最近は、悪霊だとか、悪魔だとか、そういうことが、あまり気にならなくなってきた。全然気にならないとはいわないが、少なくとも前ほどは気にならないし、怖くなくなったのは確かだ。

以前は、雑談の折に、悪霊の話が少し出ただけでもゾッとしたのだった。そういう話をすると、それに引き寄せられるように悪霊がやってくると信じていたからである。だから悪霊の話になると、胸がどきどきするほど怖かった。周囲をきょろきょろ見回しては、あのあたりに来てるんじゃないかと想像し、怖れた。

それから、激怒している人がいると、「この人は悪霊に憑依されてる」と本気で思ったりもした。スケベな人には、色情霊がついてると思ってた。唯物論者や、無神論者も、悪霊の影響を受けてると思ってた。そういう人たちのそばにいると、自分にも悪霊がうつってくるようで嫌だった。

こういうことは、人に対してだけでなく、本、ドラマ、映画、絵画、音楽など、すべてに対して同じだった。自分の信じる宗教とは別の価値観による本、ドラマ、映画、絵画、音楽などはすべて、悪霊に操られた人によってつくられたと思い込んでいた。そういうものを見たり、近づいたりしたら、自分も悪霊に憑依されると怖れた。

傍から見たら、こういう状態は、かなり病んでるように見えるに違いない。でも当時の自分は、これが当然だと思ってた。「私は真実を知っている。悪霊は、地上の人に憑依する機会を虎視眈々と狙っているのだ。悪霊なんて存在しないとして、それらに対する警戒を怠るならば、それこそ悪霊の思うつぼなのだ」なんて考えていたのだった。まさに悪霊ノイローゼみたいなものである。

でも幸いにして、近頃は、前ほど悪霊が気にならなくなってきた。悪霊の話をしても、悪霊が寄ってくるとはさほど思わない。激怒してる人を見ても、性格が悪い人を見ても、悪霊のせいだとは思わない。たんに「この人は怒ってるなあ、この人は性格悪いなあ」と思うだけである。悪霊の影響がどうこうとは思わない。

本、ドラマ、映画、絵画、音楽などについても、悪霊がどうだとか、地獄的だとか、そういうことはあまり心に浮かばなくなった。ただ自分の好みか、そうでないかというだけである。

世の中には、心霊関連の本を読んでも、正常な判断能力を失わない人もいるだろう。でも自分の場合は、もともとトンデモ好きであり、凝り性でもあったせいか、心霊関連の本を読みはじめたら、それにどっぷりつかってしまい、上のような状態に陥ってしまった。これは大失敗だった。

でもそれだからこそ、「霊的なものに興味を持ち過ぎてはいけない、のめりこんではいけない」という戒めの正しさはよく分かる。霊がどうした、こうしたというよりも、常識をわきまえ、道徳を守り、日常生活をきちんとすることの方がずっと大事である。

こんなシンプルな教訓を得るために、何年も時間がかかったなんて、自分はなんておバカなんだろうと思うけれども、それでもこれは自分にとっては貴重な教訓であり、実感である。この感じを忘れずにいたいと思う。〈了〉