*つづき
「コメントまとめ 13」のつづきです。
(見出しは太字に、大事だと思った箇所には、下線をひいてます)


□■ 「HS関連ブログを読む 4」のコメント欄より ■□


*毒気のあるなし
アンチ側の方が毒が薄いとは、なかなか鋭い!
◆ブログ村某カテゴリ - (ΦωΦ) へ(のへの) 2
>「批判告発」の方が、毒が薄いのが悲しい・・・。
http://henoheno-2.muragon.com/entry/43.html
2016/2/6(土) 午前 8:48[ 自由 ]


*少女漫画
萩尾望都は、吸血鬼のやつは読んだことがある。『あさきゆめみし』は、しばらく前のドラマの原作なんんだろか。
ちなみに自分の場合、女友達から教えてもらったもので、いまだによく覚えてるのは、岩舘真理子の諸作品と、榛野なな恵の『Papa told me』かな。
小説であれば、リアルではないネット掲示板の話だけど、今野緒雪の『マリア様がみてる』を教えてもらったのは有り難かった。品があり、ユーモアあり、切なくもあり、名作だと思うので。
>1. ソフィア 2016/02/03 22:59
>日渡早紀『ぼくの地球を守って』
大和和紀『あさきゆめみし』
萩尾望都『スター・レッド』
安孫子三和『みかん絵日記』
http://0w.blog.jp/archives/54004719.html#comments
2016/2/6(土) 午前 8:51[ 自由 ]


*ちなみに
自分の場合は、漫画、映画、ドラマ、小説などは、マインドコントロールの解除に効果があった。マイコンで管理されてカチカチになった心を解きほぐし、自然な情緒とは何かを思い出させてくれた。そんなわけで、最近は、映画、ドラマ、小説などを記事にしてる。
まあマイコン解除の一助になればというだけでなく、たんにそういうのが好きだから記事にしてるというだけだったりもするのだけど。
2016/2/6(土) 午前 9:00[ 自由 ]


*分かりやすい
この画像は、HS映画の主人公ですね。変身して多数のレプタリアンをやっつけてた。本当の自分に目覚めたら無敵になるとか何とかそんなような台詞があったな。
英さんのブログタイトルは、「破邪顕正」「降魔成道」というし、プロフィールには無敵でレプタリアンをやっつけたキャラの画像を使うと……。英さんが何を考え、何に憧れてるか、よく分かる気がする。
>9. へこたれるなよ。人生は長いんだぜ
http://stat.profile.ameba.jp/profile_images/20160202/12/75/W5/j/o025901941454383490883.jpg
この画像を英はプロフィールにするほどお気に入りのようだ。何をする人かはよく分からない。
>ミカエルの剣 2016-02-04 23:00:09
http://ameblo.jp/adgjmptwadgjmpuwadgjmptw/entry-12124122062.html#c12819156992
2016/2/6(土) 午前 9:02[ 自由 ]


*たしかに、見当たらない。
たしかに、英さんのブログは見当たらない。宗教カテゴリにあった「ひでの破邪顕正」も移動済みのようだ。「ひでの破邪顕正」「英の降魔成道」どちらのブログも、ブログ村のバナー貼ってないし、ブログ村登録はもうしてないのかもしれない。
英さんは破邪顕正の意欲満々でブログ村に入ってきた感じだったし、自分から出て行ったというよりも、やっぱ乱暴な発言しすぎて、カテゴリーの強制移動では済まされず、登録抹消までいっちゃったのかなあ。
>6. 因果応報の実例
ん?ひでのがない
まさに因果応報といふべきか・・
>ミカエルの剣 2016-02-04 14:24:34
http://ameblo.jp/adgjmptwadgjmpuwadgjmptw/entry-12124122062.html#c12819015238
2016/2/6(土) 午前 9:03[ 自由 ]


*面目丸つぶれ
レオさんは、英さんを高く評価してた。英さんの正義感も、文章も、べた褒めしてた。そんな英さんが、ブログ村管理者からマナー違反者と判断されて強制移動、登録抹消されたのなら、レオさんの正邪判断はまちがっていたということだし、面目丸つぶれだ。
*もう一つ
しかも、レオさんはこれまで、ぽん吉さんが強制移動されたことを馬鹿にしてたし、そんなぽん吉さんの友達であることをもってピッポさん、コウさんらも批判してた。
今回、英さんが強制移動プラス登録抹消されたのであれば、レオさんは、ピッポ、コウさんと同じ立場になったということになる。これも面目丸つぶれだ。人を呪わば穴二つということだろうか。
2016/2/6(土) 午前 9:04[ 自由 ]


*たしかに、おかしい
この点に関しては、ぽん吉さんに同意できる。「自称宇宙人さんへ」はひどい記事だし、それをまともな記事だというのはおかしい。
信者同士で議論するだけならいいだろうけど、誰かをカテゴリーから追い出すことを目的として、批判攻撃するのはおかしいよ。
>「気に入らないから、叩き出す」
それで、ユートピア建設出来ますか??
中国や北朝鮮でしょ??
宇宙人について書いたら、集団嬲り??
それって、地獄でしょ??
私は、当たり前のことを言っているのですよ。
2016/2/3(水) 午後 11:57 [ 何処野独逸 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/40186750.html#40192357
2016/2/6(土) 午前 9:23[ 自由 ]


*天国と地獄の区分けは、人為でなく、法則または天意によるのでは?
霊界では、天国と地獄に分かれているという。これについては、人為によるのでなく、法則または天意によるものだと思うんだ。
原則的には、類は類を呼ぶ法則によってだとか、コップに入れた濁り水のたとえのように、天国地獄は分かれるのだろうし、例外的には、天意を受けた天の軍勢が、地獄霊たちを追い落とす場合もあるのだろうと。
これが基本ではないかと思うんだ。
だから地上の人間は、自分が天の軍勢になったつもりで、誰かを悪霊認定して、排除するようなことをしてはいけないんだ。もしそれをしたならば、「自分は天の意思を知っている。誰が地獄霊であるかを判断し、追い落とす権能を与えられている」と主張してるのと同じことで、とんでもない傲慢だし、かなりやばいことになりえる。
ブログ村をみてると、地獄霊が出てきたら追い出すのは当然だとしてたし、自分がそれを実行してるつもりになってる信者もいるようだけど、これはかなり危ない橋を渡ってることになるし、もっとよく考えた方がいいと思う。
2016/2/6(土) 午前 9:59[ 自由 ]


*鋭い!
この指摘は鋭い。でも彼に限らず、大川批判にはさして反応は示さないのに、自分に対する批判には猛反発する信者は多いと思う。
アンチブログが、幸福カテゴリーに入ってきた時も、大川批判するアンチブログよりも、個々の信者ブログを論評するアンチブログの方が攻撃されてたろうし。
でもまあ、これは信者がどうこういうよりは、人間とはそういう生物だということかもしれないけど。
>ふーん。彼が擁護するのは、自分の立場のみだからねぇ。
コウ 2016-02-08 01:55:26
http://ameblo.jp/adgjmptwadgjmpuwadgjmptw/entry-12124122062.html#c12820182656
2016/2/8(月) 午後 7:39[ 自由 ]


*個性豊かに
自分は、霊言は信じてないので、サンサンてるよさんの主張のすべてに賛同することは難しいのだけど、信者ブログはそれぞれの個性を生かしたものにしようという提案には共感できそうだ。
◇ブログ伝道もそれぞれの花を咲かせて: サンサンてるよの日記でっせ
http://sansanteruyo.seesaa.net/article/433555156.html
2016/2/8(月) 午後 7:45[ 自由 ]




□■ 「HS関連ブログを読む 5」のコメント欄より ■□


*ぽん吉さんのガンレオ批判
私からすると、ぽん吉さんのガンレオ批判は二重構造になってる。まずは下のように、わりと具体的な指摘がある。
・美辞麗句でごまかすな
・教条主義者となるな
・法友を公開処刑するな(徒党を組んで、一人の法友を攻撃するな)
次にこれらを抽象化して、悪質レプタリアン、霊障、天狗仙人という風にHS的な表現でレッテル貼りをしている部分がある。
このように、ぽん吉さんのガンレオ批判は、大きく二つの部分に分けられる。
*レオさんの反応
でもレオさんは、どういうわけか、レッテル貼りの部分にばかり反応して、本質的具体的な部分はスルーしてる。表面的な悪口部分ばかり気にして、個別具体的な部分は知らんぷりというのはよくわからん。
2016/2/10(水) 午後 9:04[ 自由 ]


*抽象的で誰にでも当てはまる言葉
レオさんが、ぽん吉さんのブーメラン発言として、例に挙げているのは、以下の言葉だ。
《 嫉妬 法を捻じ曲げている 霊障ブロガー 悪質レプタリアン 天狗仙人 蜥蜴 蟷螂 法友への攻撃 》
これらに共通しているのはやや抽象的であり、それゆえに多くの人に当てはまるということだ。まったく当てはまらないという人の方がめずらしい。
ちなみに、ブーメランになりがちな批判には、他に次のようのものもある。
《 怠惰、不信仰、スケベ、偽善者、足ることを知らない、怒りんぼ、馬鹿、傲慢……その他いろいろ 》
こういう批判に対しては、ブーメランになってると言い返したところで、自分には当てはまらない証明にはならないのだから、あまり意味ないと思う。
>13、
他者に罵詈雑言を浴びせるも、実際はその罵詈雑言は、ぽん吉自身に当てはまっている。
http://gunleo.seesaa.net/article/431605883.html#13
2016/2/10(水) 午後 9:06[ 自由 ]


*これも同じ。
別のところでは、ぽん吉さんの自爆発言として、次の言葉をあげている。
《 ブログなんて奪う愛であり、自慰にすぎないんだよ(ぽん吉の発言) 》
これも上に同じだ。多かれ少なかれ誰にでも当てはまる発言だ。
ブログを書いてる人で、自己実現、自己顕示欲、自己満足などの思いは全くないという人はいるだろうか。誰だってそういう気持ちはあるのではないだろうか。
こういう誰にでも当てはまる批判を、ぽん吉さんの自爆発言としたところで、その批判がレオさんに当てはまらないという証明にはならないのだから仕方がない。
>16、
自爆発言がひじょうに多い。
他者への誹謗中傷、罵詈雑言のつもりが、その実、自分自身を否定する<自爆発言>になっている。
http://gunleo.seesaa.net/article/431605883.html#16
2016/2/10(水) 午後 9:07[ 自由 ]


*ご都合主義?
このように、レオさんは、ぽん吉発言は本人にこそ当てはまると宣伝してる。でもその一方で、それとは矛盾することも書いてる。
たとえば、すでにふれたように、ぽん吉さんのガンレオ批判には、美辞麗句、教条主義、法友攻撃の共同謀議はいけないというものがある。
でも、レオさんのぽん吉評価は、言葉が汚い、教学が不十分、論理性がたりない、ブログ村から追い出されて孤立しているというようなものだろう。
これはつまり、ぽん吉さんのガンレオ批判は、必ずしもぽん吉さん自身に当てはまるわけではないことを、レオさん自身が証明しているということだ。
以上のことからわかるのは、レオさんは、ぽん吉さんによるガンレオ批判のうちで、自爆してると嘲笑するのに都合のいい部分は宣伝してるが、そうでないところはスルーしてるということ。
自説に都合のよいところは大宣伝するけれども、そうでないところは知らんぷりというのは、よくないことだと思う。
2016/2/10(水) 午後 9:09[ 自由 ]


*他にもあるよ
明示しておくべきところを明示せず、スルーしている例は、他にもある。
たとえば、下の記事の「どっちもどっち」に書いたけど、レオさんは自分の過去記事は消したまんま、他人の記事を批判してる。自分が過去にどんな記事を書いてきたかを伏せたまんま、他人の過去記事を批判してる。
また最近の記事では、嘘はいけないという原則論で押してくるばかりで、嘘が許される場合、嘘と間違いのちがいなどの例外事項はスルーしてる。紙幅の都合があるならまだしも、これだけの長文を書いて例外事項にはほとんど触れないというのはいかがなものか。
・8 信者と信者の対立 まとめ(おまけ)
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/40150910.html
・【レオ】嘘つきは泥棒の始まり
http://gunleo.seesaa.net/article/433491154.html
2016/2/10(水) 午後 9:13[ 自由 ]


*嗅覚
嘘には、事実を知りながら事実でないことをいう嘘もあれば、言うべきことを言わず、知らんぷりするという嘘もある。法を曲げることについても、まちがったことを言う他に、言うべきことを言わないというのもある。
後者の嘘は発覚しにくいけれども、分かる人には分かる。多分だけど、ぽん吉さんはこの辺りの臭いを嗅ぎつけてるのかなあという気はする。
2016/2/10(水) 午後 9:15[ 自由 ]


*戦略? 作戦?
もっとも、レオさんの考え方としては、戦略上、手のうちを見せないようにしてるようだ。この他にも、過去記事などの資料はいろいろ持ってるけど、それらを公開すると悪用されるかもしれないので、公開はしない云々というようなことを書いていたかと。
そういう理由で、自分にとって不都合なことは言わないようにしてるのかなあ。でももしそうであれば、私とは正反対の考え方のようだ。
>ま、今後の方針に関しては、あちらも見ているであろう公の場で、こちらの手のうちを見せるのも勿体ないので、とりあえずのご挨拶まで。
>2016.01.29(Fri) 17:58 | レオ
http://sunshine7.blog9.fc2.com/blog-entry-1093.html#cm
2016/2/10(水) 午後 9:18[ 自由 ]


*正しき心の探究
真理に到達するために、もっとも大切なのは至誠だと思う。議論の勝ち負けとか、そのための情報操作とかはどうでもいいことだ。それよりは情報の共有をして、率直な意見交換をする方が大切と思う。
実際、私が入会した頃のHSではそれが行われていた。会員らが、自分の体験を率直に語り、情報を共有し、その感想を話し合った。厳しい言葉が飛び交うこともあったけど、それは誰かを裁くためではなく、皆が真理に近付くためだった。その光景を見ていれば、何も発言しないでも、ただそこにいるだけでいろいろな気付きはあったし、真理の学習、実践の意欲がわいてきたのだった。
でもその後のHSは、伝道伝道伝道信仰信仰信仰……という感じで、いかにして善く生きるかということについて、じっくり話す機会はなくなった。現在のHSカテゴリーもその延長にあるようだ。伝道信仰政治それから喧嘩はあっても、善く生きることについての話題は多くはない。
現役信者からしたら、私は退転者なのだろうけど、今のHSを見るにつけ、大事なものを忘れてしまっているように思えてならない。現役さんにはこの辺りのことを考えてみてほしいと思う。
2016/2/10(水) 午後 9:48[ 自由 ]


*直接対決できるかも
へのへのさんのコメント欄には、前にレオさんが来てたようだし、今はぽん吉さんも来てる。そんなら二人の直接対決できるじゃんと思ってみてた。
でも、へのへのさんの新記事によると、最近、某掲示板に幸福カテのスレが建ったようだ。
幸福カテ専用のスレがあるのなら、二人はそこで直接対決したらいいのかもしれない。そしたら幸福カテにも迷惑はかからんだろうし。
・開けば憑依!!にほんブログ村幸福の科学カテゴリ
http://wc2014.2ch.net/test/read.cgi/psy/1454288620/
2016/2/12(金) 午後 7:23[ 自由 ]


*教えと霊的真実の関係
教えというものは、霊的真実そのものではなく、霊的真実を三次元的言葉で表現したものだと思う。
だから、教えそのものではなく、教えの表現しようとしたもの(霊的真実)を掴むようにしないといけない。
そしてそのためには、神秘体験が必要となる。
教学は神秘体験がなければどうにもならない。
また神秘体験は教学がある方が整理しやすい。
両者はどちらか一方が大切というわけではなく、車の両輪のようにどちらも大切なのだろう。
2016/2/13(土) 午前 8:42[ 自由 ]


*教条主義者
おそらく教条主義者は、この辺りのことを勘違いしてる。教えは、霊的真実そのものではなく、霊的真実を三次元的言葉で表現したものだと分かってない。
教えこそが、霊的真実そのものだと思い込んじゃってる。だから、教えは字義通りにしか解釈しようとしない。それ以外の解釈は拒否する。
たとえていえば、本物の美人女優に背を向けて、スクリーンに映ってる美人女優ばかりに見入ってる状態かもしれない。
なぜそうなるかといえば唯物論的発想のせいだろう。霊的真実を、三次元の言葉で表現しきることができるという考えがどっかにあるから、言葉で説かれた教えを、霊的真実そのものだと思い込んじゃう。
頭では、三次元を超えた霊的真実は、三次元の言葉で表現しきれるわけがないと知っていても、上の発想から抜け切れないのだろう。
だから教条主義者になってしまうのだろう。そんな風に思う。
2016/2/13(土) 午前 8:53[ 自由 ]


*著作数
釈迦は本は書かなかったという。このことから思えば、本を沢山出して、それを誇るというのは釈迦の生まれ変わりというより、釈迦とは正反対の性格のように思う。
著作数が多いことからいえるのは、筆が早い、多作家だということくらいでしょう。
*著書の内容
内容について言えば、初歩的な間違いが多いことは既に指摘されている。これに対して、「細かいことは気にしない」と無視するか、「初歩的なことさえ間違ってるなら、他は推して知るべし」とするかで、判断は変わってくると思う。
2016/2/21(日) 午前 7:30[ 自由 ]


*霊言
霊言、口寄せの類は、忌むべきもの、タブーとされてるものだ。魔術師や霊媒師ならともかく、釈迦、イエスなどの表街道を歩む大宗教家が、霊言を大宣伝したり、それでお金を取るというのは想像しにくいように思う。
*講演
釈迦、イエス、ソクラテスなどは、講演というよりも、様々な人たちと問答をしていたのではないだろうか。弟子だけでなく、論敵とされるような人たちとも、多く問答してたろう。
一方、大川氏は講演会は多いけど、論敵との公開議論はほとんどというか、全くといっていいほどない。この点は釈迦、イエス、ソクラテスらとは正反対だと思う。
2016/2/21(日) 午前 7:32[ 自由 ]


*無執着
梵天勧請のエピソードからは、釈迦は教えを説くことについては、さほど熱心でなかったことがうかがえる。
釈迦は無執着の境地だろうし、絶対これをする、こうしなければならぬというこだわりは無さそうだし、そうであれば再び生まれて、法を説こうとは思わなそうではある。
*人格完成者
ちなみに自分は、仏陀とは人格完成者だと思ってる。神通力があるとか、凡人にはできないことができるとかではなくて、人格が素晴らしいことが仏陀の証明になると思う。
巷では、モラルが高く、やさしくて、理解力がある人のことを、神様みたいだとか、悟ってるとかいうことがあるけど、こういう見方には賛成する。
モラル、やさしさ、理解力に、知性、教養、気高さ、不動心など、さまざまな徳目をそなえた存在が仏陀なのだろうなあと思う。
2016/2/21(日) 午前 7:34[ 自由 ]


*あばたもえくぼ
誰かに心酔している時は、あらゆることがその人の素晴らしさを証しているように見えるものだ。その人の言動すべてに、深い意味が込められていると感じたりもする。
でも酔いからさめてみれば、ちがったものが見えてくる。鰯の頭も信心から、というのは本当だなあと実感することになる。
*正見
大川隆法については、彼は仏陀だという信仰によって見るか、そういう信仰はもたずに心を白紙にして見るかで、判断はちがってくると思う。
どちらが正見として正しいかは議論もあるだろうけど、彼は仏陀だという信仰で見なければ仏陀に見えないのであれば、それは本当の仏陀ではなかろうと思う。
本当の仏陀は、信仰があろうがなかろうが、誰が見ても仏陀にしか見えない存在だろうと思うので。
2016/2/21(日) 午前 7:53[ 自由 ]


*自由と規律1
こういう自由観は、自由と規律をきちんと分けてないというか、自由は規律を内包しているという考え方なのかなあ……。
◇【レオ】天界の自由の方が、広い世界の自由である: 幸福の科学/HSガンちゃんとレオのブログ
http://gunleo.seesaa.net/article/431875756.html
>本当の自由 ソフィア さん
http://plaza.rakuten.co.jp/kohitujinopippo/diary/201602190000/#201602250935203804
2016/2/25(木) 午後 7:19[ 自由 ]


*自由と規律2
ちなみに私は、自由と規律は別のものだと考えてる。
・自由……自分のしたいことをすること、したくないことをしないこと
・規律……自由の下では、強者は弱者を虐げ、落ちる者はさらに落ちるので、規律、規制が必要となる
たとえていえば、自由は劇薬であって、万人にとって善いものだとは限らないから、その副作用を抑える規律、規制という薬も併用しないとだめだってこと。
2016/2/25(木) 午後 7:21[ 自由 ]


*自由の起源
自由の起源を、宗教に求めると、自由は善であるとして、自由には正しい自由(規律を含む自由)と、まちがった自由(放縦)があるという考え方にならざるをえないのかもしれない。
でも、自由なんてものは、元々は、権力者たちに抵抗するための政治的なスローガンにすぎなかったとみなせば、自由は善でも悪でもない、ただの道具だということになる。いや、はっきりいえば暴力革命を正当化するための理屈であって、善でも悪でもない道具というよりは、ものすごく危険な武器であることにさえなる。
多分、人権屋さんはこういう風な自由の目的と使い方を一番心得ているのじゃないかと思う。
今は、自由、人権は正義とされる時代だから、それらを危険思想とみなして、真向から批判するのはまずいだろうけど、「自由とはかくかくしかじかで素晴らしいものです」みたいに自由を美化するのも能天気すぎる。
自由にはもうちょっと懐疑的であってもいいんじゃないかなあ。
2016/2/25(木) 午後 7:25[ 自由 ]


*軌道修正
ぽん吉陣営では、内部で話し合いがあり、軌道修正があったようだ。これは今までブログ村騒動をみてきたなかで、もっともいい場面の一つだ。
あともう一つは、この間、コウさんとこにきてた名無しさんのコメントかな。数年前の発言の修正するというのは立派だし、不適切発言の修正、お詫びは何年経っても遅くない、しないよりした方がずっといいというのがよく分かったよ。
>16. 不適切発言に対するお詫び
http://ameblo.jp/adgjmptwadgjmpuwadgjmptw/entry-11367672688.html#c12823921950
2016/2/25(木) 午後 7:26[ 自由 ]


*楽ちん読書
この記事はおもしろい(笑)。
自分の場合は、むかしっから、本はベッドに寝転んで読んでる。重い本は、楽譜立てをベッドサイドにおいて、それを使えば楽ちんだ。ただし折り畳み式の軽い楽譜立てだと不安定なので、足の部分だけ、どっしりしたマイクスタンドのものに変えたりしてた。今は、木材をつかって自作した楽譜立てをつかってる。全集本でも、百科事典でも余裕でのせられるし、倒れないのでなかなか具合がよい。
◇【電子書籍】寝転がって本を読める|LEO幸福人生のすすめ
http://ameblo.jp/space-people/entry-12132251082.html
2016/2/25(木) 午後 7:28[ 自由 ]


不十分といえば
名無しさんは
コウさんのとこだけじゃなく
ガンさんのとこでも
同趣旨の発言をしてたわけだし
発言を取り消し、修正するのであれば
コウさんのとこだけじゃなくて
ガンさんのとこにも
コメント入れるべきかもしれんね
◇論破になっていない矛盾記事と神秘思想について: やすらぎのガンブロ
http://swedenborg-platon.seesaa.net/article/295407345.html
2016/3/1(火) 午後 9:48[ 自由 ]


会員同士、仲が悪く、競い合い、潰し合うカルチャーなんだよ、HSは。
宗教にしては、珍しいよね。
とにかく、好き嫌いが激しく、派閥に分かれて戦争する。
全国サンガがブログ村状態。
で、悪魔憑き側が勝利すると天変地異が起きてる。
その地域にね。
ハッキリ言って、あそこの会員より、貴方の方がよっぽど会員らしいからさww
本当、情けないよww
いくら学んでも、実践しなければ無意味。
ガンレオは、ああやって、ブログでムニャムニャやりながら終わりでしょう。
そんなレベルの人たちもいるのです。
真理は常に、簡単なことの中にあります。
愛を与えて生きれば、善人と呼ばれ
愛を奪って生きれば、悪人と呼ばれます。
善人は天国へ還り、悪人は地獄へ堕ちます。
それだけのことなのです。
2016/3/1(火) 午後 10:56[ 何処野独逸 ]


私が支部に通ってたのは
もうずうっと前のことだけど
当時、
相手の至らぬところを指摘し
教えてあげるのはよいことだ
という考えから
他の人を批判することは
よしとされてた
それだから
五十、六十の男性が
みなの前で
泣きながら
懺悔してたりした
未熟者ですみません
こんな自分を受け入れてくれて
感謝します
みたいな話だったような・・・
私はこういうのを見て思ったんだよね
人は誰でも、自分の悪いところは知ってる
それを頑張って直そうとしても
それができずに悩んでるわけだから
それをわざわざ責め立てなくてもいいんじゃないかと
責めるのでなく、どんまい、どんまいと慰め
勇気づけるべきなんじゃないかと
2016/3/3(木) 午後 7:44[ 自由 ]


そんなこんなで
支部の人たちに違和感を感じて
段々と距離をおくようになって
今に至るという感じかなあ
ちなみに
当時は何も知らなかったけど
誰かの非をあげつらい
感情を爆発させ
大泣きさせて……というのは
マインドコントロール法としては
わりとよく使われるものらしいんだよね
このことを知ってからは
他者の人格批判をよしとする
当時の支部の空気に
異様なものを感じたのは
当然のことだったんだなと思うようになったよ
2016/3/3(木) 午後 7:45[ 自由 ]


*きゅんとくる
ニャーさんの文章は、切なくなるというか何というか、心にきゅんとくるものがある。HS信者には、信仰とはああだこうだと上から目線で説法したがる人が多い印象があるけど、ニャーさんは自分は本当に信仰を語れるのかなどと内省的で謙虚なところがあるからだろうか。
ニャーさんに対しては、アンチの立場を忘れて、応援したくなってしまうのだから不思議である。
・ニャーは本当に信仰を語れるのか? | ニャーの困った生活パート2 - 楽天ブログ
http://plaza.rakuten.co.jp/hiromu1112/diary/201603050000/
2016/3/6(日) 午後 7:34[ 自由 ]




□■ 「HS関連ブログを読む 6」のコメント欄より ■□


*いつのまに!?
この前、ひさしぶりにガンレオブログをみたら、楽山日記の文字が見えた。記事を読むと、かなり怒ってるようだ。
これほどの怒りを買うということは、楽山日記は相当に酷いものを書いたのだろうなあと思うのだが、いかんせん当該記事へのリンクは貼っていない。楽山日記である私自身も、何を書いたか覚えてない。
仕方ないので、自分で探すことにした。
◇発言の場の自由について ~アンチブログ「楽山日記」に対しての反論~|LEO幸福人生のすすめ
http://ameblo.jp/space-people/entry-11587131320.html
2016/4/2(土) 午前 9:51[ 自由 ]


*見つかった
ふう。レオ記事の発表時期からゆくと、これが問題の記事だろうか。
でも自分が読んでみると、わりとよくある普通の意見であって、いちいち反論するまでもないもののように思える。
強いて言えば、HSをカルト呼ばわりしていると解釈できるところは、信者からしたら面白くないかもしれない。これはちょっと気の毒なことをしたとは思う。
●言論の自由について - 楽山日記
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/38352516.html
2016/4/2(土) 午前 9:53[ 自由 ]


*もう一つ見つかった
関連記事はもう一つ見つかった。
これはただのまとめ記事ではあるけれど、およそ二つのことは分かった。
一つは、当時の自分はレオさんの記事を読んでいたということだ。このまとめ記事を見るまで、自分の記事も、レオさんの記事もすっかり忘れちゃってたよ。
もう一つは、レオさんは当時の記事のタイトルを変更して、「~アンチブログ「楽山日記」に対しての反論~」と付け足したらしいということ。いつ付け足したか知らないけど、それを付け足さないではいられないほどの熱い思いがあったのだろうなあと想像する。その熱さは、反論記事の前文(後から付け足したのかな?)からも推察できそうではある。
●言論の自由について 2 - 楽山日記
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/38354765.html
2016/4/2(土) 午前 9:56[ 自由 ]


*感想1
と、前置きはここまでにして、レオさんの反論記事を読んだ感想を二つほど書いてみる。まず一つは、レオさんの反論記事には、楽山日記の記事へのリンクが見当たらないことだ。
レオさんの記事だけ読んで、楽山日記の記事を読まない人は、「楽山日記は相当にヘンテコな記事を書いたんだなあ」と想像するだろうと思う。実際、自分も、楽山日記の記事を確認するまでは、そんな風に思ってしまった(笑)。
はっきりいって、こういうやり方は印象操作であっって卑怯なことだ。こんなことをしていながら、良心の呵責を感じることもなく、平気でいるとしたら、残念なことだと思う。
相手を名指ししない、当てつけ記事であれば、相手の記事へのリンクを貼らないという判断もあるかもしれない。これは理解できる。
でも相手を名指して、反論であることを明確にしていながら、相手記事へのリンクを貼らないというのはよくわからん。
読者には、自分の記事だけではなく、相手方の記事も読んだ上で、公平に判断して欲しいとは思わないのかなあ。
2016/4/2(土) 午前 10:02[ 自由 ]


*感想2
二つ目は、レオさんは憲法上の言論の自由について語ってるようだけど、アンチらが言ってる言論の自由は、憲法上のそれというよりも、心の持ち方のことではないかと思う。
たとえば、親族会議で次のようなことがあったとする。
子供「ぼく、意見があるんだけど」
大人「子供は黙ってなさい」
子供「でも、どうしても言いたいことがあるんだよ」
大人「いいから、向こうに行っていなさい」
これは憲法上の言論の自由を侵害してるとは言わないだろう。ただ他者の発言を認めず、強制的に排除しているという点では、言論の自由の精神に反しているのはまちがいない。
私が見るところでは、アンチらが言ってる言論の自由とは、後者の意味合いが濃い。だからレオさんが法律的政治的な憲法上の言論の自由についてあれこれ言ってもそれは的外れだと思う。
2016/4/2(土) 午前 10:04[ 自由 ]


*感想3
たとえが、遠回しすぎたかもしれないので、もうちょい具体的に書いてみる。私には、信者によるアンチ排除活動は次のように見えてた。
アンチ「僕はこのように思います」
信者「仏陀(大川隆法)を批判すれば地獄に墜ちます。退転者は黙るべきです」
アンチ「でも、どうしても言いたいことがあるのです」
信者「アンチの意見を聞くつもりはありません。アンチは悪霊にやられてます。悪霊憑きと対話するつもりもありません。これ以上、発言を続けるなら、この場から出て行ってもらいます」
アンチ「そんなあ」
信者「ぐずぐず言わないで、出て行きなさい。出て行かないなら、強制的に排除してもらいます」
こういうのは国家権力が国民の言論活動を妨害するという意味合いでの言論の自由の侵害ではなかろうと思う。
でも信者の態度からは、言論の自由を尊ぶ精神は少しも感じられないのは事実だ。地獄という脅し、悪霊憑きというレッテル貼り、強制排除……どれも言論の自由の精神とは正反対ではないだろうか。
アンチが言論の自由うんぬんするのは、ほぼこの意味でのことだと思う。この辺りのこと、勘違いしないでほしいと思う。
2016/4/2(土) 午前 10:09[ 自由 ]


〈つづく〉