*宗教の見分け方
先日、読書をしていたら、宗教の見分け方について書いてあった。

宗教団体の見分け方については、いつも言うことですが、教団の指導者が神や仏の生まれ変わりだと言わず、質素な生活をし、信仰の名のもとに金銭を要求せず、教団の組織を政治や他の権力に利用しようとしない限り、別に用心する必要はありません。
(曽野綾子『老いの才覚』〈ベスト新書295〉KKベストセラーズ、2010年、p.167)

宗教の見分け方にはさまざまあるけれども、これは特にわかりやすい基準のようだ。箇条書きにすれば、こういうことだろうか。

・教団の教祖、幹部は、神や仏の生まれ変わりとされているかどうか?
・教団の教祖、幹部の暮らしぶりは質素か? 贅沢か?
・神や信仰を理由に、金銭を要求していないか?
・教団組織を、政治に利用していないか? 圧力団体として活用していないか?

宗教を見分ける基準は、この他にもいろいろ有り得るだろうし、この基準だけで、すべての宗教を判断できるかどうかはわからない。
ただそうはいっても、これらの基準でバツ判定が出る教団に対しては、用心するに越したことはないとは言えそうである。


*人が変わるように、組織も変わる?
三つ子の魂百までというように、人の本質はいくつになっても変わらないという見方がある。それとは反対に、人は変わるものだという見方もある。おそらくは、どちらも一理あるのだろう。
では組織についてはどうだろう。私個人としては、組織は人よりももっと変わりやすいものではないかと思う。はじめは、よい組織だったのが、いつのまにか、おかしくなってしまったというのは、よく聞く話である。
とすれば、上で紹介した宗教の見分け方は、一度活用したら終わりではなく、常々、活用し続けた方がよさそうだ。
特定の宗教教団について、上の基準でOKとされたとしても、その後もずっとOKでありつづけるかはわからないのである。もしかしたら、ある時点で教団は変質してしまうかもしれないのである。そうであれば、折りに触れて、上の基準によってチェックした方が無難だろう。


*信仰は尊いけれど
信仰は尊いことであるにちがいない。けれども、おかしな宗教を信じてしまったら、悲劇だ。神を信仰し、正しいことをしているつもりが、実は神ではないものを信じ、間違ったことをしていたというのでは取り返しがつかないことになる。
信心深い人であれば、神を裁くことはできないと思うかもしれない。自分の信じる宗教や教祖について○×判定するなんて、そんな傲慢なことはできないと思うかもしれない。
でもおかしな宗教に振り回されないためには、それをしなければならないのだから仕方がない。これは、つらいことだろうけれども、宗教でまちがわないためには、どうしても必要なことだ。このあたりについては、勇気をもってがんばるしかないのだろうなあと思う。〈了〉