この間、小説を読んでいたら、次の一文につきあたった。

重要なのは、きみが神を信じないということではなく、神がきみを信じ続けているかどうかということなのだ。
(『愛その他の悪霊について』G・ガルシア=マルケス著、旦敬介訳、新潮社、1996年、p.73)

これは本当にその通りだと思う。考えてみると、神の偉大さを信じるほどに、信仰の重要度は減って行くのだから不思議だ。

神は完全であり、それ自体で完結しているとすれば、神は別に人の信仰など必要としていないことになる。神は、人から信じられようと、信じられまいと、そんなことで何らの影響も受けないのだ。

超能力者などは、「超能力を発揮するためには、みなさんに信じていただくことが必要です。否定的な思いが強いと、実験を成功させることは難しくなります」なんて言ったりするけれど、神はそんな条件など必要としない。

結局、人が神を信じなくとも、神が人を信じているのであれば、それで十分なのだろう。神の為すわざは完全であって、人が付け加えるべきものは何もない。人の信仰なんて、神の偉大さからすれば、ほんのちっぽけなものにすぎず、ある意味、蛇足のようなものだろう。

信仰というものは、人の視点からはどんなに重要に見えたとしても、神の視点からはそうとも限らないのであって、それを無視して、人の信仰をあまりに重視することは、人を大きく見ることであってある種の傲慢であるかもしれぬ。〈了〉