*信仰はどこからくるのか?
信仰はどこからくるのか調べてみた。大体、次のような説があるようだ。

・環境
生育環境、教育などによる。多くの場合、仏教文化圏に生まれ育ったら仏教徒に、キリスト教文化圏に生れたらキリスト教徒になるように。

・神性
人の魂の奥底には神性が埋め込まれており、本物の神と出会ったときには、この神性が共鳴して信仰が生まれる。

・過去世
人の魂の奥底には、前世の記憶が秘められている。したがって過去世で学んだ真理、または師と、今生で再会したときには、「はじめて出会った気がしない」「自分はこの出会いのために生れてきた」などと感動し、信仰が生まれる。

・神の御心
神によって、ある人の心は頑なとされ、ある人は信仰が与えられる。

・遺伝子
人類が進化の過程で得た性質、またはその誤作動によって信仰は生まれる。

以上、信仰が生まれる理由についてまとめてみた。これは自分が調べられた分だけなので、まだまだ他にもありそうではあるが、今回はこれで一区切りとしとく。


*リアリティ
上の例をざっと見渡したところでは、今の自分にとって、もっともリアルなのは、環境説かなあと思う。自分の宗教感覚はどうも、親と瓜二つのようなので、育成環境によって育まれたというのは納得できる。
神性、過去世の記憶に関しては、物語性は豊富なので、ロマンチックではあるし、霊的なことがすきで、若い人には魅力があるかもしれない。ちなみに自分は、若い時分はこれを信じてたが、今はそうでもない。ただ生れる前から赤い糸でつながってる云々というのは、今でもほんのり信じている。根がロマンチストなので(笑)。
神の御心に関しては、自分は最近は他力信仰に傾いているので、わりと支持してる。そのせいか、信仰を失うまいとしがみ付いたり、信仰を捨てようと意識的に背を向けることはなくなった。自分が信仰を持つのも、捨てるのも神の御心によると考えれば、神を信頼してその流れに身を任せていればいいと思うので。
遺伝子の影響については、進化論に関する本を読んでいると、ときどき出くわす考え方である。真偽は分からないが、とてもユニークだし、読んでいておもしろい。進化というのは、身体についてのことだと思い込んでいたが、それによって利他的行動、愛情、宗教、倫理など精神的なことも説明できるというのは驚きである。


*こたえがない問題
信仰はどこからくるかなんて、結局のところ、こたえが見つかることはあるまいと思う。ただ、こういう問題は、こたえを得ることではなくて、考え続けることに意味があるのだろう。
こたえがでない問題について、考え続けるなんて、かなりの暇人のようでもあり、物好きのようでもある。でも人って、そんなもんじゃないかなあと思う。
世の中は広いから、そうではない人もいるかもしれない。ただ自分に関してはそのようである。この問いについては、死ぬまでずうっと考え続けることになりそうだ。 〈了〉