だれにしたって、霊魂を物質から区別する根拠は持っちゃいませんよ。霊魂そのものだって、もしかしたら物質的な原子の集まりかもしれませんからね。
(「かもめ」『豪華版 世界文学全集22』チューホフ著、木村彰一訳、講談社、1976年、pp.376-377)


これは、自分も前々から疑問に思っていたことだけど、やっぱり、とっくの昔に議論になっていたようだ。

霊とは何なのか? 物質的な何かの集まりなのか? 一体どうなんだろうと思う。一説によると、霊は、光子、霊子などという粒子の集まりだという。でもこれだと原子論、唯物論とさほどちがいはないようである。

また上の仮説にはつづきがあって、光子、霊子が集まって霊となり、さらに凝縮されて物質になるともいう。ここまでくると、霊も物質も、大小や密度などのちがいはあれども、材料は同じであり、本質は変わらないことになる。これでは、物質とは本質的に異なり、物質を超えた何かなどは存在しないといっているようなものだ。

こうしてみると、霊と物質の関係は、案外にややこしそうだ。霊について下手な説明をすると、唯物論と変わらなくなってしまう。

そういえば、霊を信じる人は、「霊はある!」「霊界はある!」などと簡単に言ったりするけれど、“ある”ということは、大きさ、重さ、色、感触などがあるということだろう。つまりは、「霊はある!」というのは、霊は大きさ、重さなどを備えた物体であることを認めることにつながる。これじゃあ、どうしようもない。

この辺りのことは、言葉のあやであって仕方のないことだろうが、「霊はある!」などと言っているうちは、唯物論からは完全に抜け出すことはできず、あるのでもなく、ないのでもない有無を超えた何かに気づき、探求することは難しいのかなあと思える。〈了〉