価値を決めるものは
その人の心であるという
最近はこのことが分かりかけてきた気がする

たとえば
以前の自分は、花のよさが分からなかった
花を見ても、美しいなんて思わなかった
でも今は、心から、花は美しいと感じる
花自体は変化していないのに
自分の心が変わることで、その価値を知ったのである

同じことは、生命についても言える
前は、蟻や蚊を殺しても、さして心は痛まなかった
でも今は、蟻だろうが、蚊だろうが、なるだけ殺したくないし、傷つけたくない
自分側が変わることで、どんな小さな生命も尊いものとなった

他にも似たようなことは幾つもある
無価値と思えた音楽、思想、小説など
自分が変わることで、その価値に気づけたというのは、そう珍しくない

こうしてみると
価値があるとか、ないとか言うのは
対象とは関わり合いがないことであって
単に、価値を感じるか、感じないかということにすぎないのかもしれない

「そんなものは無価値だ!」というのは
対象の価値について言っているのではなく
自分について語っているだけなのだろう
「私は、それの価値が分からない」という風に

同様に
「これには価値がある!」というのも
対象の価値について言っているのではなく
「私にはこれの価値が分かるぞ」と言っているだけなのだろう

こういうことは
価値というものは
心の外にあるのではなく
心の内にあるということなのだろうけれど
でももしそうだとすると、一体どうしたら、自分から離れて
対象の価値を正しく判断できるんだろうなあと思う。