宗教は
信じれば信じるほどに
個人的なものになって行くのかなあという気がする
信じれば信じるほどに
個人的なものになって行くのかなあという気がする
たとえば
「神を信じる」という程度であれば
多くの人たちと共感できそうである
「神を信じる」という程度であれば
多くの人たちと共感できそうである
でも
それをちょこっと掘り下げて
「自分が信じている神とは、どういう存在か?」
「信じるとはどういうことか?」
ということを考えれば、、
意見が合う人は、ぐっと少なくなって行く
宗教についての意見が
何から何まで合う人なんて、どこにも居そうもない
それをちょこっと掘り下げて
「自分が信じている神とは、どういう存在か?」
「信じるとはどういうことか?」
ということを考えれば、、
意見が合う人は、ぐっと少なくなって行く
宗教についての意見が
何から何まで合う人なんて、どこにも居そうもない
信仰は
信じれば信じるほどに
深めれば深めるほどに
個人的なものとなり
他と共有できなくなって行くものなのだろうか
信じれば信じるほどに
深めれば深めるほどに
個人的なものとなり
他と共有できなくなって行くものなのだろうか
信仰は
自他一体感を増す面もあるのだろうけれども
それとは反対に、個の自覚を促すものでもあるのかもしれない
自他一体感を増す面もあるのだろうけれども
それとは反対に、個の自覚を促すものでもあるのかもしれない
とはいえ
極めて個人的なことが、同時に、一般的だったり
極めて特殊なことが、普遍に通じていたりすることもありそうではある
極めて個人的なことが、同時に、一般的だったり
極めて特殊なことが、普遍に通じていたりすることもありそうではある
もしそうであれば
孤独と自他一体感は
案外、表裏一体で同じものだったりするかもしれない。
孤独と自他一体感は
案外、表裏一体で同じものだったりするかもしれない。