴィーナスさんや、レムリアのような丁寧で優しい雰囲気の文体は、基本中の基本みたいなものでよくあるし、似ていて当然かもしれませんが。
2014/9/27(土) 午前 7:46[ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/39129090.html#39284097
*アマーリエとヴィーナス
下のコメント欄で、両者の文体、雰囲気、内容が似ているという指摘がされています。
私の感想はこうです。
・文体、雰囲気については、両者は似てる。やさしく、上品っぽい、よそ行きの態度
・内容については、心の教えが少なめ、歴史物語への関心は似てる。ただし大川隆法の評価は、アマーリエさんは堕落したとしているが、ヴィーナスさんは一定の敬意を払っていて、正反対になっている。この辺りが、教団が様子見をしている理由かも?
下のコメント欄で、両者の文体、雰囲気、内容が似ているという指摘がされています。
私の感想はこうです。
・文体、雰囲気については、両者は似てる。やさしく、上品っぽい、よそ行きの態度
・内容については、心の教えが少なめ、歴史物語への関心は似てる。ただし大川隆法の評価は、アマーリエさんは堕落したとしているが、ヴィーナスさんは一定の敬意を払っていて、正反対になっている。この辺りが、教団が様子見をしている理由かも?
◆主と共に歩むことと主と同じになりたいでは意味がちがう|やすらぎのガンブロ
http://swedenborg-platon.seesaa.net/article/406107062.html#comment
2014/9/29(月) 午前 7:32[ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/39129090.html#39288003
http://swedenborg-platon.seesaa.net/article/406107062.html#comment
2014/9/29(月) 午前 7:32[ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/39129090.html#39288003
*大川隆法の本
信者さんらは、大川隆法の著作は、宗教、思想、哲学、政治、経済、教育……等々、さまざまな分野に渡っているといいます。
でもその中身を見ると、「○○の霊的真相」というものばかりです。「社会主義共産主義の霊的真相」「外交問題の霊的真相」「慰安婦問題の霊的真相」……みたいな調子。
大川隆法は、幅広い知識、教養を持ち、多様な視点から、さまざまな分野の問題を論じているというわけではなく、心霊主義という一つの視点からさまざまな分野に意見を言ってるだけということです。タイトルだけみれば、さまざまな分野の本を出しているように見えるけど、実際は、心霊主義の本しか出してない。
2014/10/12(日) 午前 10:10[ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/39298738.html#39314228
信者さんらは、大川隆法の著作は、宗教、思想、哲学、政治、経済、教育……等々、さまざまな分野に渡っているといいます。
でもその中身を見ると、「○○の霊的真相」というものばかりです。「社会主義共産主義の霊的真相」「外交問題の霊的真相」「慰安婦問題の霊的真相」……みたいな調子。
大川隆法は、幅広い知識、教養を持ち、多様な視点から、さまざまな分野の問題を論じているというわけではなく、心霊主義という一つの視点からさまざまな分野に意見を言ってるだけということです。タイトルだけみれば、さまざまな分野の本を出しているように見えるけど、実際は、心霊主義の本しか出してない。
2014/10/12(日) 午前 10:10[ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/39298738.html#39314228
*事例
本屋さんや、図書館に行くと、ジャンル別に本が並んでいます。だから、さまざまなジャンルの本を出している作家の本は、それぞれのジャンルの棚に分けておかれることになります。
でも、大川隆法の本は、政治、教育、経済……どんな分野がテーマになっていても、宗教コーナーにまとめておかれています。
こういった例を見ても、大川隆法の本はどれも、宗教、心霊主義という枠から外れるものではないというのが世間的評価であることがわかるのではないでしょうか。
おそらく、大川隆法の本ばかり読んでも、大川隆法的心霊主義のものの見方は身についても、さまざまな分野の知識、教養が身につくことはないでしょう。
本屋さんや、図書館に行くと、ジャンル別に本が並んでいます。だから、さまざまなジャンルの本を出している作家の本は、それぞれのジャンルの棚に分けておかれることになります。
でも、大川隆法の本は、政治、教育、経済……どんな分野がテーマになっていても、宗教コーナーにまとめておかれています。
こういった例を見ても、大川隆法の本はどれも、宗教、心霊主義という枠から外れるものではないというのが世間的評価であることがわかるのではないでしょうか。
おそらく、大川隆法の本ばかり読んでも、大川隆法的心霊主義のものの見方は身についても、さまざまな分野の知識、教養が身につくことはないでしょう。
*教学すればするほど
私は上のような見方なので、大川隆法の本を読めば読むほど、心霊主義の観点からしか物事を見ることができなくなり、何についても「霊が……」「霊が……」という心霊マニアになってしまうのではないかと危惧してます。
実際、大川隆法の本を読みまくっていたころの私も、そうなっていたようです。気を付けてほしいなと思います。
2014/10/12(日) 午前 10:12[ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/39298738.html#39314233
私は上のような見方なので、大川隆法の本を読めば読むほど、心霊主義の観点からしか物事を見ることができなくなり、何についても「霊が……」「霊が……」という心霊マニアになってしまうのではないかと危惧してます。
実際、大川隆法の本を読みまくっていたころの私も、そうなっていたようです。気を付けてほしいなと思います。
2014/10/12(日) 午前 10:12[ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/39298738.html#39314233
余計なお世話かもしれませんが、相手方を「嘘つき」と決めつけるよりは、「私はここはこういう認識しているけれども、あなたの認識はちがうんですか」と問い掛ける形式にした方がいいんじゃないかと思います。
そうすると案外、相手方は悪意から嘘をついていたんじゃなくて、単に事実認識が違っていただけだと判明することも多いもんです。
あと、まずは当たり障りない雑談でもしてある程度打ち解けて話ができるようになってから、「あの議論の真意はなんだったん?」とか話を振ってみるとか。こういう手順を踏んでから議論をすると、「『お前』呼ばわりするのはけしからん」とか、くだらないことで話がこじれることも少なくなるかと思います。
以上、余計なお世話を書いてみました。
2014/10/22(水) 午後 8:16[ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/39298738.html#39338506
そうすると案外、相手方は悪意から嘘をついていたんじゃなくて、単に事実認識が違っていただけだと判明することも多いもんです。
あと、まずは当たり障りない雑談でもしてある程度打ち解けて話ができるようになってから、「あの議論の真意はなんだったん?」とか話を振ってみるとか。こういう手順を踏んでから議論をすると、「『お前』呼ばわりするのはけしからん」とか、くだらないことで話がこじれることも少なくなるかと思います。
以上、余計なお世話を書いてみました。
2014/10/22(水) 午後 8:16[ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/39298738.html#39338506
*律法学者と預言者
律法学者と預言者の対立は、昔から珍しくないようです。そうであれば、経典重視の人と、霊言容認の人とが対立するのも無理はないかもしれません。
普通だったら、人はそれぞれ意見が違っていて当たり前なのだから、たとえ意見がちがったとしても、「私とあなたは意見がちがいますね」で終わりそうなものだけども、宗教では「私とあなたとは信仰がちがいますね」では終わらないのだから大変です。
それだけ、宗教では、自分とは違う信仰、意見などを許すことが難しいということでしょうか。
2014/10/22(水) 午後 8:26[ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/39298738.html#39338529
律法学者と預言者の対立は、昔から珍しくないようです。そうであれば、経典重視の人と、霊言容認の人とが対立するのも無理はないかもしれません。
普通だったら、人はそれぞれ意見が違っていて当たり前なのだから、たとえ意見がちがったとしても、「私とあなたは意見がちがいますね」で終わりそうなものだけども、宗教では「私とあなたとは信仰がちがいますね」では終わらないのだから大変です。
それだけ、宗教では、自分とは違う信仰、意見などを許すことが難しいということでしょうか。
2014/10/22(水) 午後 8:26[ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/39298738.html#39338529
〈つづく〉
テメーは常に特別!!
ピッポやKUでさえ、ルシとアマの翻弄だった訳で
尚更、アモーレなど・・・
バカって悲しいww
tam
がしました