死後の世界については
およそ、次の二つの考え方がある
およそ、次の二つの考え方がある
・死んだら終わり。無になる
・死んだら、あの世に行く。無にはならない
・死んだら、あの世に行く。無にはならない
以前は、これについて
「あれか、これか」という考え方をしていた
どちらか一方が正しく、他方は間違っているとか
どちらか一方を信じ、他方は信じないとか……
「あれか、これか」という考え方をしていた
どちらか一方が正しく、他方は間違っているとか
どちらか一方を信じ、他方は信じないとか……
でも、近頃は
「どっちでもいい」という考え方に、傾いている
「どっちでもいい」という考え方に、傾いている
結局のところ
死後の世界なんてものは
死んでみなけりゃ、分からないことである
死後の世界なんてものは
死んでみなけりゃ、分からないことである
そういう分からないことについて
「〇〇と信じる」
「××のはずだ」
と力んでみても仕方がない
「〇〇と信じる」
「××のはずだ」
と力んでみても仕方がない
それよりは
分からないことは分からないとして
どういう結果であっても対応できるように
「どっちでもいい」という気分でいることは
案外、賢いのではあるまいか
分からないことは分からないとして
どういう結果であっても対応できるように
「どっちでもいい」という気分でいることは
案外、賢いのではあるまいか
「どっちでもいい」というのは
見ようによっては、いい加減でもあり
けしからんことかもしれない
見ようによっては、いい加減でもあり
けしからんことかもしれない
でも
そもそも、「死んだらどうなる?」というのは
答えのない問題である
そもそも、「死んだらどうなる?」というのは
答えのない問題である
こういう、あいまいな問題については
「どっちでもいい」という
ゆるい答えで十分であるような気がしなくもない。
「どっちでもいい」という
ゆるい答えで十分であるような気がしなくもない。