先週ひさしぶりに、「銀河鉄道999」を読んだ。前に、他の場所で書いたことがあるけれども、やっぱり、機械化人間の生命観は、輪廻思想に似てるなあと思う。

機械化人間の生命観は、機械の体を取り換えながら永遠に生きるというものだし、輪廻思想は、さまざまな体に宿りながら永遠に生きるというものだ。これは機械の体と、生身の体という違いはあっても、発想はそっくりだ。

ついでにいうと、機械の体で永遠に生きるよりも、生身の体で限られた人生を精一杯に生きようという星野鉄郎の考え方は、輪廻転生を否定する唯物論的な人生観とそっくりだ。唯物論的な人生観は、刹那的な方向に行けば「死んだら終わり。人生に意味はない」となるのだろうけれども、建設的な方向に行けば「限られた人生を、思い切り生きてやろう」となるのだろう。

また輪廻思想の方はどうかといえば、建設的な方に行けば「努力は無駄にならない。今世の努力は、来世で報われる」ということになり、わるい方に行けば機械化人間のように他者に冷淡になるのだろう。輪廻を信じる者が、他者の苦しみを見たときに、「今生で苦しんでも、それは一時のことにすぎない。来世で幸福になればいいんだよ」と、したり顔で言ったりすることは、そう珍しいことではない。

物事には何でも一長一短があるので、唯物論的な人生観と、輪廻思想に基づく人生観とでは、どちらが優れているかどうかは容易には分からない。でも、「銀河鉄道999」を読んだり、自分の周囲にいる輪廻思想を信じている人を見る限りは、人としての情緒を守るという意味では、輪廻思想はあまりよいとは言えなそうではある。「生まれ変わりもあるかもしれない」という漠然とした感覚ならまだいいが、「生まれ変わりは事実だ」という信仰の域に達している場合は、その欠点があらわになりがちだ。

人は多くの場合、永遠の命を欲するものだけども、人が、より人間らしくあるためには限られた命である必要があるとしたら、皮肉なことだなあと思う。〈了〉