*全知全能ということ
渡部昇一の本を読んでいたら、全知全能について、次の記述があった。
渡部昇一の本を読んでいたら、全知全能について、次の記述があった。
キリスト教においては、神は全知全能だ。全知全能ならば、われわれ人間の運命も知っていなければならない。ちっぽけな人間の運命も知らないようなら、全知全能とはいえないからだ。われわれの運命すべてを知っている、ということはどういうことなのか。運命というのは神によって決められているということだ。(渡部昇一『「自分」の証明 悩む人ほど、大きく伸びる』イーストプレス、2011年、p.110)
この後は、人の運命は、生老病死はもちろん、どの大学に入るか、誰と恋愛するか、就職はどこか、結婚、子供、出世、定年、退職金、年金などは、あらかじめ決められているという話がつづく。
これは大雑把な話だろうけれども、全知全能の神と、人の運命の関係について、とても分かりやすい説明だと思う。
これは大雑把な話だろうけれども、全知全能の神と、人の運命の関係について、とても分かりやすい説明だと思う。
*全知全能の神と運命論
神は全知全能だとすれば、上で見たとおり、運命論に行き着くらしい。全知全能の神を信じるということは、運命論を受け入れることを強いる。
もちろん、下のような考え方もできなくはない。
「全知全能の神の視点からみれば、すべては決定しているが、人には未来はわからない。人にとっては未来は決ってないのだ。したがって、人は自由だ」
でもこれは若干、無理のある理屈ではある。全体を俯瞰した上で結論付けているのではなく、人の視点から見てというように、視野を限定した上で出した結論にすぎないからである。「高次なる視点からみたら、Aだとしても、私から見たらBなのだ。だから、これはBなんだ」と強弁したって仕方がない。
やはり、全体を俯瞰した上では、全知全能の神と、運命論は切り離せない。全知全能の神を信じることの難しさは、この辺りにあるのかなあと思う。この点について、全然、気にならない人もいるかもしれないが、私の場合はそうではないからやっかいである。〈了〉
神は全知全能だとすれば、上で見たとおり、運命論に行き着くらしい。全知全能の神を信じるということは、運命論を受け入れることを強いる。
もちろん、下のような考え方もできなくはない。
「全知全能の神の視点からみれば、すべては決定しているが、人には未来はわからない。人にとっては未来は決ってないのだ。したがって、人は自由だ」
でもこれは若干、無理のある理屈ではある。全体を俯瞰した上で結論付けているのではなく、人の視点から見てというように、視野を限定した上で出した結論にすぎないからである。「高次なる視点からみたら、Aだとしても、私から見たらBなのだ。だから、これはBなんだ」と強弁したって仕方がない。
やはり、全体を俯瞰した上では、全知全能の神と、運命論は切り離せない。全知全能の神を信じることの難しさは、この辺りにあるのかなあと思う。この点について、全然、気にならない人もいるかもしれないが、私の場合はそうではないからやっかいである。〈了〉