この間、とある人から「趣味は何ですか」と訊かれたので、とりあえず「読書です」と答えておいた。考えてみると、これまでいろいろな趣味を持ったが、読書が一番長く続いているようだ。読書はなかなか厭きないということらしい。
とはいえ自分は本なら何でも読めるというタイプではない。結構、好き嫌いはある。好んで読む本もあれば、生理的に受け付けない本もある。
たとえば、いわゆるサヨク系の本は苦手だ。この系統のものは読めない。義務的に読むこともあるが、積極的に読みたいとは思わない。ただ「権利のための闘争」「絞首台からのレポート」などは感動して読んだので、サヨク系は全く受け付けないというわけではないかもしれない。そういえば保守であっても、軽薄、偏見、偏向、高慢などが鼻につく場合は読めない。
最近は、思想、哲学などの本も読めなくなってきた。難しいものは前から読めなかったのだが(笑)、最近は読みやすいものでも読めなくなってきた。現実から離れて理屈に理屈を重ねても仕方がないと思ってしまうのである。同じ理由で、スピリチュアルなど心霊ものも苦手になってきた。今はそういうものよりは、もっと現実的な歴史の方がおもしろい。
歴史といえば、日本史だとか、世界史のような大きなものもいいけど、郷土史関連もおもしろい。以前は郷土史には全く興味はなかったが、年を取ったせいか最近はすごく興味が出てきた。郷土史に興味があると、冠婚葬祭など様々な場面で会話のネタになるという便利さもある。地元の名士やお年寄りには、郷土史について語りだしたら止まらない人はちょいちょいいるので、そういう人には興味を持って聞き役に徹するだけで喜ばれる。デールカーネギーの「人を動かす」には、話を聞くことの大切さについて書いてあったと思うが、これは本当にそうだ。
小説では、自然主義、耽美主義などに分類されるものは読めなかった。だから必然的に、私小説が多い日本文学全集もほとんど読めなかった。世界文学全集には面白い名作がたくさんあるのに、日本文学全集は退屈なものばかりだと思ってた。自分はどうも、筋がなかったり、暗すぎたり、道徳的でなかったりする小説は苦手らしい。ただ先年、ゾラの「居酒屋」や、谷崎の「痴人の愛」を読んだらおもしろかったので、上の感覚は少し変わってきているかもしれない。アンチロマンは昔も今も読めない。
自分は音楽も好きでよく聴くのだが、そちらはどんなジャンルでも大して抵抗なく聴ける。ただどういうわけか本に関しては、上で書いたように受け付けないものがある。なぜ音楽のようにどのジャンルでも読めるようにならないのだろう? この辺りはちょっと妙な気がしないでもない。音楽は主に感性で味わうが、本は感性ばかりでなく、倫理道徳にも深く関わってくるせいだろうか。どうなんだろう。
なんかこの記事は、読み返してみると自分語りにすぎているようで気恥しいのだけれども、せっかく書いたのだし、自分の意見は必ずしも公平無私ではなく、あくまで自分の個性に立脚した感想にすぎないということを明示するという意味もあるように思うので、そのまま出しとこうと思う(笑)。
〈了〉