昔の日本人の信仰について、次の文章を見つけた。

日本人の信仰のいちばん主な点は私は生まれ更わりといふことではないかと考へてゐる。魂といふものは若くして死んだら、それつきり消えてしまふものでなく、何かよほどのことがない限りは生まれ変わってくるものと信じてゐたのではないか。昔の日本人はこれを認めてゐたのである。
(「来世観」『定本 柳田國男集 別巻第三』柳田國男著、筑摩書房、昭和39年、pp.225-226)

これはどうなんだろう。とりあえず自分の周りを眺めてみると、生まれ変わりを信じているわけでも、信じていないわけでもない人が多いように思う。「生まれ変わりなんか、あるわけがない!」といわれれば、「そうかもしれないね」とこたえ、「この子は、先年亡くなった××の生まれ変わりにちがいない」といわれれば、「うん、きっとそうだよ」とこたえるという感じの人が多い。

ようするに、生まれ変わりを信じるとか、信じないとか、そういう信念を持っているわけではなく、その時その時の情緒によって立場が変わる。これは悪く言えば、節操がない、空気に流されてるということになるが、見ようによっては、自分の主義や信仰よりも、相手への気持ちを大事にしていると言えるかもしれない。

自分は広く資料を集めたわけではないから確たることは言えないが、とりあえず自分の周囲では、特定の世界観を信じぬく人は稀であって、大体はその時その場にもっともふさわしい世界観で語る人が多いようではある。ひょっとしたら、昔の日本人が、生まれ変わりを認めていたというのも、確信があったというより、そういう時代の空気だったためではないかという気がしないでもない。

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ちなみに、ついでに自分自身のことをいえば、自分は元々は、生まれ変わりは信じていた方だった。小さかった頃は、生まれ変わりの話を聞けば、大概は信じたし、「そんなことはない! 迷信だ!」といわれれば、若干の反発や淋しさを感じてた。どちらかといえば、信じる方に軸足は傾いていた。青年時代は、きっぱりと信じる側に立っていた。ひと頃、話題になった前世療法も、そっくりそのまま信じていた。

でも最近は、かなり懐疑的になっている。とはいえ、生まれ変わりは絶対にないというほど否定的ではないので、もし生まれ変わりが事実だったとしても、さほど驚きはしない。

というわけで、これまでの過程をトータルで判定すれば、自分は、生まれ変わりを信じるわけでも、信じないわけでもない、宙ぶらりんの状態ということらしい。なんだか優柔不断で情けないが、確実な証拠がないことに関しては、判断を保留するのが賢明のようにも思う。生まれ変わりについては、現時点では、わからないというのが正解ではあるまいか。〈了〉