*安心
先日、「歎異抄」を読んでいたら、次のことばをみつけた。
先日、「歎異抄」を読んでいたら、次のことばをみつけた。
悪をもおそるべからず、弥陀の本願をさまたぐるほどの悪なきがゆへにと、云々。(『歎異抄』(岩波文庫)金子大栄校注、岩波書店、1983年、p.41)
自分は根がどこまでも臆病であるせいか、罪を犯すことがすごくこわい。いや、罪を犯すこと以上に、地獄に墜ちることがこわい。
そのせいか、阿弥陀様(神様仏様?)が人々を救おうとすることを妨げるほどの悪はないというのには、ほっとさせられる。
どうやら自分程度のものが何をやらかしたところで、神様仏様には何の影響もないようだ。やっぱり神仏はすごい。
そのせいか、阿弥陀様(神様仏様?)が人々を救おうとすることを妨げるほどの悪はないというのには、ほっとさせられる。
どうやら自分程度のものが何をやらかしたところで、神様仏様には何の影響もないようだ。やっぱり神仏はすごい。
*心配無用
ところで、とある本には、信仰の綱を手放したら地獄に墜ちると書いてあったりする。信仰を手放したら、その落ちて行く先は、地面ではなく、地獄だというのである。
また別の本では、仏の活動を妨げたら地獄に墜ちるとしていた。仏の活動を妨げることは、衆生済度を妨げて多くを不幸にすることだから、とても悪いことなのだそうだ。
でも、上の「歎異抄」のことばからすると、人がなにをしようと、仏の活動を妨げることはできないし、仮に信仰を手放したところで、仏の手の平に受け止められるだけのようである。
自分は臆病なので、信仰を手放したら大変だ、仏の活動を邪魔したら大変だと心配していたけれども、どうやらそんなことは気にしなくていいらしい。そんな心配は、空が落ちてきたらどうしようと悩むくらいに無用なことだった。
ところで、とある本には、信仰の綱を手放したら地獄に墜ちると書いてあったりする。信仰を手放したら、その落ちて行く先は、地面ではなく、地獄だというのである。
また別の本では、仏の活動を妨げたら地獄に墜ちるとしていた。仏の活動を妨げることは、衆生済度を妨げて多くを不幸にすることだから、とても悪いことなのだそうだ。
でも、上の「歎異抄」のことばからすると、人がなにをしようと、仏の活動を妨げることはできないし、仮に信仰を手放したところで、仏の手の平に受け止められるだけのようである。
自分は臆病なので、信仰を手放したら大変だ、仏の活動を邪魔したら大変だと心配していたけれども、どうやらそんなことは気にしなくていいらしい。そんな心配は、空が落ちてきたらどうしようと悩むくらいに無用なことだった。
*限りなく優しい存在
こういう考え方は、あまいだろうか。どうだろう。
神様仏様はもっと厳しいものだろうか。うむ、たしかに、そうかもしれない。
でもやっぱり自分がイメージする神様仏様は、限りなく優しい存在である。自分にはそういう神様仏様しかイメージできない。これも一種の信仰なんだろうなあ。信仰にしては、ずいぶんと都合がいいというか、あまいものかもしれないけれど。 〈了〉
こういう考え方は、あまいだろうか。どうだろう。
神様仏様はもっと厳しいものだろうか。うむ、たしかに、そうかもしれない。
でもやっぱり自分がイメージする神様仏様は、限りなく優しい存在である。自分にはそういう神様仏様しかイメージできない。これも一種の信仰なんだろうなあ。信仰にしては、ずいぶんと都合がいいというか、あまいものかもしれないけれど。 〈了〉
ゆっくりした会話、いいですね。
tam
がしました