*自己変革は必要か?
自己変革が必要だというけれど、それってどうなんだろう。べつに必要ないんじゃないかなあと思う。
理由は三つほどある。まず一つは、そもそも自分を変えるなんて無理ではないかということ。
三つ子の魂百までというように、人の根本というものは、そうそう変わるものではないのではなかろうか。それだったら、自分を変えようとするよりも、自分は自分らしくあろう、自分の心に忠実であろうとする方が賢明だろう。


*継続性
もう一つは、継続性の問題である。今の自分を否定して、別の自分になりたいというのは、要するに変身願望ではないだろうか。もっといえば今の自分からの逃避ではないだろうか。
長い人生のうちには、逃避が必要な時もあるかもしれない。人なら変身願望を持つのも仕方ないかもしれない。でもそれって実現するのは無理ではなかろうか。一時的には実現できても、永続的には無理ではなかろうか。そういう無い物ねだりをしているよりも、今の自分を肯定し、充実させる努力をする方が建設的ではあるまいか。


*偽物の自分、本物の自分
三つ目は、偽物の自分なんて無いのではないかということである。自己変革のやり方としては、自分のことを偽物の自分と、本物の自分に分けて、前者を否定し、後者を肯定するというものがある。
こういう人間観はおかしいのではないだろうか。人には短所と長所があるのが当然であって、それらが合わさってこそ、その人自身でありえるのではなかろうか。
たとえ話をするとすれば、もし心に、その人特有の波長があるとしたら、その波形がその人の個性なのだろう。波形のうちで凹は偽物の自分、凸は本物の自分として、凹の部分を否定して消してしまったら、波形はそれまでとは別のものになる。つまりその人は、自分独自の波形を失うと同時に、個性も失う。自分らしさを失ってしまったのでは、自己変革もなにもあったもんじゃない。


*長所と短所
自分というものは、短所と長所があってこそのものだし、偽物の自分と本物の自分があってこそのものなのだと思う。短所や偽物の自分というものは、否定すべきものではなくて、より充実させるべきものなのだ。
一例を挙げれば、短気は、短所とされがちだけども、その根底には活力、正義感などもあるだろうから、むやみに短気を矯正すれば、同時に活力、正義感も減退してしまうこともありえる。角を矯めて牛を殺すというやつである。これではつまらない。それよりはむしろ短気はそのままにして、活力、正義感などを保つ方がいい。


*視点を変える
人は独りで暮らすものではない。そうであれば、自分に短所があったとしても、それを補うことのできる人が傍にいるものだ。逆に、相手の短所を、自分の長所で補う機会もあるだろう。
人は個としては不完全、未熟なところがあったとしても、集団としてバランスが取れていれば、それでいいのだろうと思う。この点、自分の短所、長所というものは、自分個人の視点からだけでなく、全体の視点から見ることも必要である。


*自信をもつ
大体、以上のような理由で、自分は、自己変革に違和感を感じている。はっきりいって、自己変革というのはスローガンにすぎないようにも思える。自己啓発ビジネスのセールストークみたいなものにすぎなかろう。そんな言葉に惑わされることなく、自分は自分、他人は他人というように、今の自分に自信を持つことの方がずっと大事であると思う。〈了〉