「コメントまとめ 4」のつづきです。


◆救国と愛国と幸福実現ブログ|無名の人間が釈迦の声を聴いて大乗経典を編纂した
http://ameblo.jp/adgjmptwadgjmpuwadgjmptw/entry-11975234613.html
*コメント欄のやりとり
ウィルさん、コウさんのやりとりはおもしろい。今後どういう方向に行くのか。


*これで一段落?
ウィルさん、コウさんの対話は一段落したようだ。結論は、「無名の人でも、九次元からのメッセージを受け取ることはありえる。ヴィーナスさんの場合もそれに該当するかどうかは不明である」ということだろうか。さすがにこの辺りのことは慎重だ。


*自分の場合
自分の場合、退会を決断するのに役立った読書は、夏目漱石、三浦綾子、司馬遼太郎、精神世界もの全般、つくる会関連の書籍、陽明学……あたりだろうか。少し詳しく書くとこんな感じ。
*夏目漱石
岩波の漱石全集のうち、小説、随筆、雑文などは大体読んだけど、読んでるうちに、正直であることをより尊ぶようになったと思う。逆に言えば、嘘に対する拒否感が強まった。
*三浦綾子
『道ありき』を読んで、こんな恋愛が現実に有り得るのかとすごく感動した。『氷点』『泥流地帯』などの小説、その他エッセーなどから、真実な生き方を教えられたように思う。おかげで、人に対する信頼を回復し、真実に生きたいと願うようになった。
ただ最近読み返してみると、政治的な立場は自分とはちがうようで残念ではあった。でもやっぱり真面目に生きる姿勢は元気をもらえた。
2015/1/21(水) 午後 8:17 [ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/39378372.html#39512380


*司馬遼太郎
小説、エッセーともに、主義、思想などではなく、現実に根ざした考え方をよしとしているところに影響を受けた。自分はそれまで客観的事実ではなく、信仰を基準にして考えていたことを反省した。
*精神世界もの全般
スピリチュアルとか、精神世界もの全般に詳しい友人から、いろいろな本をすすめられて読んだ。その結果、大川隆法もまだ説けていないことが沢山あることがわかったし、大川隆法を唯一の絶対的な存在とは思わなくなった。
*つくる会関連の書籍
新しい歴史教科書をつくる会が話題となっていたころ、歴史認識論争に関する本をいろいろと読んでみた。「物的証拠もなしに、証言だけでは事実と認定することはできない」という考え方には共感したものだった。これは、物的証拠もなしに証言だけでは神秘体験を事実と認定できないことだし。
2015/1/21(水) 午後 8:21 [ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/39378372.html#39512393


*陽明学
司馬遼太郎の『峠』を読んで、陽明学に興味を持ち、『伝習録』などを読んでみた。朱子学はもちろん、四書五経も知らないのでよく分からなかったが、良知を致すという考え方を知ったおかげで、おかしいと思うことには、はっきり否という勇気を持てるようになったと思う。論語の「義を見てせざるは勇無きなり」という言葉にも背中を押してもらったかも……。
*脱マイコン
最後に付け足すと、スピリチュアル、オカルトなどから距離を置くようになったのは、ドーキンスなどの生物学関連の本を読んでからだと思う。あとは脳関連の本。『脳のなかの幽霊』とか、すごく驚きだったし、おもしろかった。
2015/1/21(水) 午後 8:28 [ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/39378372.html#39512409


*依存心と探究心
自分は、信者だったころは真理関連の本を読むのがすきで、われながら探究心があると自惚れてた。
でも今にして思うと、自分は、真理を探究していたというよりも、自分の正しさを保証してくれるものを探していただけだったかもしれない。
当時、大川隆法の教えと同趣旨の言葉を、古典聖典の中に見つけた時は、「やっぱり大川隆法は正しい。大川隆法を本物と判断した自分は正しかった」と喜んでいたし。
こうしてみると、自分は探究心旺盛だったというよりも、依存心が強かっただけかもしれない。過去の偉人賢人から、「お前の選択は正しい」「お前の直感は正しい」といってほしかっただけかも。
こんなことは認めたくないが、一面の真実ではありそうだ。権威主義者で依存症ってのは困ったもんだ。とほほ。
2015/1/30(金) 午後 7:43[ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/39468003.html#39529269


*イワン・カラマーゾフ
「カラマーゾフの兄弟」に、いたいけな子供が無残に殺される話が紹介されていたと思う。神様がいるなら、なぜこんなことが許されるのだと……。自分はこの文章を読んだときに、はじめて無神論に説得力を感じたのだった。
それから、今、思い出したのだが、スティーヴン・キングの「デスぺレーション」だったろうか。主人公の少年の友達が交通事故で重傷を負うのだけれど、それについて主人公は神の無慈悲さに怒っていた。神は、友達を救うことができた、でも救わなかった、これには納得できないと。この気持ちには共感する。
似たテーマをもう一つ、「サイン」というタイトルの映画だったと思う。以下はネタバレ注意……主人公の牧師は、妻が悲惨な事故で亡くなったことで、信仰を棄てるのだけれども、後にそれらはすべて意味、目的があることだと分かるというあらすじだったかと。
映画を見終ったときは、神の計画に感動したものだったけど、後で冷静になって考えてみると、神の計画の成就のために、妻は悲惨な死に方をしなければならなかったのだとすると、神の無慈悲さ、冷酷さにびっくりしてしまう。
2015/2/13(金) 午後 8:01 [ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/39468003.html#39555632


*昔と今
この世の悲劇について、以前は、過去世のカルマだとか、魂修行のためとか、そういった説明で納得してた。でも今は、これで納得することは難しい。
子供が通り魔に襲われて殺される事件だとか、育児放棄されて餓死した赤ん坊の胃を調べたら、紙屑が入っていたとか、それらの原因をカルマだとか、魂修行とかで片付けるのは無理。
こういう悲劇があることは、神様は存在しないか、もし存在したとしても人間らしい優しさとは無縁の存在なのだろうと思わないではいられない。
自分は神様を信じたいタイプの人間なので、こう思うのは苦痛だけども思わないではいられないから困る。
*宗教はアヘン?
宗教は、自身の不幸に対して耐性をつける効果はあると思う。でも副作用として、他人の不幸に対して鈍感になる面もあるかも。信者をみていると、そう思うことがある。
多分、自分の不幸について、自分の信じる宗教教義によって自分で納得するのはいいのだろうけど、他人の不幸について、自分の信じる宗教教義で他人に納得させようとするのはあまりよいことではないのだろう。
2015/2/13(金) 午後 8:01 [ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/39468003.html#39555633


*進化論のリアルさ
私は、進化論のことは詳しくないが、けっこうリアルに感じてる。理由はおよそ次の三つ。
まず一つは、胎児の成長過程。
胎児がはじめから人の形であるなら、創造論もアリかなと思うが、実際の胎児は魚みたいになったり、動物みたいになったりしながら、だんだん人の形になっていく。この過程をみると、人ははじめから人として出現したのではなくて、だんだんに進化して人になったというのはリアリティーがある。
もう一つは、人と猿の遺伝子は99パーセント同じだという話。これは人と猿は共通の祖先から進化したという話をリアルに感じさせる。
それからもう一つは、うろ覚えだけど、地球上の生物のDNAだか、遺伝子だかは連続しているという話。それぞれの生物が別個に創造されたのであれば、それぞれのDNAは断絶してそうだけども、実際には連続しているという。これも創造論より、進化論をリアルに感じさせる。
2015/2/17(火) 午後 7:00 [ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/39468003.html#39563269


*素朴な疑問
幸福の科学は、もともとは、生物の進化を認めていたと思う。高次元から念ずることで地上に生物を誕生させ、より複雑な形に進化させたという風に。それがいつのまにか、進化論を否定するようになった。
なぜ、わざわざ極論の方向に行くのだろうなと思う。高橋信次霊とエルカンターレとのからみで、エルカンターレの人類創造がうまくいかなくて、エルランティ―を招いたという話が使いにくくなったからだろうか。エルカンターレの絶対化が、エルカンターレによる創造という風に進んだのだろうか……?
2015/2/17(火) 午後 7:08 [ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/39468003.html#39563285


*「~ねばならぬ」を排する
私は信者だったころは、「信仰を手放してはならぬ」「信仰の綱を手放したとき、落ちて行く先は……」と信じていたので、信じられないものを信じるために、納得できないことを納得するために、ずいぶんあれこれ悩んだものだった。
でも、そんなときに谷口雅春の著書で、「~ねばならぬ」から自由になることを説かれているのを読んで、ハッとさせられたのだった。おかげで、少しずつ自分に正直になることができた。「信じられないものは信じられないでいい」「納得できないものは納得できないでいい」と……。
ちなみに、「信じなければならぬ」と考えていたときは、いつも不安を感じていたけれども、「信じられないものは信じなくていい」と切りかえてからは、神様に守られているという感覚を強く感じるようになった。
他の人はどうか分からないが、私には、「~ねばならぬ」から離れる生き方は合っているように思う。
2015/2/17(火) 午後 7:10 [ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/39468003.html#39563290


* 疑問解決さんのところで、興味深い対話があったようです。熱烈信仰だと原理主義的になるだろうし、信仰と現実の差に自覚的であれば妥協的になるものなのかもしれません。
◆幸福の科学の教義|掲示板:幸福の科学会員で教義上の疑問を解決したい
http://www.beach.jp/circleboard/ac86119/topic/1100201386520
◆エル・カンタ-レ信仰|掲示板:幸福の科学会員で教義上の疑問を解決したい
http://www.beach.jp/circleboard/ac86119/topic/1100201432588
◆絶対的な信仰|掲示板:幸福の科学会員で教義上の疑問を解決したい
http://www.beach.jp/circleboard/ac86119/topic/1100201432677
◆エル・カンターレ信仰は持たなくても|掲示板:幸福の科学会員で教義上の疑問を解決したい
http://www.beach.jp/circleboard/ac86119/topic/1100201434059
2015/6/5(金) 午後 7:32 [ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/39468003.html#39769557


* ブログ村を見てみると、盗用問題について、アンチブログでは新記事が出てました。サンポールさんのとこだけ貼っておきます。おおむね共感できますが、容姿のことはちょっと言い過ぎと感じました。
信者ブログの方では、やっぱりこの問題には触れてないみたいです。意図的に触れないというよりも、そもそもこの問題には関心持ってなさそうです。
●【サヤカ姫!ドタバタ救世記 1】 「姫さま、卒論が『盗用』、『パクリ』だった事がバレたでござるよ~!」 の巻|混ぜるな危険! ブログ・サンポール
http://sanpole.blog.fc2.com/blog-entry-379.html
●【サヤカ姫!ドタバタ救世記2】 「自称・アマテラスの生れ変りのサヤカ姫、実は“盗用の魔女”だったござるよ~!」 の巻|混ぜるな危険! ブログ・サンポール
http://sanpole.blog.fc2.com/blog-entry-380.html
●【サヤカ姫!ドタバタ救世記3】 「どこが問題か、検証するでござるよ~!」 の巻
http://sanpole.blog.fc2.com/blog-entry-
2015/6/18(木) 午後 7:19 [ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/39769541.html#39793792


*レオさんのコメント
レオさんが新たなコメントを書いてました。以下に感想を書いてみます。
◆やすらぎのガンブロ|悟りと霊能力と妄想とピッポ
http://swedenborg-platon.seesaa.net/article/422255853.html#comment
2015/7/14(火) 午後 7:07[ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/39841341.html#39843186


*悪魔呼ばわり
悪魔呼ばわりには、「お前は悪魔だ」という直接的な言い方もあれば、「あなたにインスピレーションを与えてるのは、波長同通の法則からみて、高級霊であるとは思えません」という間接的な言い方もあります。後者のような言い方をしていることをもって、「自分らは相手を悪魔呼ばわりしていない」というのは、ちょっとズルい感じがします。
*解釈がおかしい?
コウさんは次の文章を書いているそうです。「アンチに優しいはいいのです。
しかし、信仰者のブログを誹謗中傷した上、信仰を奪う行為に対して、厳しく教導しないことに非常に違和感を感じます。」
これはつまり、こういうことでしょう。「アンチに優しくするのはいい。しかし信仰問題に関しては毅然とした態度を示すべきだ」
でもレオさんの解釈はこういうものになってます。「アンチに優しくする必要はない。厳しく教導しなさい、と救国のコウはガンブロに対してのたまっています。」
「アンチに優しいはいいのです」という言葉を、「「アンチに優しくする必要はない」と解釈するのは無理があるかと思います。
2015/7/14(火) 午後 7:10[ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/39841341.html#39843191


*アンチと談笑してよいか?
レオさんは、コウさんは「アンチに優しくする必要はない。厳しく教導しなさい」という意見の持主とした上で、コウさんがアンチと論戦せずに、談笑していたのは言行不一致だと批判しているようです。
でも私は、コウさんは「アンチに優しくするのはいい。しかし信仰問題では毅然とした態度を示すべきだ」という意見の持主とみるので、信仰問題とはちがう話題でアンチと談笑していてもさして違和感はありません。
信仰問題について論戦を挑まれたのならともかく、その他のことについて共感を示してきているアンチに対してまでも臨戦態勢で挑まなければならぬとしたら、おかしなことです。これでは余裕がなさすぎるというか、空気を読めてないというか、対機説法がぜんぜんできてないことになるかと思います。
2015/7/14(火) 午後 7:14[ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/39841341.html#39843197


*アンチから好かれるのはいいこと?
コウさんの「アンチに好かれれば、魅力的な人であると思う。」というのは、信仰やイデオロギーの違いを超える人間的な魅力のことを言っているのではないでしょうか。人間的な魅力がある信者がアンチに好かれたりするのは特に珍しいことではありません。これはとりたてて批判されるべきことではないように思います。
またアンチを改心させるには、敵対的な関係を維持しつつ改心をせまるより、まずは良好な関係を気づいてからだんだんに説得するという方法もあります。こういう北風と太陽の寓話のような方法論をとろうとする場合、アンチに好かれることを意識するのはごく自然な成り行きでしょう。
2015/7/14(火) 午後 7:16[ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/39841341.html#39843202


*幸福の観測所の影響力
ガンさんとレオさんの文章を読むと、幸福の観測所の話が書かれています。幸福の観測所との論戦を武勇伝のごとく語ったり、これこれこういう評価をされたとしてます。意地悪な見方かもしれませんが、見ようによっては、自らの権威づけのために、幸福の観測所をつかっているように見えなくもありません。信者が、アンチブログを自らの権威づけ、箔づけのために利用するというのはおもしろい現象です。
ちなみに、私にとって、ガンさんと幸福の観測所のUMAさんとの論戦で印象に残っているのは、ガンさんがUMAさんにお願いしている記事です。私の記憶違いでなければ、お願いだからブログ村から出て行ってほしい、ブログ村の外でなら好きなこと書いていいから、とにかくもう出て行ってほしいという風な記事だったと思います
このためか、ガンさんが幸福の観測所に対して毅然として立ちはだかり、ブログ村を守ったというような文章を読むと違和感があります。ただガンさん側からしたら、そういう風に見えていたということは理解できなくもないです。
2015/7/14(火) 午後 7:21[ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/39841341.html


*罵り言葉いろいろ
ポン吉さんの発言は根拠なき罵詈雑言だけども、自分の発言は的確な指摘であって罵詈雑言ではないとする論理はおもしろいです。汚い話ですけど、「彼のゲロは汚いが、私のゲロはきれいだ。彼は大したものは食べてないだろうが、私は高級食材を食べているのだから」というような論法を連想してしまいました。
*ぽん吉=ソフィア(ブリュンヒルデ)説
ぽん吉さんはあまり理屈っぽいことは言わないイメージがあります。ソフィアさんはそれとは反対にけっこう理屈屋で雄弁なイメージです。いつぞやは難しい漢字をたくさん使った時代小説風の文章を書いてたときもあったかと。両者が同一人物だったら、自分はすごくビックリするだろうなあと思います。
理屈を言えて文章も書けるのに、それらを封印して、同じようなことを書き続けるというのは、かなりの自己コントロール能力が必要とされるだろうと思うので、そういうことができる人はすごいです。
2015/7/14(火) 午後 7:26[ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/39841341.html


*まとめ 1
繰り返しもありますが、三つほど述べてみます。まず一つは、悪魔悪霊呼ばわりしていると受け止められても仕方ないことを書いていながら、それを明言してないことをもって悪魔悪霊呼ばわりしていないとするのは、いかがなものかということです。
二つ目は、「アンチに対して基本は優しく、信仰問題に関しては例外的に厳しく」というような意見を、「アンチに対しては常に厳しく対処すべし」という極論に改変した上で批判をくわえるのは、いけないだろうということ。
それから、三つ目は、ぽん吉さんをキチガイ呼ばわりしながら、強く攻撃するのは妙だということです。そんな風に思うなら、批判の対象にはせずに、少々のことは大目に見て、優しく見守り、長所を認めてあげるのがごく自然な人情でしょうに。なぜにそんなに本気になって怒るのかわからない。
私はこんな風に考えるので、ぽん吉さんに対して、ピッポさん、コウさんの対応は理解できますが、ガンさん、レオさんの対応はちょっと理解し難いです。
2015/7/14(火) 午後 7:29[ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/39841341.html


*まとめ 2
ぽん吉さんがガンさんを批判するほどに、レオさんはガンさんを庇い、ぽん吉さんを批判することになるかと思います。そうであれば、レオさんがぽん吉さんを批判するほどに、ピッポさん、コウさんがぽん吉さんを擁護するのは道理です。
これは正邪善悪で見ればけしからんことかもしれません。でも人間には仲間意識があるし、法官贔屓の性質もあるし、どうしようもないことです。
こういう悪循環を止めるには、たぶん、コウさんがちょこっと書いていたみたいに、相手のよいところを見つけて、それを認めることが肝要であるような気がします。そうやって、まずは感情的な対立を解消し、冷静な対話ができる空気をつくるようにしたらいいのにと思います。……
とりあえず、今回の感想はここまです。
2015/7/14(火) 午後 7:31[ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/39841341.html


*まだ続いています
ピッポさんは新しい記事を書き、レオさんもガンさんのブログにまたコメントをしたり、共同ブログに記事を掲げたりしてます。例のごとく、以下に感想を書いてみます。
◆わたしのブログ|ガンブロさんへ
http://plaza.rakuten.co.jp/kohitujinopippo/diary/201507140000/
◆やすらぎのガンブロ|悟りと霊能力と妄想とピッポ
http://swedenborg-platon.seesaa.net/article/422255853.html#comment
◆幸福の科学/HSガンちゃんとレオのブログ|【レオ】神秘を語る人の信用性
http://gunleo.seesaa.net/article/422402234.html
2015/7/15(水) 午後 7:47[ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/39841341.html


*予想外!?
ピッポさんの反論は予想外でした。なんでそうなる? という感じです。でも、よく考えてみれば、総裁に従っている自分を批判することは、総裁を批判するのと同じだというような論法は、それほど珍しくないかもしれませんが。
2015/7/15(水) 午後 7:49[ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/39841341.html


*霊的能力について
霊的ということには、心霊的という意味もあれば、精神的という意味もあると思います。たとえば霊性革命というのは、精神革命といいかえても、けっこう意味が通じたりするように。
と、前置きはこれくらいにしておいて、ピッポさんやコウさんが、ガンさんに対して、霊的能力がどうこういうときは、霊体験が足りないのではないかというだけでなく、人の精神、心が分かってないんじゃないかという意味も含まれているように思います。実際、コウさんは、人の心が分かってないとかいう批判をしていたような。
だから、レオさんは、ピッポさんやコウさんの批判に答えるなら、自分らも霊的体験はしているということばかりでなく、理屈にはしるのでもなく、もっと人の心にしみるような情緒、共感といった要素を含んだ文章を書いた方がいいように思います。たぶん、これができないうちは霊がわからない教条主義者だというような批判は止まないでしょう。
2015/7/15(水) 午後 7:50[ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/39841341.html


*Wさん、アモ~レさん、アマミキョさん、他
レオさんは、まともな信者の霊体験として、Wさん、アモ~レさん、アマミキョさんらをあげています。お三方ともに独自理論は多いし、変わり者だろうに、まともといっちゃっていいのでしょうか。
ちなみに私は、アモ~レさん、アマミキョさんは、おちゃらけ系に分類しています。ふざけたり、冗談、軽口が多いからです。これは見ようによっては批判されないように予防線を張ってるみたいです。なかなかの世渡り上手です。
それに比べて、ピッポさん、ぽん吉さん、ヴィーナスさんは、マジ系としてます。傍からはどう見えようと、本人は本気らしいからです。ある意味、まっすぐな性格といえるかもしれません。
教養重視で真面目系だろうレオさんが、おちゃらけ系信者をまともだとして、マジ系信者を批判するのは、なんだか意外な感じがします。
2015/7/15(水) 午後 7:51[ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/39841341.html


*霊体験の語り方
およそ、二つあると思います。
①自分の体験とともに、その考察、解釈なども語る方法。
②自分の体験をありのままに語り、その考察、解釈は読者にまかせる方法。

長短、難度を述べるとこうなるかもしれません

長所
①初学者にも分かりやすい
②リアリティーがある

短所
①自己正当化、言い訳、ごまかしが紛れ込む可能性がある
②読者の受け取り方をコントロールし難い

難度
①霊体験を考察、解釈する知識、知力が必要となる
②自分をさらけ出す潔さ、自己放棄が必要となる

この二種の方法については対機説法として、その場その場で使い分けるものだろうし、どちらかが正しくどちらかが間違っているとか、固定的に考えるものではないと思います。
2015/7/15(水) 午後 7:52[ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/39841341.html


*論理性
真理は、論理を超越したものだろうし、論理的でないから真理ではないとは言えないと思います。論理的でないから間違っているとは言えないでしょう。
また、人の心、思考には飛躍があるものだろうし、矛盾が生まれるのも致し方ないことです。こういう現実を無視して、無理やりにでも矛盾を無くそうとすれば、角を矯めて牛を殺すことにもなりかねません。
ところで、ピッポさんは以前どこかで、下書きなしに、インスピレーションのままに文章を書き上げて、あとから手直ししたりしないと書いていたと記憶してます。私はこれを読んで、だから飛躍があったり、意味が分かり難かったりするわけかと納得したものです。
世の中にはいろいろな人がいていいのであって、推敲を重ねて論理的な文章を書く人もいれば、インスピレーションのままに一息に書き上げる人もいて構わないのではないかと思います。
2015/7/15(水) 午後 7:55[ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/39841341.html


*器の大きさ
ピッポさんはコメント欄を自由解放しつづけています。アンチにも自由な発言を認めるというのは大したものです。また誰に対しても、大体同じ態度で接しているようです。批判をされたからといって、激怒するとか、そういうことはないように思います。
この辺りのことについては、ピッポさんはブログ村の中でももっとも器が大きく、度量があるように思います。
*ブログランキングは公正な評価といえるか
これについてはちょっと疑問に思います。ランキング上位の中には、読者に向かって、ブログのランキングを上げるためのクリックをお願いしていたりします。これだと組織票を持ってる人が上位になるのは当たり前だし、正々堂々とブログ内容で勝負しているという感じはしないです。
2015/7/15(水) 午後 7:58[ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/39841341.html


*ランキング上位は狙われる
聞くところによると、以前は、ピア健さんがランキング上位だったとか。だけども執拗に批判されて、ランキングを落とし(おそらくは自らポイントを割り振り、上位にならないようにしたのでは?)、そのうちにブログ村から出て行ったのでしょう。
UMAさんもランキング上位でしたが、一部からしつこく攻撃され、追い出される形になったかと思います。ほかにもアンチブログはたくさんありましたが、ランキング上位のUMAさんは特に激しく攻撃されていたのでした。
まあ、UMAさんの場合はアンチブログだったので特例かもしれませんが、信者であるピア健さんさえも出て行かざるを得なくなったことを思えば、ブログ村の中には、自分の意に介さないブログが上位にあることを許さない人たちがいるとはいえそうです。
こういった事例をみると、ランキングは適正なものであり、本人の精進、努力の成果であるなどとは言えないものではないかと思います。
ぽん吉さんが、ランキング、ブログ村を批判するのにも一理あります。
2015/7/15(水) 午後 8:00[ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/39841341.html


*ピッポさんのランキング
ピッポさんはランキングには興味ないようで、バナーは貼ってないのでインポイントは0になってます。でもアウトポイントの順位では上位になってます。以前だとダントツの1位になっていたりもしました。たぶん、インポイントも出るようにすれば、あっという間に上位進出するでしょう。
ピッポさんが執拗に攻撃されるのも、実は、この辺にも理由があるのかもしれません。
*記憶はおぼろげですが
「おかしなブログが上位にあるのは、幸福の科学のためにはよくない。上位はもっときちんとしたブログであるべきだ」という主旨の意見を、どこかのブログで読んだ記憶があります。そういう理由で、ちょっと変わったタイプのブログが上位になると攻撃されてたわけかと妙に納得したものでした。
なので、私としては、ぽん吉さんのランキング・ブログ村批判は根拠なしとは言えない気はします。
2015/7/15(水) 午後 8:02[ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/39841341.html


*偏ってるかな
なんだか、ピッポさん側を擁護しすぎてるかなという気がしないでもないですが、ピッポさん側にもそれなりの正当性があるにもかかわらず、それが語られていないようなので、おせっかいながら、いろいろと書いてみた次第です。
*それにしても
それにしても、ガンさんも、レオさんも理屈が言える人なのだし、それだったらピッポさん、ぽん吉さんたちにも理があることは分かりそうなものです。それなのになぜ、あそこまで一方的に断罪するのでしょうか。同じ信者であり、仲間なのだろうに、少しくらい考え方がちがっても、互いに認め合い、許し合うことはできそうなものなのに……。自分は、会員同士のいさかいに嫌気がさして支部から離れたクチなので、こういうのはすごく嫌な気分です。
2015/7/15(水) 午後 8:21[ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/39841341.html


*幸福の観測所は、謝罪したのか?
ガンさん、レオさんは次のようなことを書いています。
>以前、幸福の観測所がわたしのビッグバン記事について、批判的なコメントをしてきたので、
それに対し、記事の形でお答えしたのですが、返答はあるものの、知識不足で返答不能といって謝罪してきました。
http://swedenborg-platon.seesaa.net/article/421837230.html
>幸福の観測所なるアンチは、わたしの知識ではあまり難しいことはわからないので、すみません的な返事をしていましたよ。アンチの人ですら、そのくらいの礼儀はあったということです。
http://swedenborg-platon.seesaa.net/article/422255853.html#comment
2015/7/16(木) 午前 7:03[ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/39841341.html


*これは謝罪なのか?
上の言葉に疑問があったので調べてみました。この件に関連したUMAさんの言葉は次のものが見つかりました。「さっぱり分かりませんでした」「これ以上の感想は書けませんが、どうしたらいいでしょうか」という部分を謝罪と受け止めたのでしょうか。でもこれは明らかに謝罪というより、皮肉であって、全体的には失笑しているように思えます。ガンさん、レオさんが謝罪と受け止めたのはどの部分なのでしょう。
>一応読んだけど、何を言いたいのか、さっぱり分かりませんでした。どうでもいいことを言っているということは分かりました。
一つ前の記事で紹介した著書で大田俊寛氏が指摘していた「(3)偽史の膨張」に当て嵌る類の話ですね。妄想に妄想を重ねたもので、何の価値もありません。こういう人の話を聞くと、お釈迦様も「毒矢の喩え」を説きたくなるでしょうね。
http://antikkuma.hatenablog.com/entry/2013/07/13/192009
2015/7/16(木) 午前 7:07[ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/39841341.html


*これは謝罪なのか? (つづき)
>これ以上の感想は書けませんが、どうしたらいいでしょうか。
http://antikkuma.hatenablog.com/entry/2013/08/18/083517
>更にまだ何を書けと言われるなら、敢て書きます。
『太陽の法』なんて、何の根拠もない単なる大川隆法の妄想に過ぎないし、それに基づいて語るガンちゃんの文章も、妄想に妄想を重ねたものに過ぎません。
もう少し柔らかく言うと、所詮はオカルトなので、一笑に付すことはあっても、まともに考える対象にはなり得ません。
ホーキング博士とか、社会的にも認められた学者が言われた言葉なら兎も角、一カルト信者の妄言など、一顧だにする価値もありません。
そんなことよりも、どうすれば人は心正しく生きることができるか、といったことの方が余程興味があります。
http://antikkuma.hatenablog.com/entry/2013/09/03/223851
2015/7/16(木) 午前 7:07[ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/39841341.html


*疑似科学好き?
幸福の観測所のUMAさんの言葉は、なかなか辛辣ですが、多分、これがふつうだろうと思います。ガンさんの記事について、オカルト好きの人なら「すごい! 神秘現象が科学的に証明されてる」と感動するかもしれません。でもそれ以外の人であれば、無関心か、「この人は疑似科学にはまってるんだな」という程度ではないかと思います。
*いくらなんでも矛盾しすぎではないか
人は矛盾を抱えた生物だと思うので、言行に矛盾があっても仕方ないとは思います。でもさすがに、ぽん吉さんやピッポさんを全否定するかのようなことを書きながら、下のような記事を提示するのは、矛盾しすぎです。
上に書いたような、相手に一笑にふされているのに、それを降参、謝罪と受け止めているらしいことと併せて考えると、支離滅裂で、ちょっと怖いです。
◆HSガンちゃんとレオのブログ|【レオ】各人が、その人の武器を持って集まれば
http://gunleo.seesaa.net/article/422340852.html
2015/7/16(木) 午前 7:09[ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/39841341.html


*信仰不在の指摘
コウさんが、信仰不在を指摘しています。
これは地雷を踏んじゃったかもしれません。ガンさんはUMAさんとのやりとりでも、はじめはわりと理性的だったのが、不信仰を指摘されて以降、激変したようなので……。その過程は、下の記事でわかります。
・幸福の観測所|ガンちゃんとの今までの交流まとめ
http://antikkuma.hatenablog.com/entry/2013/09/03/223851
2015/7/16(木) 午前 7:10[ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/39841341.html


〈つづく〉