「コメントまとめ 2」のつづきです。
(前記事までは、投稿者の部分を太字にしていたけど、今回はコメントの表題を太字にしてみました。その方が見やすいようなので)
*HSは霊能力信仰? (2)
私も、メッサーシュミットさんと大体同じく、HSは霊能力信仰だと思います。エル・カンターレ信仰の出発点は、大川隆法は常人の知りえないことを知る霊能力があるというものでしょう。そうであれば、大川隆法の霊能力を信じることなくしてエル・カンターレ信仰はありえない。
「HSは、正しき心の探究、四正道などの心の教えを説いている。霊能力信仰ではない」という意見があるのは知っています。
でも、正しき心の探究、四正道などの心の教えの前提として、信仰が要求されています。その信仰とは、大川隆法は仏陀であり、常人では知りえないことを知る霊能力を持っていると信じることでしょう。
また、正しき心の探究、四正道などの心の教えの根っ子には、人は霊であるという霊的人生観があります。そして霊的人生観の正しさは、大川隆法の霊能力によって支えられています。
結局どこから見ても、HSの信仰は、大川隆法は偉大な霊能力者だと信じることからはじまってます。だから私は、HSは霊能力信仰であり、霊能力宗教であると思ってます。
2014/10/23(木) 午後 6:31[ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/39298738.html#39340044
私も、メッサーシュミットさんと大体同じく、HSは霊能力信仰だと思います。エル・カンターレ信仰の出発点は、大川隆法は常人の知りえないことを知る霊能力があるというものでしょう。そうであれば、大川隆法の霊能力を信じることなくしてエル・カンターレ信仰はありえない。
「HSは、正しき心の探究、四正道などの心の教えを説いている。霊能力信仰ではない」という意見があるのは知っています。
でも、正しき心の探究、四正道などの心の教えの前提として、信仰が要求されています。その信仰とは、大川隆法は仏陀であり、常人では知りえないことを知る霊能力を持っていると信じることでしょう。
また、正しき心の探究、四正道などの心の教えの根っ子には、人は霊であるという霊的人生観があります。そして霊的人生観の正しさは、大川隆法の霊能力によって支えられています。
結局どこから見ても、HSの信仰は、大川隆法は偉大な霊能力者だと信じることからはじまってます。だから私は、HSは霊能力信仰であり、霊能力宗教であると思ってます。
2014/10/23(木) 午後 6:31[ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/39298738.html#39340044
*HSは霊能力信仰? (3)
ついでにもう一つ。
エル・カンターレ信仰では、大川隆法が最高最大最強の霊能者であって、大川隆法以上の霊能者は認められないようです。
これは、エル・カンターレ信仰の中で、霊能力が非常に重視されていることの証明ですし、大川隆法以外の霊能者が排斥される原因でもあるのではないかと思います。
ついでにもう一つ。
エル・カンターレ信仰では、大川隆法が最高最大最強の霊能者であって、大川隆法以上の霊能者は認められないようです。
これは、エル・カンターレ信仰の中で、霊能力が非常に重視されていることの証明ですし、大川隆法以外の霊能者が排斥される原因でもあるのではないかと思います。
*HSは霊能力信仰? (4)
さらに、ついでにもう一つ。
遠藤周作の著作を読むと、イエスについて、病気治しや悪魔祓いなどの奇蹟はおこせず、苦しんでいる人の手を握ってやることくらいしかできない無力な人だったのではないかとしています。その上でイエスをとても尊敬し、信じているようです。
HS信者さんは、奇跡を起こせない、霊能力のないイエスを尊敬し、信じられるでしょうか。また霊言ができない、霊能力のない大川隆法を尊敬し、信じられるでしょうか。
この点について思案してみれば、自分が信じているのは、〝大川隆法〟なのか、それとも〝大川隆法の霊能力〟であるのかが分かると思います。
2014/10/23(木) 午後 6:34[ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/39298738.html#39340048
さらに、ついでにもう一つ。
遠藤周作の著作を読むと、イエスについて、病気治しや悪魔祓いなどの奇蹟はおこせず、苦しんでいる人の手を握ってやることくらいしかできない無力な人だったのではないかとしています。その上でイエスをとても尊敬し、信じているようです。
HS信者さんは、奇跡を起こせない、霊能力のないイエスを尊敬し、信じられるでしょうか。また霊言ができない、霊能力のない大川隆法を尊敬し、信じられるでしょうか。
この点について思案してみれば、自分が信じているのは、〝大川隆法〟なのか、それとも〝大川隆法の霊能力〟であるのかが分かると思います。
2014/10/23(木) 午後 6:34[ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/39298738.html#39340048
*批判のあり方
アンチが、信者の発言について、厳しいけれども公正に解釈した上で批判するというのなら、まあ普通ではあります。
でも、アンチが、信者の発言をわるく解釈した上で批判するなら、これは公正さに欠けるでしょう。こういうアンチは悪質です。
なのに、ブログ村では、信者が、他の信者の発言をわるく解釈した上で批判することが少なくないようです。
一部信者は、ある意味、悪質なアンチと同等のことをしてるといえます。
ここはどうにかした方がいいのではないかと思います。
2014/10/26(日) 午後 8:47[ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/39343254.html#39345557
アンチが、信者の発言について、厳しいけれども公正に解釈した上で批判するというのなら、まあ普通ではあります。
でも、アンチが、信者の発言をわるく解釈した上で批判するなら、これは公正さに欠けるでしょう。こういうアンチは悪質です。
なのに、ブログ村では、信者が、他の信者の発言をわるく解釈した上で批判することが少なくないようです。
一部信者は、ある意味、悪質なアンチと同等のことをしてるといえます。
ここはどうにかした方がいいのではないかと思います。
2014/10/26(日) 午後 8:47[ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/39343254.html#39345557
*ホスピス、尊厳死等
幸福の科学でも、幸福実現党でも、こういうテーマの話はあまり語られていないように思っていましたので、ちょっと意外でした。
ホスピス、尊厳死等についても、意見を聞いてみたいなと思います。
幸福の科学でも、幸福実現党でも、こういうテーマの話はあまり語られていないように思っていましたので、ちょっと意外でした。
ホスピス、尊厳死等についても、意見を聞いてみたいなと思います。
◆自宅で最期を迎えたい・・・|一憂国者の紙つぶて
http://ameblo.jp/papadad/entry-11947418045.html
http://ameblo.jp/papadad/entry-11947418045.html
◆在宅医療への不可避の流れの中で|HRPニュースファイル
http://hrp-newsfile.jp/2014/1807/
2014/11/3(月) 午前 11:42[ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/39343254.html#39359705
http://hrp-newsfile.jp/2014/1807/
2014/11/3(月) 午前 11:42[ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/39343254.html#39359705
*感想1(神秘・奇蹟と理性)
思うに、神秘・奇蹟というものは、理を超えているから、神秘であり、奇跡なのではないでしょうか。もしも理性で判断できることならば、それは神秘でも、奇跡でもないのではないでしょうか。
私はこんな考え方なので、神秘・奇蹟を理性で判断するというのは奇妙に感じます。それよりは、神秘・奇蹟は信仰(神の導き等)によって判断するという方が分かりやすいです。
思うに、神秘・奇蹟というものは、理を超えているから、神秘であり、奇跡なのではないでしょうか。もしも理性で判断できることならば、それは神秘でも、奇跡でもないのではないでしょうか。
私はこんな考え方なので、神秘・奇蹟を理性で判断するというのは奇妙に感じます。それよりは、神秘・奇蹟は信仰(神の導き等)によって判断するという方が分かりやすいです。
*感想2(神秘・奇蹟と理性)
上に書いたのは、理を超えた神秘・奇蹟があると仮定した場合ですが、実際的な話をすれば、神秘・奇蹟とされることのほとんどは理を超えているわけではなく、自然法則によるものにすぎないのだろうと思います。
大概の場合、神秘・奇蹟といったものは、現実にそういう現象があるというよりも、解釈や意味付けによって生まれるものではないでしょうか。たとえば、一つの現象について、ある人には単なる自然現象とされるけれども、別の人によっては神秘・奇蹟と解釈されることがあるようにです。
2014/11/4(火) 午後 8:06 [ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/39343244.html#39362553
上に書いたのは、理を超えた神秘・奇蹟があると仮定した場合ですが、実際的な話をすれば、神秘・奇蹟とされることのほとんどは理を超えているわけではなく、自然法則によるものにすぎないのだろうと思います。
大概の場合、神秘・奇蹟といったものは、現実にそういう現象があるというよりも、解釈や意味付けによって生まれるものではないでしょうか。たとえば、一つの現象について、ある人には単なる自然現象とされるけれども、別の人によっては神秘・奇蹟と解釈されることがあるようにです。
2014/11/4(火) 午後 8:06 [ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/39343244.html#39362553
*感想3(神秘・奇蹟と理性)
神秘・奇蹟現象は現実にあるのでしょうか。それとも、「これは神秘・奇蹟現象だ」と信じられている現象があるだけなのでしょうか。
私には断言することはできませんが、自分の見聞の範囲でいえば、どうも後者が事実っぽく感じられます。
神秘・奇蹟現象は現実にあるのでしょうか。それとも、「これは神秘・奇蹟現象だ」と信じられている現象があるだけなのでしょうか。
私には断言することはできませんが、自分の見聞の範囲でいえば、どうも後者が事実っぽく感じられます。
*感想4(神秘・奇蹟と理性)
なーんて、神秘・奇蹟について懐疑的なことを書いていたら、強烈なデジャブを感じてしまいました。不思議です。これは「同じことが過去にあった」せいなのでしょうか。それとも「同じことが過去にあったという錯覚にすぎない」のでしょうか。
よく分かりませんが、根がロマンチストにできている自分は、前者であってほしい気もしますが、後者が現実なのだろうなあ……とほほ。
2014/11/4(火) 午後 8:10 [ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/39343244.html#39362562
なーんて、神秘・奇蹟について懐疑的なことを書いていたら、強烈なデジャブを感じてしまいました。不思議です。これは「同じことが過去にあった」せいなのでしょうか。それとも「同じことが過去にあったという錯覚にすぎない」のでしょうか。
よく分かりませんが、根がロマンチストにできている自分は、前者であってほしい気もしますが、後者が現実なのだろうなあ……とほほ。
2014/11/4(火) 午後 8:10 [ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/39343244.html#39362562
*キリスト教の「聖霊」とは?
とあるキリスト教系の団体の集会に行ったとき、「霊」「霊的」という言葉がさかんに使われていた。ただそれらは霊魂というよりは、精神、精神的という意味合いで使われていたようだった。
また、とあるクリスチャン作家の著作では、「聖霊」については、「働き」と説明していたと記憶している。「神の働き」としていたかもしれない。私はこれを読んで、人を良心の声に耳を傾けさせ、善に立ち返らせる不思議な作用を聖霊と呼ぶのかなあと思ったものだった。
幸福の科学では、下の文章からすると、キリスト教の「聖霊」は、大川隆法の口を通じて語る霊(高級霊?)のことを指すと解釈しているのだろうか。もしそうなら、これは、これ以上ないくらいにシンプルな見方であるようです。
とあるキリスト教系の団体の集会に行ったとき、「霊」「霊的」という言葉がさかんに使われていた。ただそれらは霊魂というよりは、精神、精神的という意味合いで使われていたようだった。
また、とあるクリスチャン作家の著作では、「聖霊」については、「働き」と説明していたと記憶している。「神の働き」としていたかもしれない。私はこれを読んで、人を良心の声に耳を傾けさせ、善に立ち返らせる不思議な作用を聖霊と呼ぶのかなあと思ったものだった。
幸福の科学では、下の文章からすると、キリスト教の「聖霊」は、大川隆法の口を通じて語る霊(高級霊?)のことを指すと解釈しているのだろうか。もしそうなら、これは、これ以上ないくらいにシンプルな見方であるようです。
>「霊言」を否定することは、
キリスト教の「聖霊」を認めないこと。
絶対に許してはならない。
http://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=1336
2014/11/6(木) 午後 7:50 [ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/39353223.html#39366472
キリスト教の「聖霊」を認めないこと。
絶対に許してはならない。
http://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=1336
2014/11/6(木) 午後 7:50 [ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/39353223.html#39366472
*これは本当なのか?
何人かで集まって話をするとき、その場にいない人の噂、悪口をまったく言わないというのは難しいかもしれない。ちょっとくらい言ってしまうのは仕方ないことかもしれない。でも誰かを攻撃しようという相談をしているというのが本当なら、どうかしてる。いくらなんでもそこまではしていないだろうと思うのだが……。
何人かで集まって話をするとき、その場にいない人の噂、悪口をまったく言わないというのは難しいかもしれない。ちょっとくらい言ってしまうのは仕方ないことかもしれない。でも誰かを攻撃しようという相談をしているというのが本当なら、どうかしてる。いくらなんでもそこまではしていないだろうと思うのだが……。
>嘆かわしい・・ 匿名 さん
>「HS-SNS」(http://hs-sns.net/)という信者コミュニティーに、アマミ、ひで、アモーレ、トンヌラなどが参加しているのですが、ここで会員攻撃の煽動をしたり、閉鎖的な紹介制サイトなのをいいことに、他の会員の悪口や、攻撃のための打ち合わせをしています。皆さん、ご注意を。
http://plaza.rakuten.co.jp/kohitujinopippo/diary/201411070001/#comment
2014/11/9(日) 午前 10:47[ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/39343254.html#39371275
http://plaza.rakuten.co.jp/kohitujinopippo/diary/201411070001/#comment
2014/11/9(日) 午前 10:47[ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/39343254.html#39371275
*エルカンターレファイトと呪詛
薬は、病気を治す効果もありますが、使い方によっては毒にもなるといいます。
包丁も、料理をするには便利な道具ですが、凶器にもなりうるものです。
心の教えも、これと同じです。たとえば、自己責任の教えは、自分を律するにはとても役立つでしょうが、他人を裁く凶器としても使えます。与える愛の教えも、自分を律するには役立ちますが、「あなたは与える愛をしていない」と他人を裁く凶器にもなります。
エルカンターレファイトもこれと同じかもしれません。当人の心の持ち様で、正エルカンターレファイトにもなれば、逆さエルカンターレファイトにもなるのでしょう。
ただこれは、あくまで「エルカンターレファイト」という呼び方をしているだけであって、実態は、一方は敬虔な祈りで、もう一方は呪詛ということかもしれません。
この点、コウさんの見方が正しいように思えます。
2014/11/9(日) 午前 10:49[ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/39343254.html#39371281
薬は、病気を治す効果もありますが、使い方によっては毒にもなるといいます。
包丁も、料理をするには便利な道具ですが、凶器にもなりうるものです。
心の教えも、これと同じです。たとえば、自己責任の教えは、自分を律するにはとても役立つでしょうが、他人を裁く凶器としても使えます。与える愛の教えも、自分を律するには役立ちますが、「あなたは与える愛をしていない」と他人を裁く凶器にもなります。
エルカンターレファイトもこれと同じかもしれません。当人の心の持ち様で、正エルカンターレファイトにもなれば、逆さエルカンターレファイトにもなるのでしょう。
ただこれは、あくまで「エルカンターレファイト」という呼び方をしているだけであって、実態は、一方は敬虔な祈りで、もう一方は呪詛ということかもしれません。
この点、コウさんの見方が正しいように思えます。
2014/11/9(日) 午前 10:49[ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/39343254.html#39371281
>ヴィーナスさんの記事を読むと砂塵の部分でやられたニュアンスですよね。
だからね。
ただの悪想念ですよ。
エル・カンターレファイトと呼ぶから間違えるのであって、ただ、相手の危害を願ったんですよね。
あの人たちのヴィーナスさんへの態度を見ると、明らかに浄化ではないですよね。
法友に対する態度ではないですよね。
だからね。
ただの悪想念ですよ。
エル・カンターレファイトと呼ぶから間違えるのであって、ただ、相手の危害を願ったんですよね。
あの人たちのヴィーナスさんへの態度を見ると、明らかに浄化ではないですよね。
法友に対する態度ではないですよね。
[省略]
>だから、エル・カンターレファイト抜きにして考えなければいけませんよ。
>愛の想いか、呪いかの違いです。 (2014.11.08 21:53:15)
http://plaza.rakuten.co.jp/kohitujinopippo/diary/201411080000/#comment
2014/11/9(日) 午前 10:51[ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/39343254.html#39371286
http://plaza.rakuten.co.jp/kohitujinopippo/diary/201411080000/#comment
2014/11/9(日) 午前 10:51[ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/39343254.html#39371286
*無理強いしない
うろ覚えですが、大川隆法氏が新しい家を探しているときのエピソードを読んだ記憶があります。『真説・八正道』の正念の章だったかな。大体、次のような内容だったかと……。
よい借家を見つけたので借りようとしたが、家主に断られた。あれこれ交渉すれば借りられたかもしれないが、それはしなかった。気持ちを切り替えて、いずれもっとよい家が見つかるだろうと信じて待つことにした。すると案の定、もっとよい条件の家が見つかった。前の家に執着しなかったおかげで、もっとよい家に住めることになってよかった。
近頃の不認可騒動を見ていて、この話を思い出しました。
2014/11/9(日) 午前 10:55 [ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/39353223.html#39371294
うろ覚えですが、大川隆法氏が新しい家を探しているときのエピソードを読んだ記憶があります。『真説・八正道』の正念の章だったかな。大体、次のような内容だったかと……。
よい借家を見つけたので借りようとしたが、家主に断られた。あれこれ交渉すれば借りられたかもしれないが、それはしなかった。気持ちを切り替えて、いずれもっとよい家が見つかるだろうと信じて待つことにした。すると案の定、もっとよい条件の家が見つかった。前の家に執着しなかったおかげで、もっとよい家に住めることになってよかった。
近頃の不認可騒動を見ていて、この話を思い出しました。
2014/11/9(日) 午前 10:55 [ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/39353223.html#39371294
*エルカンターレファイト 1 (神を信じるアンチ視点)
神を信じるアンチ視点から見ると、神は、人が祈るより先に、その場に来ているのではないかと思います。人が「たすけて、神様!」と祈るより前、はじめの「た」をいうより前に、神様はたすけてくれるだろうということ。だから、「ライト、クロス~ファイト!」と唱える必要はないのじゃないかと。
また、彼に悪霊が憑いてる、あそこに悪魔がいると見える時点で、問題アリのような気がします。それらが見えたり、感じられるということは、それらと波長が合ってしまっているということで、自分自身も同類だということかもしれないし。
神を信じるアンチ視点から見ると、神は、人が祈るより先に、その場に来ているのではないかと思います。人が「たすけて、神様!」と祈るより前、はじめの「た」をいうより前に、神様はたすけてくれるだろうということ。だから、「ライト、クロス~ファイト!」と唱える必要はないのじゃないかと。
また、彼に悪霊が憑いてる、あそこに悪魔がいると見える時点で、問題アリのような気がします。それらが見えたり、感じられるということは、それらと波長が合ってしまっているということで、自分自身も同類だということかもしれないし。
*エルカンターレファイト 2 (神を信じないアンチ視点)
唯物論無神論の視点からいうならば、「すべて妄想、迷信だろうけれども、それを信じることで心の平安が得られ、他に迷惑をかけないのなら、それでいいのかもしれません」ということになりそうです。
2014/11/9(日) 午前 11:12[ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/39343254.html#39371315
唯物論無神論の視点からいうならば、「すべて妄想、迷信だろうけれども、それを信じることで心の平安が得られ、他に迷惑をかけないのなら、それでいいのかもしれません」ということになりそうです。
2014/11/9(日) 午前 11:12[ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/39343254.html#39371315
*エルカンターレファイト
上の議論の発端と思われる記事です。
上の議論の発端と思われる記事です。
↓
◆エルカンターレファイトでの攻撃|癒し 天使たちのことば
http://ameblo.jp/arhan/entry-11751571159.html
2014/11/12(水) 午後 7:46[ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/39343254.html#39378325
http://ameblo.jp/arhan/entry-11751571159.html
2014/11/12(水) 午後 7:46[ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/39343254.html#39378325
*両者の論点
アマミさんの意見は、次のようなものでしょうか。
・エルカンターレファイトは、悪霊撃退の修法であり、呪詛ではない。ただし悪霊は、エルカンターレファイトを呪詛、攻撃と感じることもある。
アマミさんの意見は、次のようなものでしょうか。
・エルカンターレファイトは、悪霊撃退の修法であり、呪詛ではない。ただし悪霊は、エルカンターレファイトを呪詛、攻撃と感じることもある。
コウさんの意見は、こうでしょうか。
・悪感情をもって、エルカンターレファイトをした場合、それはエルカンターレファイトの形をとってはいても、本当のエルカンターレファイトとはいえず、実際には、悪想念を飛ばしているだけにすぎないだろう。
・悪感情をもって、エルカンターレファイトをした場合、それはエルカンターレファイトの形をとってはいても、本当のエルカンターレファイトとはいえず、実際には、悪想念を飛ばしているだけにすぎないだろう。
簡単に言いかえれば、両者の意見はこうでしょうか。
・正しいエルカンターレファイトは、呪詛とは違う。
・悪意による、正しくないエルカンターレファイトは、エルカンターレファイトというより、呪詛と同じではないか。
・正しいエルカンターレファイトは、呪詛とは違う。
・悪意による、正しくないエルカンターレファイトは、エルカンターレファイトというより、呪詛と同じではないか。
一方は「正しいエルカンターレファイトは悪霊を撃退するもので、法友を傷つけるものではない」と語り、もう一方は「間違ったエルカンターレファイト……いわば似非エルカンターレファイトによって法友を傷つけてはいけない」と語っているとしたら、話は中々かみ合わないだろうなあと思います。
2014/11/13(木) 午後 7:49[ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/39343254.html#39380219
2014/11/13(木) 午後 7:49[ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/39343254.html#39380219
*祈られる側の気持ち 1
N崎支部長さんらは、祈る側に立って、意見を言っているようです。相手のためを思って祈ってるのを、攻撃と受け止めたり、歪めて解釈するのはおかしいという風に……。祈る側からしたら、そう考えるのは当たり前かと思います。
でも祈られる側からしたら、ちがう感想になるのではないでしょうか。
たとえば、クリスチャンに対して、「あなたのために、神社にいってお祈りしてきました」と言ったら、それが善意の祈りであっても、クリスチャンはあまりいい気持ちはしないのではないでしょうか。
またHSを退会してアンチになった者が、HS信者に対して「あなたが早く退会できるように祈ってます」といったら、HS信者はどう感じるでしょうか。
HS信者同士であっても、対立している相手から、「あなたに憑いてる悪霊がはがれるように祈りました」といわれて、うれしく思うことはできるものでしょうか。
結局、祈りというものは、それが正しいものであっても、正しくないものであっても、祈られる側からしたら不快な場合も有り得るものなんでしょう。
2014/11/13(木) 午後 8:00[ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/39343254.html#39380254
N崎支部長さんらは、祈る側に立って、意見を言っているようです。相手のためを思って祈ってるのを、攻撃と受け止めたり、歪めて解釈するのはおかしいという風に……。祈る側からしたら、そう考えるのは当たり前かと思います。
でも祈られる側からしたら、ちがう感想になるのではないでしょうか。
たとえば、クリスチャンに対して、「あなたのために、神社にいってお祈りしてきました」と言ったら、それが善意の祈りであっても、クリスチャンはあまりいい気持ちはしないのではないでしょうか。
またHSを退会してアンチになった者が、HS信者に対して「あなたが早く退会できるように祈ってます」といったら、HS信者はどう感じるでしょうか。
HS信者同士であっても、対立している相手から、「あなたに憑いてる悪霊がはがれるように祈りました」といわれて、うれしく思うことはできるものでしょうか。
結局、祈りというものは、それが正しいものであっても、正しくないものであっても、祈られる側からしたら不快な場合も有り得るものなんでしょう。
2014/11/13(木) 午後 8:00[ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/39343254.html#39380254
*祈られる側の気持ち 2
本人から、「わたしのために祈って欲しい」「わたしにエルカンターレファイトをして欲しい」と頼まれたら、それに応えるのはいいことだと思います。
でも本人が何も頼んでもいないのに、勝手にその人のために祈ったり、エルカンターレファイトをするのは、ある意味、善意の押し付けだろうし、苦情を言われても仕方ないことかもしれません。
こんな意見を言うと、「この人は、エルカンターレに祈られるのを恐れている。エルカンターレファイトされるのを避けようとしている」という風に思う人もいるかもしれません。
でも私としては、「祈られる側は、祈ってくれる人を選びたいだろう。信頼している人が祈ってくれるのはうれしいだろうが、信頼していない人から祈られても不快だろう」という程度のことを言っているにすぎないのですけど。
2014/11/13(木) 午後 8:21[ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/39343254.html#39380296
本人から、「わたしのために祈って欲しい」「わたしにエルカンターレファイトをして欲しい」と頼まれたら、それに応えるのはいいことだと思います。
でも本人が何も頼んでもいないのに、勝手にその人のために祈ったり、エルカンターレファイトをするのは、ある意味、善意の押し付けだろうし、苦情を言われても仕方ないことかもしれません。
こんな意見を言うと、「この人は、エルカンターレに祈られるのを恐れている。エルカンターレファイトされるのを避けようとしている」という風に思う人もいるかもしれません。
でも私としては、「祈られる側は、祈ってくれる人を選びたいだろう。信頼している人が祈ってくれるのはうれしいだろうが、信頼していない人から祈られても不快だろう」という程度のことを言っているにすぎないのですけど。
2014/11/13(木) 午後 8:21[ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/39343254.html#39380296
*祈られる側の気持ち 3
理想としては、祈る側は「彼は間違っている。彼が正しさを取り戻すように」というような裁き心を持たないようにし、祈られる側は祈ってくれる者の善意を信じて素直に感謝することができたらと思います。
でもこれはなかなか難しい。対立者のことを祈る時に、裁き心を持たないのも、対立者から祈られる時に、気持ち悪いという不快感を持たないのも、どちらも難しいことです。
「裁き心の混じった祈りをするな」
「他人の祈りを気持ち悪がるな」
どちらも、言うは易し行うは難しです。
そうであれば、裁き心の混じった祈りをする人、他人の祈りを気持ち悪がる人を責めることはできないってことです。難しいことができないのは罪ではないだろうし、人にはできないことができないのも罪ではないでしょうから。
結局、「~するな」「~ねばならぬ」と無理なことを言って、それができない人を責めるより、お互いの不完全さを知って許し合う方が、みなが平和に暮らせるということなのかもしれません。
2014/11/13(木) 午後 8:34[ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/39343254.html#39380321
理想としては、祈る側は「彼は間違っている。彼が正しさを取り戻すように」というような裁き心を持たないようにし、祈られる側は祈ってくれる者の善意を信じて素直に感謝することができたらと思います。
でもこれはなかなか難しい。対立者のことを祈る時に、裁き心を持たないのも、対立者から祈られる時に、気持ち悪いという不快感を持たないのも、どちらも難しいことです。
「裁き心の混じった祈りをするな」
「他人の祈りを気持ち悪がるな」
どちらも、言うは易し行うは難しです。
そうであれば、裁き心の混じった祈りをする人、他人の祈りを気持ち悪がる人を責めることはできないってことです。難しいことができないのは罪ではないだろうし、人にはできないことができないのも罪ではないでしょうから。
結局、「~するな」「~ねばならぬ」と無理なことを言って、それができない人を責めるより、お互いの不完全さを知って許し合う方が、みなが平和に暮らせるということなのかもしれません。
2014/11/13(木) 午後 8:34[ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/39343254.html#39380321
◆天使たちのことば|コメントにお答えして
http://ameblo.jp/arhan/entry-11951849684.html
http://ameblo.jp/arhan/entry-11951849684.html
◆アマミちゃんのお気楽にもほどがある日々|祈願の前の生霊がえし法・アマミちゃん編
http://ameblo.jp/amamikyo77/entry-11952174675.html
http://ameblo.jp/amamikyo77/entry-11952174675.html
◆幸福の科学 W布教所のテキトーな日々|幸福の科学の会員に思う
http://xn--w-pcuu06o9sdjre.seesaa.net/article/408902618.html
2014/11/14(金) 午後 7:12[ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/39343254.html#39382037
http://xn--w-pcuu06o9sdjre.seesaa.net/article/408902618.html
2014/11/14(金) 午後 7:12[ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/39343254.html#39382037
*除霊と浄霊
書名は忘れたが、ある本では、除霊は憑依霊を強制的に取り除くことであり、浄霊は憑依霊を浄め、改心させて、天国に送ることだと説明していました。
この分類からいくと、エルカンターレファイトは除霊ということになるんでしょう。
自分の感覚では、浄霊が基本であり、除霊はよほどの緊急事態のときだけにした方が無難であるように思えます。
2014/11/14(金) 午後 7:15[ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/39343254.html#39382045
書名は忘れたが、ある本では、除霊は憑依霊を強制的に取り除くことであり、浄霊は憑依霊を浄め、改心させて、天国に送ることだと説明していました。
この分類からいくと、エルカンターレファイトは除霊ということになるんでしょう。
自分の感覚では、浄霊が基本であり、除霊はよほどの緊急事態のときだけにした方が無難であるように思えます。
2014/11/14(金) 午後 7:15[ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/39343254.html#39382045
*エルカンターレファイトの効果
記憶はおぼろげですが、エルカンターレファイトは、強い信仰心によって行えば、隕石(岩?)をも砕く威力があるとされていたように思います。
エルカンターレファイトは、悪霊撃退するという霊的な力だけでなく、隕石(岩?)をも砕く物理的な力もあると……。
記憶はおぼろげですが、エルカンターレファイトは、強い信仰心によって行えば、隕石(岩?)をも砕く威力があるとされていたように思います。
エルカンターレファイトは、悪霊撃退するという霊的な力だけでなく、隕石(岩?)をも砕く物理的な力もあると……。
*心の中の砂
反省行を積み、想念帯の曇りを取り除いたとき、阿羅漢の境地に達すると言います。見方を変えれば、阿羅漢の境地に達していない者は、まだ想念帯が曇っているということでしょう。
ということは、心の中の砂を無くして、純真な心でエルカンターレファイトをするには、少なくとも阿羅漢の境地に達する必要があるということかもしれません。阿羅漢でなければ、純なエルカンターレファイトをするのは難しいということ。
2014/11/14(金) 午後 7:15[ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/39343254.html#39382050
反省行を積み、想念帯の曇りを取り除いたとき、阿羅漢の境地に達すると言います。見方を変えれば、阿羅漢の境地に達していない者は、まだ想念帯が曇っているということでしょう。
ということは、心の中の砂を無くして、純真な心でエルカンターレファイトをするには、少なくとも阿羅漢の境地に達する必要があるということかもしれません。阿羅漢でなければ、純なエルカンターレファイトをするのは難しいということ。
2014/11/14(金) 午後 7:15[ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/39343254.html#39382050
*上の二つをまとめると
エルカンターレファイトは、岩を砕けるなら、人間の肉体も傷つけることができるかもしれません。
阿羅漢未満の人が、エルカンターレファイトをするなら、心の中の砂もいっしょに飛ばしてしまうかもしれません。
この二つを考えると、阿羅漢未満の人が、エルカンターレファイトは人に向けて行うのはとても危険のように思えます。
以上、「エルカンターレファイトの効果」「心の中の砂」と、HS教義を出発点にしていろいろ考えてみました。
2014/11/14(金) 午後 7:18[ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/39343254.html#39382056
エルカンターレファイトは、岩を砕けるなら、人間の肉体も傷つけることができるかもしれません。
阿羅漢未満の人が、エルカンターレファイトをするなら、心の中の砂もいっしょに飛ばしてしまうかもしれません。
この二つを考えると、阿羅漢未満の人が、エルカンターレファイトは人に向けて行うのはとても危険のように思えます。
以上、「エルカンターレファイトの効果」「心の中の砂」と、HS教義を出発点にしていろいろ考えてみました。
2014/11/14(金) 午後 7:18[ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/39343254.html#39382056
*元信者の立場から言うと
私が信者だったころ、支部で、エルカンターレファイトの練習をしたことがあります。みんなで並んで、声を合わせて、エルカンターレファイトをしたのでした。このときの気恥ずかしさは今でもよく覚えています。
なので、信者さんらが、さほどの照れもなしに、真面目に、エルカンターレファイトを語っているのは、ちょっと不思議な感じがします。
エルカンターレファイトをどう感じるかは、人それぞれなんだなあと思います。
2014/11/14(金) 午後 7:30[ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/39343254.html#39382082
私が信者だったころ、支部で、エルカンターレファイトの練習をしたことがあります。みんなで並んで、声を合わせて、エルカンターレファイトをしたのでした。このときの気恥ずかしさは今でもよく覚えています。
なので、信者さんらが、さほどの照れもなしに、真面目に、エルカンターレファイトを語っているのは、ちょっと不思議な感じがします。
エルカンターレファイトをどう感じるかは、人それぞれなんだなあと思います。
2014/11/14(金) 午後 7:30[ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/39343254.html#39382082
*戦闘系?
ヴィーナスさんが「コメントにお答えして」のコメント欄の「7. Re:瘴気」で、「戦闘系」云々と書いてました。
戦闘系という言葉は、初期レムリアのメンバーがよく使っていたと思いますが、今は幸福の科学でも使用するようになったのでしょうか。
ヴィーナスさんが「コメントにお答えして」のコメント欄の「7. Re:瘴気」で、「戦闘系」云々と書いてました。
戦闘系という言葉は、初期レムリアのメンバーがよく使っていたと思いますが、今は幸福の科学でも使用するようになったのでしょうか。
>戦闘系の魂が会の中心で使命を果たされているので、
http://ameblo.jp/arhan/entry-11951849684.html#cbox
2014/11/16(日) 午後 7:51[ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/39343254.html#39385715
http://ameblo.jp/arhan/entry-11951849684.html#cbox
2014/11/16(日) 午後 7:51[ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/39343254.html#39385715
*KUさんの主張
KUさんは次のように書いてます。
KUさんは次のように書いてます。
>高級霊は必要があるときなどは、自分の波長を相手の悟りに合わせて調整され、霊的な概念を降ろして頂くこともあります。これは、波長同通の法則から言えば、高級霊人が合わせて下さっていると言う事です。なので、八次元の方達との霊的会話をする為には八次元の悟りが必要であるということもそうでしょうが、また、そこまでの悟りが無くても、必要があれば、高級霊からの交流もあると云う事でしょう。この事は既に主の教えの中にもあると思います。
http://swedenborg-platon.seesaa.net/article/409102175.html#comment
2014/11/21(金) 午後 7:21[ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/39392053.html#39395529
http://swedenborg-platon.seesaa.net/article/409102175.html#comment
2014/11/21(金) 午後 7:21[ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/39392053.html#39395529
*ガンさんの主張
ガンさんは次のように書いてます。
ガンさんは次のように書いてます。
>高級霊が私達に合わせることはなく、私達が精進して合わせていくべき
>確かに7次元の光の天使が地上に降りて修行する過程で、その使命実現のために8次元の大天使が指導するということは、学んだ記憶があります。
同時に、高級霊が私達の考えに合わせることはありません、私達(地上に降りた魂)が高級霊の悟りについていかなくてはならないのですと、読んだ記憶があるのですが、どの本に書いてあったかわかりません。
http://swedenborg-platon.seesaa.net/article/409291566.html
2014/11/21(金) 午後 7:22[ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/39392053.html#39395531
同時に、高級霊が私達の考えに合わせることはありません、私達(地上に降りた魂)が高級霊の悟りについていかなくてはならないのですと、読んだ記憶があるのですが、どの本に書いてあったかわかりません。
http://swedenborg-platon.seesaa.net/article/409291566.html
2014/11/21(金) 午後 7:22[ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/39392053.html#39395531
*感想(どっちもどっち)
どちらも、自分の主張の根拠となる書名、ページ数を提示できてないところが弱いように思えます。なーんて言いつつも、私も自分の記憶だけで書きます。
まずKUさんの説ですが、大川隆法の本の中には、高級霊が対機説法として相手のレベルに合わせて法を説くという話はあったと思います。でも高級霊が自分の波長を相手の波長に合わせて下げるという話まであったでしょうか? 光を落とすみたいな表現はあったかな。
次に、ガンさんの説ですが、高級霊が私達に合わせるのでなく、私達が精進して高級霊に合わせるというのは、事実というより、「べき論」にすぎないようです。「高級霊に私達のところまで下りて来てもらうのでなく、私達が高級霊に近付いて行こうではないか」みたいな元気づけの言葉を、「高級霊は私達に合わせることはしない」という事実の言葉と解釈してしまっているということはないでしょうか。
2014/11/21(金) 午後 7:23[ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/39392053.html#39395536
どちらも、自分の主張の根拠となる書名、ページ数を提示できてないところが弱いように思えます。なーんて言いつつも、私も自分の記憶だけで書きます。
まずKUさんの説ですが、大川隆法の本の中には、高級霊が対機説法として相手のレベルに合わせて法を説くという話はあったと思います。でも高級霊が自分の波長を相手の波長に合わせて下げるという話まであったでしょうか? 光を落とすみたいな表現はあったかな。
次に、ガンさんの説ですが、高級霊が私達に合わせるのでなく、私達が精進して高級霊に合わせるというのは、事実というより、「べき論」にすぎないようです。「高級霊に私達のところまで下りて来てもらうのでなく、私達が高級霊に近付いて行こうではないか」みたいな元気づけの言葉を、「高級霊は私達に合わせることはしない」という事実の言葉と解釈してしまっているということはないでしょうか。
2014/11/21(金) 午後 7:23[ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/39392053.html#39395536
*参考
参考として、聖書には、パウロの手紙として次のようなものがあります。
参考として、聖書には、パウロの手紙として次のようなものがあります。
>わたしは、だれに対しても自由な者ですが、すべての人の奴隷になりました。できるだけ多くの人を得るためです。ユダヤ人に対しては、ユダヤ人のようになりました。ユダヤ人を得るためです。律法に支配されている人に対しては、わたし自身はそうではないのですが、律法に支配されている人のようになりました。律法に支配されている人を得るためです。また、わたしは神の律法を持っていないわけではなく、キリストの律法に従っているのですが、律法を持たない人に対しては、律法を持たない人のようになりました。律法を持たない人を得るためです。弱い人に対しては、弱い人のようになりました。弱い人を得るためです。すべての人に対してすべてのものになりました。何とかして何人かでも救うためです。福音のためなら、わたしはどんなことでもします。それは、わたしが福音に共にあずかる者となるためです。
(コリントの信徒への手紙一 9.19-23)
2014/11/21(金) 午後 7:24[ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/39392053.html#39395539
(コリントの信徒への手紙一 9.19-23)
2014/11/21(金) 午後 7:24[ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/39392053.html#39395539
*感想(そういえば)
死者を導く霊は、相手の宗教に合わせて導くと聞いたことがあります。導きの霊は、亡くなった人が仏教徒なら菩薩の姿で、キリスト教徒なら天使の姿で迎えに行くというように。
また如来、菩薩は、低位霊界の霊たちに教えるときは、霊体や幽体を着込んで下りていくのでしょう。五次元霊界で教えるときは、霊体を着込み、四次元幽界で教えるときは幽体を着込むというように。
やはり高級霊ほど自由は広がるのが基本だろうし、低級霊は高級霊に合わせられないが、高級霊は低級霊のレベルに下りて行けるとする方が自然のように思えます。
「高級霊は低級霊のレベルに合わせられない」ではなく、「高級霊は必要があれば低級霊のレベルに合わせることもできる」みたいな感じ。
2014/11/21(金) 午後 7:40[ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/39392053.html#39395564
死者を導く霊は、相手の宗教に合わせて導くと聞いたことがあります。導きの霊は、亡くなった人が仏教徒なら菩薩の姿で、キリスト教徒なら天使の姿で迎えに行くというように。
また如来、菩薩は、低位霊界の霊たちに教えるときは、霊体や幽体を着込んで下りていくのでしょう。五次元霊界で教えるときは、霊体を着込み、四次元幽界で教えるときは幽体を着込むというように。
やはり高級霊ほど自由は広がるのが基本だろうし、低級霊は高級霊に合わせられないが、高級霊は低級霊のレベルに下りて行けるとする方が自然のように思えます。
「高級霊は低級霊のレベルに合わせられない」ではなく、「高級霊は必要があれば低級霊のレベルに合わせることもできる」みたいな感じ。
2014/11/21(金) 午後 7:40[ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/39392053.html#39395564
*KUさんの主張
KUさんは次のように書いてます。
KUさんは次のように書いてます。
>最後に、「そもそも霊言の目的が、」の件で
主との比較をされていますが、私は主の弟子で有り、私の悟りえたものしか出来ませんし、また神仕組により許された事しか出来ないでしょう。ただ、与えられた事を淡々とやり続けています。あくまでも弟子は弟子であります。弟子以外の何者でもありません。
では「その目的は何か」と問われていますが、正直に申しますと、私にも統べてはわかりません。後付けで、私なりに色々と考えることは出来ますが、しかし、それはあくまでも後付けであります。
何故、私や私達に霊言が出来るのか、本当の目的は何か、この事についてはやはり「わからない」としか言えません。これはきっと私の人生が終わる頃に、ようやく見えてくるのかも知れませんね。
また、やり続けていくときに、様々な問題や事が起きますが、それもまた小さな目的の一部と考えても良いかもしれません。
http://swedenborg-platon.seesaa.net/article/409102175.html#comment
2014/11/21(金) 午後 7:41[ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/39392053.html#39395565
主との比較をされていますが、私は主の弟子で有り、私の悟りえたものしか出来ませんし、また神仕組により許された事しか出来ないでしょう。ただ、与えられた事を淡々とやり続けています。あくまでも弟子は弟子であります。弟子以外の何者でもありません。
では「その目的は何か」と問われていますが、正直に申しますと、私にも統べてはわかりません。後付けで、私なりに色々と考えることは出来ますが、しかし、それはあくまでも後付けであります。
何故、私や私達に霊言が出来るのか、本当の目的は何か、この事についてはやはり「わからない」としか言えません。これはきっと私の人生が終わる頃に、ようやく見えてくるのかも知れませんね。
また、やり続けていくときに、様々な問題や事が起きますが、それもまた小さな目的の一部と考えても良いかもしれません。
http://swedenborg-platon.seesaa.net/article/409102175.html#comment
2014/11/21(金) 午後 7:41[ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/39392053.html#39395565
*ガンさんの主張
ガンさんは次のように書いてます。
ガンさんは次のように書いてます。
>つまり霊的現象が現実のものとして自分に降りてきても、その霊現象がよくわからない曖昧な状態で、周囲の人に語ってはいけないということです。
>私の考えでは、高級霊が荒い波動で構成されている物質世界に来ることは非常に困難なことであり、人類のユートピアに貢献する使命のある人にはインスピレーションなりをおろしてくると考えますが、霊的現象がおきている本人に目的や使命の自覚がない状態で、上記で書きましたように認識における曖昧さがある状態で、多数の霊存在が降りてくるようなら、検証してみる必要があると考えます。
>自分自身がいまだよくわからない状態で霊的現象を信じきるのは危険であると判断します。
http://swedenborg-platon.seesaa.net/article/409291566.html
2014/11/21(金) 午後 7:41[ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/39392053.html#39395567
http://swedenborg-platon.seesaa.net/article/409291566.html
2014/11/21(金) 午後 7:41[ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/39392053.html#39395567
*感想(現実的なのは)
ガンさんの主張よりは、KUさんの主張の方が現実的と思います。
霊的なことに限らず、人生というのは、分からないこと、曖昧なことだらけでも、前に進んでいかなければならないものであって、それらが解消するまで前に進まないなんてことは無理です。
ガンさんの主張よりは、KUさんの主張の方が現実的と思います。
霊的なことに限らず、人生というのは、分からないこと、曖昧なことだらけでも、前に進んでいかなければならないものであって、それらが解消するまで前に進まないなんてことは無理です。
*感想(さらに現実的になると)
霊的なことを信じていると、不思議なことが起きるとすぐに霊現象だと考えてしまいがちと思います。
でもひょっとすると、霊的な原因でなくて、脳のどこかにおかしいところがあるために、幻視、幻聴など不思議なことが起きている場合がないともかぎりません。
不思議なこと、神秘現象が続くようであれば、霊現象だと独り決めしないで、まずは医師の診察を受けたほうが賢明のように思います。霊がどうこう考えるのはその後でも遅くないでしょう。
2014/11/21(金) 午後 7:53[ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/39392053.html#39395587
霊的なことを信じていると、不思議なことが起きるとすぐに霊現象だと考えてしまいがちと思います。
でもひょっとすると、霊的な原因でなくて、脳のどこかにおかしいところがあるために、幻視、幻聴など不思議なことが起きている場合がないともかぎりません。
不思議なこと、神秘現象が続くようであれば、霊現象だと独り決めしないで、まずは医師の診察を受けたほうが賢明のように思います。霊がどうこう考えるのはその後でも遅くないでしょう。
2014/11/21(金) 午後 7:53[ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/39392053.html#39395587
*Dさんの見解
Dさんは次のように書いてます。
Dさんは次のように書いてます。
>KUさんのいうように、たしかに高級霊霊言は、必ずしも基本の波長同通オンリーではないことは、教義のなかに散見されます。したがって、如来でもないのに如来の霊言は不可能という論理だけでは、黒判定はできないと思います。
>また、KUさん霊言における、波動がいまいちという意見も主観的なものなので、共有できないという意味では一意見以上のものではありません。
>だからといって、三宝帰依している信者の霊言なのだから認めるべきという意見もゆるすぎるというか、安易だと感じています。
[略]
>結論としては、今のところ、信者レベルであれこれいってても結論は出ないかと思います。それこそ出版という運びになれば、教団から明白な判定がくると思いますが。
http://swedenborg-platon.seesaa.net/article/409102175.html#comment
2014/11/21(金) 午後 7:54[ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/39392053.html#39395588
http://swedenborg-platon.seesaa.net/article/409102175.html#comment
2014/11/21(金) 午後 7:54[ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/39392053.html#39395588
*感想(バランスがいい)
Dさんの意見は、信者として、バランスがとれているように思えます。
Dさんの意見は、信者として、バランスがとれているように思えます。
*感想(ガンさんの癖?)
Dさんが少し触れていますが、ガンさんは、波長同通オンリーっぽい発言が目立っているように思います。「波長同通の法則は真理です」と聞くと、「波長同通の法則だけが真理です」と受け取ってしまうタイプなのでしょうか。だから、波長同通の法則によらない別の霊界通信方法が有り得ることは認めないのでしょうか。
たとえて言うと、自分の信じる教祖が「人は生物です」と説くと、「人だけが生物です」と受け止めてしまい、他の人が「猿、豚、鳥も生物です」と言っても、「人だけが生物であって、猿、豚、鳥は生物ではない」と言い張るタイプ?
2014/11/21(金) 午後 7:56[ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/39392053.html#39395590
Dさんが少し触れていますが、ガンさんは、波長同通オンリーっぽい発言が目立っているように思います。「波長同通の法則は真理です」と聞くと、「波長同通の法則だけが真理です」と受け取ってしまうタイプなのでしょうか。だから、波長同通の法則によらない別の霊界通信方法が有り得ることは認めないのでしょうか。
たとえて言うと、自分の信じる教祖が「人は生物です」と説くと、「人だけが生物です」と受け止めてしまい、他の人が「猿、豚、鳥も生物です」と言っても、「人だけが生物であって、猿、豚、鳥は生物ではない」と言い張るタイプ?
2014/11/21(金) 午後 7:56[ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/39392053.html#39395590
*英さんが注意されてる
次の記事のコメント欄(11月21日付)で、英さんが二人の方(おそらくは信者)から注意されてました。
次の記事のコメント欄(11月21日付)で、英さんが二人の方(おそらくは信者)から注意されてました。
◆やすらぎのガンブロ|自分に許される範囲を知る KU(癒し天使たちのことば)さんのコメントに対して
http://swedenborg-platon.seesaa.net/article/409102175.html#comment
http://swedenborg-platon.seesaa.net/article/409102175.html#comment
*決めつけすぎる?
ガンさん、英さんの意見を聞いていて思うのは、独り決めしすぎているのではないかということ。
高級霊は私達に合わせないとか、ブログでの匿名霊言が本物のはずがないとか……。
高級霊のすべてを認識できないだろう、高級霊未満の者が、「高級霊はこうだ」「真なる霊言はこうだ」という風に、高級霊のことを分かってるようなことを言うのには違和感があります。
2014/11/22(土) 午前 8:51[ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/39392053.html#39396594
ガンさん、英さんの意見を聞いていて思うのは、独り決めしすぎているのではないかということ。
高級霊は私達に合わせないとか、ブログでの匿名霊言が本物のはずがないとか……。
高級霊のすべてを認識できないだろう、高級霊未満の者が、「高級霊はこうだ」「真なる霊言はこうだ」という風に、高級霊のことを分かってるようなことを言うのには違和感があります。
2014/11/22(土) 午前 8:51[ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/39392053.html#39396594
*誰もが如来になることができる?
ベロ出しチョンマさんが次のように書いていました。
ベロ出しチョンマさんが次のように書いていました。
>ん~実に難しい事柄です。
『信仰において(正しい幸福の科学の真理に則ってと言うことですが)
時間は無いものと思いなさい。他人が何千年、何万年掛ろうとも、
信仰(総裁先生を信じ、総裁先生の説く法、総裁先生の創られた僧団)において思った瞬間に如来に成れるんです。菩薩に成れるんです。』と
総裁選は’88のユートピアの原理で説かれました。
今もそうですが、素直な心で、総裁先生の、主エル・カンターレの言葉を信じ切った時、信仰が立った時、誰でも如来になれると思えます。
これは、最近の『富の法』でも説かれている事です。
http://swedenborg-platon.seesaa.net/article/409291566.html#comment
2014/11/22(土) 午前 8:52[ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/39392053.html#39396596
『信仰において(正しい幸福の科学の真理に則ってと言うことですが)
時間は無いものと思いなさい。他人が何千年、何万年掛ろうとも、
信仰(総裁先生を信じ、総裁先生の説く法、総裁先生の創られた僧団)において思った瞬間に如来に成れるんです。菩薩に成れるんです。』と
総裁選は’88のユートピアの原理で説かれました。
今もそうですが、素直な心で、総裁先生の、主エル・カンターレの言葉を信じ切った時、信仰が立った時、誰でも如来になれると思えます。
これは、最近の『富の法』でも説かれている事です。
http://swedenborg-platon.seesaa.net/article/409291566.html#comment
2014/11/22(土) 午前 8:52[ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/39392053.html#39396596
*頓悟?
ユートピアの原理は確認してませんけど、こういう頓悟的な教えは時々ありますね。
そういえば、信仰によって次元の壁を超えられるという教えもあったような。次元の壁を破るだったかな。
ユートピアの原理は確認してませんけど、こういう頓悟的な教えは時々ありますね。
そういえば、信仰によって次元の壁を超えられるという教えもあったような。次元の壁を破るだったかな。
*大川隆法の教えは、判断基準となりえるか?
こう見てくると、大川隆法の教えによって、ヴィーナス霊言を肯定的に見ることも、否定的に見ることもできるのかもしれません。
だとすると、大川隆法の教えは、その用い方によって、真を偽としたり、偽を真としたりすることも可能であって、真偽判定の基準とするには不向きなのかもしれません。
ちなみに、なぜそのようなことが起きるのかを、アンチ的な立場からいえば、大川隆法はその場のノリによって軽口をいったり、都合によってコロコロ意見を変えるからです。だから大川隆法の教えには、矛盾する教え、相反する教えがあります。そしてそこからは必然的に、相反する判断が生まれるのです。
これは見方を変えれば、相反する判断を生む大川隆法の教えは、自己正当化のためにはとても便利だということにもなります。
2014/11/22(土) 午前 9:07[ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/39392053.html#39396618
こう見てくると、大川隆法の教えによって、ヴィーナス霊言を肯定的に見ることも、否定的に見ることもできるのかもしれません。
だとすると、大川隆法の教えは、その用い方によって、真を偽としたり、偽を真としたりすることも可能であって、真偽判定の基準とするには不向きなのかもしれません。
ちなみに、なぜそのようなことが起きるのかを、アンチ的な立場からいえば、大川隆法はその場のノリによって軽口をいったり、都合によってコロコロ意見を変えるからです。だから大川隆法の教えには、矛盾する教え、相反する教えがあります。そしてそこからは必然的に、相反する判断が生まれるのです。
これは見方を変えれば、相反する判断を生む大川隆法の教えは、自己正当化のためにはとても便利だということにもなります。
2014/11/22(土) 午前 9:07[ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/39392053.html#39396618
〈つづく〉