「苦しい時の神頼み」
というけど
自分の過去を振り返ると
そういうことは、あまりなかった気がする
そういうことは、あまりなかった気がする
どっちかというと
苦しい時は
神様に頼るというよりも
神様を信じなくなってた気がする
「神様なんて当てにならない。そんなのいないかも…」みたいな感じだ
あとは、忙しすぎて、神様のことは、コロッと忘れてることもあったかな
神様に頼るというよりも
神様を信じなくなってた気がする
「神様なんて当てにならない。そんなのいないかも…」みたいな感じだ
あとは、忙しすぎて、神様のことは、コロッと忘れてることもあったかな
でも
どういうわけか
うれしい時は
大いに神様を信じるようだ
心から、「神様ありがとう」と感謝しないではいられなくなる
うれしい時は
大いに神様を信じるようだ
心から、「神様ありがとう」と感謝しないではいられなくなる
その時々の状況によって
神様を信じたり、信じなかったりするというのは
なんとも情けないし、神様に申し訳ないことではある
なんとも情けないし、神様に申し訳ないことではある
でも
どういうわけか
心の片隅では
こういうダメな自分のことを
神様は赦してくれているという感覚があるのだから不思議である
我ながら、なんとも身勝手で、甘ったれた話ではあるが
どうやら自分の信じている神様は、自己都合信仰でさえも赦してくれる神様のようではある。
心の片隅では
こういうダメな自分のことを
神様は赦してくれているという感覚があるのだから不思議である
我ながら、なんとも身勝手で、甘ったれた話ではあるが
どうやら自分の信じている神様は、自己都合信仰でさえも赦してくれる神様のようではある。
*追記 20181208
『三浦綾子作品集 第十六巻』に収録されている「天の梯子」を読んでいたら、「第六章 うれしい時の神だのみ」とあった。
このエッセイははじめて読んだので、偶然、著者と自分は同じことを考えたということかな? これは嬉しいかも…。
でも考えてみれば、よく知られていることわざを、少しもじっただけなので、同じになったとしてもそれほどの意味はなさそう…。
『三浦綾子作品集 第十六巻』に収録されている「天の梯子」を読んでいたら、「第六章 うれしい時の神だのみ」とあった。
このエッセイははじめて読んだので、偶然、著者と自分は同じことを考えたということかな? これは嬉しいかも…。
でも考えてみれば、よく知られていることわざを、少しもじっただけなので、同じになったとしてもそれほどの意味はなさそう…。